プロローグ
朝の光が、森を優しく包んでいた。
高く伸びた木々の合間から差し込む陽光が、草露にきらめきを宿し、鳥たちが囁きあうようにさえずっている。
少女は、その森の中で目を覚ました。
冷たい地面、濡れた苔の感触、頭上に広がる葉の天蓋。
見知らぬ場所。けれど、恐怖はなかった。ただ、空っぽの胸の奥で静かに波打つ何かを感じていた。
名前が――思い出せない。
なぜここにいるのかも、自分が誰なのかさえも。
少女はふらりと立ち上がる。白いワンピースが朝露に濡れていた。足元には踏み跡もなく、誰かと一緒だった気配もない。
ただ、胸の奥には不思議な感覚が残っていた。「ここに来た」ではなく、「ここにあった」。
まるで最初からこの森の一部だったような錯覚。
手が、無意識のうちに胸元へと伸びる。
その瞬間、彼女の指先が何かに触れた。
その場所は肌に心地よく感じられ、温かさが広がる。
だが、それを見下ろしても、ただの白い布が広がっているだけだ。何もなかったように感じられた。
「……?」
何かが心の中で引っかかっている気がしたが、すぐにその感覚を振り払って歩き始める。
やがて彼女は、小さな小屋を見つけた。
森の奥、苔むした石畳を踏み分けた先に、それはぽつんと佇んでいた。木と石でできた古びた造りだが、どこか温かさを感じさせた。
なぜか――懐かしかった。
扉を開けると、そこには簡素な家具と、魔法道具のようなものが整然と並んでいた。
瓶に詰められた薬草、輝く石のかけら、不思議な紋章が描かれた本――
どれも見たことがないはずなのに、触れれば使い方が自然と頭に浮かんだ。
「……私、魔法が使えるの?」
ぽつりと呟いた声が、小屋の中で寂しげに響いた。
その日から、少女は森の中でひとりの生活を始めた。
水を汲み、木の実を集め、妖精のような小さな存在と会話を交わす日々。
動物たちや植物たちも、まるで彼女を知っているかのように寄り添ってくれる。
まるでこの森が――彼女のすべてを受け入れてくれているようだった。
けれど、何もかもが穏やかだったわけではない。
ある夜、月が満ちた晩。
少女は夢を見た。
炎に包まれた塔、悲鳴、誰かの名を呼ぶ声、崩れゆく空――
「――逃げて……!」
目覚めたとき、少女の手には古びた書物が握られていた。
それは彼女の小屋にはなかったもの。森のどこから現れたのかもわからない。
だが、その表紙に刻まれた魔法陣は、彼女の記憶に深く突き刺さった。
“この本は、お前の記憶を導く”
そんな声が、心の奥底で響いた気がした。
少女は本を抱え、小屋の外に出る。
空には星が瞬き、風がそっと彼女の髪を揺らす。
その時――再び、腕の内側に微かな温もりを感じた。
無意識に腕を見下ろすと、ほんのり光るような紋様が肌に浮かんでいるのに気づく。
それは見覚えのないもので、まるで何かの印のようだったが、少女はその意味をまだ理解できない。ただ、心の中に冷徹な何かが警告するように響いた。
その紋様が、彼女の運命に関わっているのだと。
「私は……誰?」
その問いは、やがて彼女自身を、そして世界の秘密へと導いていくことになる。
すべての始まりは、この森の静寂からだった。
初めての作品なので色々と頑張ります。
更新頻度は低めで、文才もないですが、よろしくお願いします。