第14話 記憶のゆりかご
記憶の館の窓から、淡い光が差し込んでいた。
朝靄の中、空にはまだ星の名残がかすかに滲んでいる。
少女は再び、星詠みの書の前に立っていた。
昨日触れた頁の続きを開くと、薄く金色がにじむ文字が静かに浮かび上がった。
「……これは……」
視線を落とした瞬間、またあの感覚が彼女を包んだ。
時間の層が静かにほどけ、記憶の膜が揺らぎはじめる。
――風の音。
――砂を踏む足音。
――背中越しに聞こえる、誰かの笑い声。
「……知ってる……気がする」
少女は、胸の奥で微かに疼く感覚を確かめようとした。
そこに、老書士の落ち着いた声が響く。
「思い出は、ひとつの物語ではないのじゃ。
それは重なり、混じり合い、やがて形を成す」
彼は静かに少女の横に立ち、書の頁をそっと撫でた。
すると、新たな図形と一行の文字が浮かび上がった。
『影の風、光を抱いて眠る』
「これは……?」
少女が問いかけると、老書士は少し目を細めた。
「古の言葉じゃ。
解釈はいくつもあるが……おそらく、そなた自身の“失われた記憶の核”に触れておる」
「記憶の核……?」
「うむ。
人には皆、“魂の中心”に記憶のゆりかごがある。
それが動き出す時、人は本当の名へと還っていくのじゃ」
少女はその言葉を噛みしめながら、ページをめくる。
だが、次の紙面には何も書かれていなかった。
「……もう、これで終わり?」
「今は、のう。
星詠みの書は、記録ではなく“反応する書物”じゃ。
読む者の魂が目覚めるたびに、新しい頁が現れる」
少女はそっと書を閉じた。
その指先がかすかに温かかったのは、彼女自身の内にある光のせいかもしれない。
「わたし……少しずつ、分かってきた気がします。
まだ何も思い出せていないけど、何かが……ここにある」
少女は胸に手を当てた。
老書士は、静かに頷いた。
「そうじゃ。
焦ることはない。
星の道は、時に雲に覆われる。だが、それでも輝きは失われぬ」
彼の言葉は、まるで長い時を越えて届く風のようだった。
少女はゆっくりと書の間をあとにした。
星の記憶は、確かに彼女の中で目覚めつつあった。
記憶の断片。
名前に至る前の道。
そして、そのすべてを繋ぐ静かな光。
外に出ると、村の空に朝の星がひとつだけ、消えずに残っていた。
「きっと、あの星も……私を見てる」
少女は、微笑んだ。
旅は続く。
けれど、歩む一歩一歩が、確かな光をつくっていた。
――その名を取り戻す、その日まで。




