【完結】王太子とその婚約者が相思相愛ならこうなる。~聖女には帰っていただきたい~
頭を空っぽにお読みください(●´ω`●)
公爵令嬢であるエミリア・ロランと、王太子である第一王子ダレン・オラ・シンファニアの婚約が決まったのは、二人が産まれてすぐのことであった。
エミリアは希少な光の魔力を持つ少女であり、地位もその能力も王太子の婚約者にふさわしいとされ、産まれた瞬間からその運命は決められた。
「エミリア!」
十歳になった二人は仲睦まじく、幼い時から時間さえあれば会い、遊び、笑いあうその姿に、王宮の皆が微笑ましげに視線を向けていた。
「ダレン様? わぁ、とっても素敵な花冠ですねぇ」
花の咲きほこる王宮の一角には、二人が一緒に過ごせるように花畑が作られ、二人はよくそこに集まっては楽しい時間を過ごしていた。
「ふふふ。エミリアには白い花が良く似合うね」
エミリアは父親の髪色を継ぎ、少し地味な茶色の髪の毛を気にしていたが、ダレンのこの言葉を聞くと心の中が温かくなった。
「ありがとうございます。ダレン様」
ダレンはエミリアの頭に優しく花冠を載せながら、エミリアの顔を覗き込んで微笑を浮かべた。
「エミリアは世界で一番可愛いね」
その言葉に、エミリアは思わず笑い声を上げた。
エミリアからしてみれば、白銀の髪に美しい空色の瞳を持ったダレンの方が世界で一番可愛らしく見えた。エミリアは瞳の色は藤色と美しいと称されるが、それ以外はそれほどまでの容姿ではないと自覚していた。
これまで参加してきたお茶会にはエミリア以上に可愛らしい少女は当たり前の如くに存在して、エミリアが褒められるのはその藤色の瞳と、エミリアの中に宿る希少な光の魔力くらいのものであった。
だからこそ、エミリアは誰よりも努力を重ねる少女となった。
自分の価値を少しでもあげるために、ダレンの横にずっと立って居られるように。
幼い頃からずっと一緒にいたのだ。ダレンの事を誰よりも一番よく理解し、傍にいるのも当たり前。けれどそれでも、周りが自分達をどう思うのかは、分かっていた。
だから、当たり前を当たり前と思わないように、エミリアはいつも背筋を真っ直ぐに正し、ダレンの横に立ってきた。
そう。異世界から後にレナ・タナカという聖女と呼ばれる少女が来るまでは。
聖女と言うには冷たい瞳の少女の手によって、頬を打たれた瞬間、エミリアは突然の事に何もできなかった。
「貴方から邪悪な気配がするわ。私が清めてあげる」
「え?」
次の瞬間、エミリアは反対の頬をまた聖女レナに叩かれ、さらに手があげられる。
聖女の突然の行動に皆が驚き、また、聖女のする事ゆえに止めに入れずに、エミリアの父は怒りに拳を握りしめた。
ダレンは慌ててレナに駆け寄ると、レナの手を止めた。
「聖女殿。どういうことです?」
その言葉にレナはにっこりと可愛らしい笑みを浮かべると、ダレンの腕へとしな垂れかかって言った。
「あら、この女から邪悪な気配がするから清めてあげたの。私がすることに文句でもあるのかしら? 婚約者様?」
皆にさらに動揺が走る。
エミリアは叩かれた頬よりも、胸に痛みを感じてダレンを見上げることしか出来なかった。
◇◇◇
エミリアの母は病弱であったが、エミリアと同じ光の魔力を持っていた。だが、だからこそ、よくベッドの上に横になりながらエミリアに言い聞かせた。
「エミリア。貴方の中にある光の魔力は、とても希少なもの。けれどだからといって驕ってはいけませんよ」
エミリアは、母の手を握りながら、頷き、優しい母の声に耳を傾けていた。
「愛しいエミリア」
病弱ではあったが、エミリアの母は、最期の時までエミリアを愛し、そして大切に思ってくれていた。エミリアの母が亡くなったのはエミリアが十二歳の時。
それまでの間に、エミリアの母は、エミリアに大切な事をいくつも教えてくれた。
「人との絆を大切にね。絆は、いずれ貴方の力になるわ」
「苦手な事でも、時間を掛ければある程度は出来るようになるわ。上手にならなくてもいいの。諦めないで、続けていくことは大事よ」
「貴方が愛されていたことをちゃんと覚えていて。愛は空腹は満たしてくれないわ。でも心を満たしてくれる。それは何より、大切な事よ」
母の傍で、エミリアはずっとそんな母の言葉を胸に刻んでいた。
母の言葉はまるで力を持っているように、エミリアの心の中でいつも温かく輝いていた。
そんな母が、死にぎわに、涙を流しながらエミリアに謝ったことがあった。
「エミリア……ごめんなさい……光の魔力なんてものを引き継がせてしまって……ごめんなさい。普通に産んであげられなくて……ごめんなさい……貴方のこれからの人生を、見守ってあげられなくて」
宝石のような美しい涙を見つめながら、エミリアは何故母がそんなにまで謝るのか、その時には理解が出来なかった。
光の魔力を母から引き継いだことで、ダレンの横にいられるのにどうして謝るのだろうと。
エミリアは幸せであった。
だから何故母が泣くのか、謝るのかが分からなかった。
ただ、その時には小さくなっていく母の声に泣いてすがりながら、母の事を呼び、愛していると伝えるので精一杯だった。
「エミリア、愛しているわ。たとえ死んでも、貴方を私は見守っているわ」
「お母様! お母様!!」
母の言葉の意味を理解するのは、それからだいぶ経っての事になる。
愛しい母との別れは辛く、悲しいものだった。
父が、涙を流す姿を、この時初めて見た。
寡黙で、仕事ばかりの父。けれど、母の姿を見て涙を流し、取り乱す姿に、母と父は愛し合っていたのだとエミリアは思った。
愛し、愛される。
当たり前のようで当たり前でない。
別れはいずれ、確実に人には訪れる。
エミリアはその両親の姿を見て、自分とダレンも、別れが訪れるまで、両親のように愛し愛される関係でいたいと感じた。
十三歳になったエミリアは、王太子妃の教育の為に王宮に赴くことが多くなり、それと同時に光の魔力を持つ乙女としての教育も始まった。
妃教育については、基本的には座学が多く、素直で勤勉なエミリアは順調に取り組んで行っていた。街へ頻繁に降りては慈善事業にも力を入れ、国民はその姿にこの国はさらによくなっていくと期待を持って見つめていた。
しかし、光の乙女としての、魔力の教育については苦戦を強いられていた。
「エミリア。今日はどうだったの?」
にこにこと笑みを浮かべるダレンとお茶を飲みながら、エミリアはその言葉にふんっと鼻を鳴らして言った。
「ダレン様。知っていて聞くのは意地悪です」
その言葉に、ダレンは笑い声をあげた。
「ははっ! ごめんごめん。君の口から話を聞きたかったんだよ。エミリアから話を聞いた方が面白いんだもの」
「まぁ。本当に意地悪だわ」
「うん。ごめんね。それで? 聞かせてくれないの?」
楽しそうにエミリアが話し出すのを待っているダレンに、エミリアはため息をつきながら今日あった事を話し始めた。
魔力を使おうと思って光の球体を出現させたまでは良かった。だが、それが大きくなりすぎて、止めようとした途端に、今度は大きくなった光の玉が分散して大量に発生し、庭を埋め尽くしたのである。
それはそれは美しい光景であったが、魔力の授業の担当の教師は頭を抱えたと言う。
希少な光の魔力故に扱い方が難しいのだ。
担当の教師も、使い方の分からない魔力だけに、どう使い方を教えたらいいのか困っているらしい。
ダレンはエミリアから話を聞き、にこにことほほ笑みながらエミリアの頭を優しく撫でた。
「とても美しい、幻のような光景だったって、皆口をそろえて言っていたよ」
「はぁ・・それは、確かに美しかったですけれど・・・上手く使えないのでは意味がないです」
「そうかなぁ?僕は、そうは思わないけれど。あ、いいことを思いついたよ」
にこりといたずらっ子のような笑みを浮かべたダレンを見て、エミリアは眉間にしわを寄せた。
「人を困らせる事は、いい事ではないですからね?」
「困らせないよ?ただ、夜に光の玉をたくさん飛ばしたら綺麗だろうなって。今日の夜、庭で見せて?」
「ダメですよ。ダレン様だってご公務があるでしょう?」
「ん?大丈夫。ちゃんと終わらせておくから。ね?お願い」
可愛らしくお願いのポーズをするダレンに、エミリアは苦笑を浮かべると頷いた。
ダレンはいつもエミリアが落ち込むと、それを打ち消してくれる、素敵な思い出に変えてくれた。
その日の夜にひらかれたお茶会は夢のように美しかったと言われ、空に昇っていく光は国民にも見えたと言う。その光を街の人々は見上げながら、王太子の婚約者の光の魔力を持つ乙女の噂を口にするのだった。
一緒に過ごす時間が長いほどに、エミリアはダレンの事をいつしか心から愛すようになっていた。
「エミリア! こっちに来て。ほら、これエミリアによく似合うよ」
十六歳になったエミリアとダレンは、仲睦まじく、今日もお忍びで街へと遊びに来ていた。
ダレンは街に来るといつもエミリアにはこれが似合う、あれが似合うと楽しそうに店ではしゃいでいた。そんな姿にエミリアは王太子教育は上手くいっていると聞くのに、いつまでも無邪気な人だなと笑みがこぼれるのだ。
「何笑っているの?」
髪飾りを手に取り、エミリアに当てながら、小首をかしげるダレンに、エミリアは言った。
「だって、ダレン様、いつも街に来ると子どもみたいなんですもの」
「え? そうかなぁ」
頭をポリポリと掻き、少しダレンは考えると笑みを浮かべた。
「子どもみたいというかね、僕がはしゃぐのはエミリアと一緒だからなんだよ?」
「え?」
ダレンはエミリアの髪に髪飾りを飾ると言った。
「好きな人と一緒に出掛けられるって、とっても幸せな事でしょう?」
さも当たり前のようなその一言に、エミリアは顔を真っ赤に染め上げた。
「すすすすすすす……好き……」
「え?」
エミリアが顔を真っ赤に染め上げたのを見て、ダレンは固まると、視線を逸らした。
その顔も耳も真っ赤に染まっており、両手で顔を覆うと言った。
「もう。エミリア。可愛い。ちょっと、こっちまで照れるからやめてよ」
「だ……ダレン様が急に変な事を言うからです!」
「変な事じゃないでしょう!?」
「え!? 当たり前なんですか!?」
「当たり前でしょう!? これまでもずっと一緒にいて、これからもずっと一緒にいるエミリアが好きじゃないわけないでしょう!?」
「ふぇえぇぇ?!」
店の中で、静かに主人がコホンと息をついた。
二人は顔を真っ赤にさせて、お会計を済ませると、静かに店を出た。
手を繋いで街を歩きながら、お互いにゆでだこのように真っ赤になりながら、道をずんずんと歩いていく。
そんな二人の初々しい姿に、護衛の騎士達は陰ながらにやにやと微笑を浮かべていた。
「本当に、仲がよろしいですねえ」
「あぁ。この国は安泰だろうなぁ」
「お似合いの二人ですものね」
護衛達からしてみれば、なんとも甘酸っぱい光景であり、背筋がむずむずとするような感覚である。
けれど、そんな二人の様子は、本当に幸せそうで、この幸福がずっと続けばいいと願ってしまう。
その知らせが王宮を駆け巡ったのは、突然の事であった。
「闇の力が蘇った!」
地響きがし、それと同時に激震が走る。
闇の力の復活。そしてそれと同時に王宮の聖なる神殿に一人の少女が舞い降りたのである。
少女の名前はレナ・タナカ。その知らせはエミリアの元にも届き、ダレンからはしばらくの間会えなくなると言う手紙と、妃教育や魔力の教育なども、闇の力の封印が行われるまでの間、一時中断と決定されたことが知らされた。
「闇の力……」
窓の外を見れば、青々としていた美しかった空は黒い闇の雲で覆われ、昼なのにもかかわらず、まるで夜のような暗さであった。
エミリアは父に呼ばれて書斎へと向かうと、そこには腕を組み、表情を曇らせる父の姿があった。
「エミリア。座りなさい」
「はい」
時計の針の音が響く中、侍女によってお茶の準備がなされると、父は侍女に下がるように伝え、部屋の中はエミリアと父の二人きりとなった。
父ウォルターは、紅茶を一口飲むと、ゆっくりとその重たい口を開いた。
「王宮からの知らせはあったな」
「はい」
ウォルターは頷くと、片手で頭を押さえて小さく息を吐いた。
「あくまでもここだけの話だが、これまでの歴史の中でも、聖女の降臨は今までもあった」
「はい」
エミリアは震えそうになる手を自身で押さえると、父の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「そして、ほとんどの聖女は……闇の力を封印した後に……王太子妃となっている」
ウォルターが何を言いたいのか、エミリアも予想は付いていた。だが、突然の事に頭がついていかない。当たり前が当たり前でないことはよく分かっていたはずなのに、それでも、運命を受け入れたくなくて、エミリアは引きつった笑みを浮かべてウォルターに尋ねた。
「で、ですが、そうなると決まっているわけではないですよね?」
それはエミリアの願望。
ウォルターにうなずいてほしくて縋るような視線を向けると、ウォルターは首を横に振って言った。
「本来であれば、闇の力の対応へ頭が向かうべきなのだがな……エミリア。私は今になってお前の母の言葉を思い出す」
「お母様の……言葉……」
「あぁ。お前の母は、ずっと気にしていた。光の魔力なんてものを継いでいなければ、もっと自由に恋をし、好きな相手と結ばれたかもしれないのにと。貴族の娘がそんな事が出来るわけがないと、私は苦笑交じりに返したが……今になって後悔している」
「お父様……」
ウォルターは大きくため息をつくと、立ち上がり、エミリアの肩に優しく手を置いた。
「覚悟を……しておきなさい。王太子との婚約は、なかったものになるかもしれない」
聖女が現れたと言う話を聞いた瞬間から、頭の中にその考えはあった。だが、ダレンと自分との婚約は昔から決まっていたことだから大丈夫だと、思いたかった。
けれど、そんなに簡単な問題ではないのだ。
闇の力を封印することが出来るのは、聖女だけ。
光の魔力では、封印することは出来ない。
つまり、王太子の隣には、聖女こそがふさわしいのだ。
エミリアは唇を噛むと、静かに涙が流れ落ちていくのを感じた。
「……お父様……ですが、私は……ダレン様をお慕いしています」
ずっとだ。ずっと一緒に育ってきた。ずっと一緒に笑いあって来た。ずっと一緒に学びあって来た。
この国の為に、一緒に頑張ろうと切磋琢磨してきた仲間であり、親友であり、そして愛しい人。
瞼を閉じれば、笑顔と声が蘇る。
『エミリア』
自分の名前を、愛おしそうに呼んでくれる声。
エミリアは、両手で顔を覆うと涙を必死に止めようとするが、一度泣き始めてしまえば止める事など出来ない。
「お父様……嫌です……嫌。私、私は、ダレン様が好き。こんなの……酷いわ……」
後一年。あと一年後にはきっと結婚していた。
二人で肩を並べて、一緒に国を支えて行こうと。
なのに、どうして?
「聖女だからと言って、結婚しなければならないと言うわけではないでしょう!?」
必死にウォルターの顔を見上げて声を上げると、ウォルターは静かに首を横に振った。
「聖女を元の世界に帰すことは可能だろう……だが、これまで異世界より来た聖女が帰る選択をしたことはない。王太子妃という立場は……闇を封印した褒章でもあるのだ」
「で、でも、聖女様が断ってくれれば、きっと!」
「……国に留まる以上、地位を与えないわけにはいかない」
「……そんな……嫌……嫌よ! 嫌! ダレン様は・・ダレン様はきっと断って下さるわ! 私を選んで下さる!」
「そうなった場合……どうなるか、お前にも分かるだろう?」
エミリアは口を噤んだ。
涙が溢れ、止まらない。
王太子として、いずれ国王となるのならば、聖女との結婚は絶対だろう。
国王になる為に、ダレンはこれまで誰よりも努力をしてきた。
その姿を一番近くで見てきたのは、エミリアだ。
彼の夢を、自分が潰す事など出来ない。
「……酷いわ……酷い……」
エミリアは、その日、父に縋るように鳴き喚くことしかできなかった。
闇を封印するために、王太子であるダレンと護衛の騎士団、そして聖女が共に旅立ってからエミリアは毎日のように祈りをささげていた。
ダレン様や、聖女様、そして騎士団の皆様がどうか無事で帰ってきますように。
その温かな祈りの光は街へと降り注ぎ、国民の希望になっていた。小さいながらも、触れると温かな光。それをもたらしているのが、光の魔力を持つ乙女だと、国民は知り、共に祈りを捧げた。
父ウォルターから婚約が白紙になるかもしれないと言う話を聞いた日から、エミリアは自分の中の感情をどうにか整理し、毎日夜は泣きながらも、最終的にはダレンの今後の為に自分はどうすべきかを考えるようになった。
結局自分が何と言おうとも、どう考えようとも、運命は変えられない。
それが分かっていながらも、自分の中にある恋心を消すことが出来ないことに、エミリアは自嘲めいた笑みを浮かべた。
けれど、仕方がない事なのだ。
物心ついた時には、すでにダレンが婚約者として傍にいた。
ダレンが傍にいることが当たり前だった。
そしていつしか抱き始めた恋心を、すぐすぐに打ち消せるほどエミリアの恋心は軽くはない。
好きなのだ。
愛しいのだ。
それを今すぐに忘れろと言われても、忘れられるわけがない。
だからこそ、エミリアは毎日祈りを捧げた。
どうか皆が無事に帰ってこれますように。怪我をしませんように。どうか元気でいてくれますように。
その願いが通じたのか、闇の封印に成功したと王宮に連絡が入ったのは、ダレンらが出立してから三か月の後の事であった。
三か月。あまりに最短なその知らせに、王国は歓喜に包まれた。
エミリアは神に感謝し、皆が無事に王宮につくまでどうか無事でいてくれますようにとさらに祈りを捧げるのであった。
それからさらに三ヶ月の後にダレンらが帰ってきた。王国は英雄らを歓迎し、皆が歓喜に包まれた。
「ダレン王子万歳!聖女様万歳!」
国中にその声が響き渡り、エミリアも王宮でダレン達を出迎えて涙を流した。国王や王妃、その他の家臣らが一堂に会し、皆が英雄らを褒め称えた。
「よくぞ無事に戻った!大儀であった。」
国王の言葉にダレンは堂々と笑顔で頷くが、エミリアは初めて見る聖女の姿にどこか違和感を覚えた。
聖女レナは黒目黒髪の美しい少女であった。長い髪の毛を一つに結い上げ、どこか不満げな顔で国王の前に立っている。
そして次の瞬間レナとエミリアの視線が重なり、エミリアは慌てて頭を下げた。
すると、レナは国王が話をしている最中なのにもかかわらずエミリアの方へとつかつかと歩いてくると、その目の前で足を止めた。
「ねぇ、貴方。」
冷たいその声に、エミリアは内心驚きながらも顔を上げると、次の瞬間頬を勢いよく叩かれた。
乾いたその音に驚いたのはエミリアばかりではない。皆が一様に目を丸くしてレナに視線が集まる。
呆然と叩かれた頬に手を当て、レナをエミリアが見上げると、レナは冷たい瞳でエミリアを見つめると冷ややかな声を上げた。
「貴方から邪悪な気配がするわ。私が清めてあげる。」
「え?」
次の瞬間、エミリアは反対の頬をまたレナに叩かれ、さらに手があげられる。
聖女の突然の行動に皆が驚き、また、聖女のする事ゆえに止めに入れずに、エミリアの父は怒りに拳を握りしめた。
ダレンは慌ててレナに駆け寄ると、レナの手を止めた。
「聖女殿。どういうことです?」
その言葉にレナはにっこりと可愛らしい笑みを浮かべると、ダレンの腕へとしな垂れかかって言った。
「あら、この女から邪悪な気配がするから清めてあげたの。私がすることに文句でもあるのかしら?婚約者様?」
皆にさらに動揺が走る。
エミリアは叩かれた頬よりも、胸に痛みを感じてダレンを見上げた。
「こん……やく……しゃ……」
レナの言葉に、エミリアは呆然とダレンを見上げていた。
ダレンは眉間にしわを寄せると、レナを睨みつけて言った。
「聖女殿。それは……」
だが次の瞬間国王がその言葉をさえぎって声を上げた。
「沈まれ。聖女レナよ。邪悪な気配とはどういう事だ?」
レナはにっこりとほほ笑みを浮かべると、国王の前に堂々と立ちはっきりとした声で言った。
「闇の魔力はしっかりと封印したわ。けれど、あの女から邪悪な気配がするの。聖女だからきっと分かるのね。あの女はきっとこの国に悪い事を呼び寄せるわ。邪悪な存在なのよ。」
その言葉に、ダレンと同行していた護衛騎士らが驚いたように顔を上げるが、国王の前で発言に異を唱えるわけにもいかずに唇をかみしめている。
国王は驚いたようにエミリアに視線を向けた。
レナはその様子にくすりと笑うと言った。
「国王陛下は、闇を封印した聖女を疑うの? 誰のおかげで、国が救われたと思っているのかしら?」
その言いように家臣らは眉を顰め、これが本当に聖女かと驚いたように顔を歪める。
「それ……は……」
「異世界から突然呼び出されたけれど、ちゃんと闇は封印してあげたわ。ちゃんとご褒美はもらわないとね。私疲れたわ。ゆっくりお風呂に入って、ご馳走を食べて、これからはダレンのお嫁さんとして、のんびりお姫様として過ごさせてもらうわね。あぁ、ちゃんとその邪悪な女、どうにかしてね。さぁ話はおしまい。そこの人。私を部屋に案内して頂戴」
そういうとレナは楽しげににっこりと笑みを浮かべると、近くにいた騎士にそう声を掛けた。
騎士は驚いたが、国王と視線で頷き合うと、レナを別室へと案内していくのであった。
レナが去った後、その場はしんと静まり返り、国王の深いため息が聞こえた。
ダレンはエミリアを助け起こそうと手を差し伸べようとしたが、それを、エミリアの父が制し、首を横に振った。
「殿下……今、我が娘に触れるべきではございません」
「何を?」
ダレンの困惑する様子に、ウォルターは首を横に振ると視線を巡らせ、そしてエミリアを助け起こすと国王へと頭を下げた。
その様子を見たダレンは慌てて国王へと声を上げた。
「国王陛下! 聖女レナはきっと何か勘違いをしたのです! エミリアから邪悪な気配がするなど……そんなわけがございません!」
皆が、国王の言葉を待つ。
異世界から来た聖女。
その力を示し、闇を封印した。
それは事実。
今まで聖女が問題を起こした前例などなく、だからこそ国王は苦々しげに顔を歪めると、立ち上がり、声を上げた。
「エミリア嬢を牢へと入れよ。」
「父上!」
ダレンの悲痛な声が響き、騎士らはエミリアの前に立つが、ウォルターがそれを制し、震えて青ざめる娘を抱き上げると言った。
「私が連れて行く。牢へ案内してくれ」
「ロラン公爵! エミリアを連れていく必要はない!」
ダレンが声を上げるが、ウォルターは首を横に振り、騎士らに先導されて歩いていく。
エミリアは、がたがたと震えながら父にしがみつき、そしてダレンに視線を向けた。
ダレンは顔を青ざめさせ、エミリアを見つめていた。
エミリアは、突然訪れた別れに、震えながらも唇を動かした。
『おかえりなさい』
声は出なかった。けれど、その唇の動きを見て、ダレンははっとしたように頷き、そして唇を噛むとまっすぐにエミリアを見つめた。
エミリアは、震えながらも、ダレンや騎士らが無事に帰ってきてくれたことを感謝し、そして父の胸に今後の事を思い、しがみつくしかなかった。
◇◇◇
レナは豪華な部屋に案内され、そして温かいお風呂に入ると侍女を下がらせて一人、風呂を満喫していた。
「ふふふ。ふふ。ふふふ!お風呂最高!」
この世界に来てから、驚きの連続で、こんなにゆっくりと出来た日などなかった。
日本から突然このシンファニア王国へと転移し、聖女だと言われ、闇を封印してほしいと言われ、言われるがままに旅に出た。
だが過酷な旅を予想していたのに、思っていた以上に過酷な旅では無かった。
移動は基本的に馬車であるし、護衛の騎士はたくさんついているし、何よりもかっこいい男性がたくさん自分を甘やかしてくれるのである。
文句と言えば風呂とトイレくらいのもので、食べ物だって質素だったわけではない。
そして何より旅にはダレンがいた。
王子様でかっこよくて、優しいダレン。そんな彼が自分の事を気遣ってくれる。それだけでレナは毎日が楽しかった。
周りの人達も聖女はいずれ王太子であるダレンと結婚するかもしれないと噂しており、それもレナの気をよくさせた要因の一つだった。
だがしかし、旅が進むにつれて道は険しくなっていく。そんなある日、暗闇に道が閉ざされ、皆が焦りを見せた。
「聖女様。どうか暗闇に光をもたらせないでしょうか?」
そう懇願されても、レナが教えられたのは闇の封印の方法だけであり、光なんてものを出現させる事なんてどうやればいいのか分からなかった。
「出来ないわよ。教えてもらってないもの。私の役目は闇を封印する事だけよ。それ以外は貴方達が何とかして」
レナにとってはそれが当たり前だし、何より自分は異世界からわざわざこの国に来てやったのだ。突然出来ない事を言われても困る。
だがその一言で、次第に周りの人々の対応が徐々に変わっていくのをレナは感じ取った。
最初は自分に媚び諂っていた者達が、次第に冷たくなっていった。
「私は聖女なのよ! 大切にしなさいよ!」
馬車の中で声を荒げむくれていたレナだったが、突然馬車の外が明るくなり、窓の外を見ると、そこにはまるで妖精のような美しい光がただよっていた。
「何あれ……」
光は暗闇の中を、道を示すように輝く。
レナは窓を開けてダレンに尋ねようと視線を向けた。
すると、光に手を伸ばし、愛おしそうにダレンが呟いたのだ。
「エミリア……ありがとう。傍にいなくても、君は僕達を思ってくれているんだね……」
その姿を見てレナは眉間にしわをよせた。エミリアと言えば、ダレンの婚約者であると話を聞いたが、レナが現れた時点で、婚約者ではなくなるだろうとの噂も聞いていた。
「何あれ……聖女と王太子は結婚するんでしょう? はぁ? 意味が分からない」
レナは他の護衛の騎士達に視線を向けると、他の者達も、まるで感謝しているように光に手を伸ばし、その温かさを感じている。
「はぁ?」
光はレナの元にも現れ、レナの周りを温かく照らす。
レナはその光を振り払うと、窓を閉め、足を組んだ。
「あんな光が何だっていうのよ。闇を封印できるのは私なのに!」
それからも事ある毎に光は現れ、道を明るく照らす。
暗闇の中の光は美しいが、レナにとってはうっとおしくて仕方がない。しかも光は怪我をした者達を癒し、そればかりかダレンが闇の化物に襲われた危機をも、救ったのだ。
レナはその様子を馬車の中から見て、地団太を踏んだ。
「何よあれ……私が聖女なのに……エミリアっていう女の仕業なの?ふざけんなよ。私が皆にちやほやされるはずなのに……あの光のせいで……私はお荷物みたいな扱いじゃない!」
旅が進むにつれてレナは見た事もないエミリアに苛立ちを募らせていった。そして、闇を見事に封印した時すら光が周りに漂っていたことに怒りを感じたのだ。
「聖女殿。感謝します」
ダレンの言葉に、レナは笑みを浮かべるとその腕に抱き着いて言った。
「いいのよ。でもこれで私が聖女だって証明されたでしょう?」
「ええ。貴方には感謝してもしきれません」
「なら、ちゃんと私をお嫁さんにしてね」
その言葉を呟いた瞬間、ダレンは驚いた様子でレナから離れて言った。
「すみませんが……僕には婚約者がいるので」
「でも、聖女と王太子は結婚するものなのでしょう?」
美しいダレンを手に入れたいとレナはにやりと笑みを浮かべてそう言った。あの光の事は気に食わないが、闇を封印したのはレナだ。だから、自分の意見が通るのが当たり前と、そう、レナは思っていた。
「……いや、確かに闇を封印したのは貴方ですが……これほどまでに旅が順調に行ったのは、光の魔力の使い手であるエミリアのおかげで……その功績は貴方と同様と僕は考えています」
「は?」
レナはその言葉に顔を歪めた。
あの時のあの瞬間のことを思い出しレナは風呂場の水を勢いよく叩きつけると、唇を噛んだ。
「あの女が何をしたっていうのよ……でもいい気味。国王ですら私の意見は蔑には出来ないでしょう?こういうのは先に言ったもの勝ちよ。ふふふ。今頃あのエミリアっていう女も、牢の中かしらねぇ」
部屋に入った瞬間に、あの光と同じ気配のする女に気付いた。ダレンが愛おしげにあの女を見ているのが気に食わなかった。
けれど、聖女の言葉を疑えるわけがない。
「これで私とダレンの結婚も早まるはずよねぇ~。ふふふ。いい気味。あー。お風呂に入ったら美味しいご飯をお腹いっぱいに食べよーっと」
レナは手足を伸ばして、にっこりとほほ笑みを浮かべた。
その頃、エミリアは貴族用の牢の中へと入れられ、震える体を父であるウォルターに抱きしめられていた。
「お……お父様……私……私は一体どうなるの?」
震える声に、ウォルターは静かに、冷静に言葉を継げた。
「……聖女様の言葉を国王陛下がどう対処されるかによるが……よくて幽閉か国外追放……悪くて、処刑だろう」
「……処刑……」
エミリアは父のウソのない言葉に、ゆっくりと深呼吸を繰り返し、そして、頷くと父の腕の中から出て、背筋をただした。
「お父様……わかりました。私を勘当して下さって構いません。これまで、お世話になりました」
自分が一族の中にいれば、ロラン公爵家の立場も悪くなるだろう。エミリアは決心を固めるとそう言ったのだが、その言葉に、寡黙な父が苦笑を浮かべた。
「っは……そういう所、母にそっくりだな」
「え?」
「お前の母も、そうしたところは肝が据わっていた。だがね、エミリア。私はね自分の娘と運命を共にする気でいるんだ」
「ですが……」
「それに私もお前をみすみす処刑させはしない。これから国王陛下と話をしてくる。一人で……待てるかい?」
父の言葉に、エミリアは拳を強く握りしめると、ゆっくりと頷いた。
「……ダレン王子のことは……いや、何でもない」
ウォルターはそう言うと立ち上がり、牢から出ると階段を上がって行った。それをエミリアは見送ると、牢の中で小さく息を吐いた。
「……私は、邪悪なのかしら……確かに……聖女様がダレン様と結婚するのが嫌で、泣いてしまったわ。もしかしたらそれが邪悪な考えということ……なのかしら……」
何故自分が突然頬を叩かれ、邪悪な存在であると言われたのかが分からなかった。ただ、ダレンの腕に腕をからめる聖女の姿を思い出すだけで、涙が溢れそうになる。
「……ダレン様……」
嫌だった。
ダレンの横に、違う女性が立っているという事が、その事実が。
いつからこんなに弱い女になってしまったのだろうかと胸が苦しくなる。
当たり前を当たり前と思ってはいけないと自分に言い聞かせていたつもりだった。それが無駄であったのだとエミリアは感じながら、苦笑を浮かべた。
「けど……無事に帰ってきてくださった」
闇を封印する旅は過酷なものだと歴史書には残されていた。暗闇の中で自身の自我を失わずに、闇へと立ち向かう勇気を持つことの難しさ。
歴史書を読みながら、何度も祈った。
ダレンが、聖女様が、護衛騎士の皆が無事に帰ってきてくれることを。
今回は、誰一人死ぬことなく帰ってこれたという。
奇跡が起きたのだと、エミリアは心から神に感謝した。
「おかえりなさい。無事に帰って来てくれた。本当に……本当に良かった」
ダレンの姿を思いだし、エミリアは儚げに笑みを浮かべ、そして自分はこれからどうなるのだろうかとベッドの淵に、頭をもたげるのであった。
エミリアが牢に入れられ、一か月と言う時が流れていった。
その間にも、ダレンは国王に旅の中でエミリアに助けられた事を伝え、聖女の証言が疑わしいという事を訴えていたが、これまでの歴史の中で聖女がそのようなことをしたと言う事実はなく、また聖女の言葉を覆せる証拠がなかったために国王も頭を悩ませていた。
「父上! エミリアが邪悪な存在などと、そんなわけがありません!」
ダレンはエミリアに会いに行くことを禁じられ、それでも毎日国王に直談判に向かっていた。
ダレンの言葉に国王は大きくため息をつき、そして頷いた。
「私も、エミリア嬢がそのような存在だとは思っていない。だが、闇を封印してくれた聖女の言葉を覆すことが出来ない。……ダレン、それはそなたも分かるだろう」
「何故……何故聖女殿はあのようなことを……くそ」
このままでは近いうちにエミリアは幽閉か国外追放か、最悪処刑である。ダレンもそれを感じ取っており、その瞳は聖女に対する怒りに燃えていた。
「エミリアのおかげで、我々は誰一人欠けることなく旅を終えられたと言うのに……」
国王はその言葉に深くため息をつくと、立ち上がり、窓の外へと視線を向けた。
空は明るく、太陽の光が地上を照らす。
「だが、闇を封印したのは聖女だ。彼女の功績も大きい。ダレン……お前はいずれ王となる存在だ。冷たく聞こえるやもしれんが……今回の件については、割り切るのだ。お前は聖女と結ばれる運命だったのだ」
「父上! 何を言うのです!」
「お前が……それを受け入れると言うのであれば、隣国へと国外追放と言う形でエミリア嬢を逃がしてやろう」
ダレンはその言葉に唇を噛み、拳を強く握った。
大勢の前で邪悪な存在として聖女に告げられてしまったエミリアは、貴族の中でも早く処刑した方がいいのではないかという話題があがっている。
闇がまた復活するのではないかと、皆の中に、疑心が産まれている。
ダレンは強く握りしめた拳から血が流れ落ちるのを感じながら、震える声で言った。
「……僕は……エミリアを……愛しているのです」
「お前は王となる者だ。それに、エミリア嬢の今後を思えば、お前は傍にいない方がいいだろう。話はこれまでだ。下がれ」
ダレンは頭を下げ、王の部屋より外へと出た。
足取りは重く、心はさらに重い。
そんな時、庭の方から楽しげな笑い声が響いて聞こえた。
「あ! ダレン様! 会いたかったわ! 一緒にお茶でも飲みましょうよ!」
豪華絢爛な衣装に身を包んだ聖女レナは、楽しげに声を上げてダレンの方へと駆け寄ってきた。
腕へとまとわりつかれ、ダレンはそれでも聖女を振り払うことが出来ず、怒りを我慢しながらレナへと視線を向けた。
「すみませんが、今は時間がないので」
「えー? 何で? 聖女レナが言っているんだから、ちゃんと聞いてよ」
腕を引っ張られ、無理やり席へと座らされたダレンに、レナは楽しげな声で言った。
「早く結婚したいわ。私もっともーっとダレン様と一緒に過ごしたいの。ダレン様だって、早く私と結婚したいでしょう?あのエミリアっていう女、早く処刑しちゃえばいいのにねー」
その言葉に、ダレンは愕然とした表情でレナを見た。
レナは楽しげに笑い声を上げると、下品にもお茶を一気に飲み干した。
「あ、そうそう。国王様に聞いたら、まだエミリアとダレン様の婚約破棄を宣言していないんですってね。ちゃんと神様の前で宣言してね。だって、ダレン様の婚約者は私でしょう?」
レナはそう言うと、くすくすと笑い、ダレンの顔を覗き込んで言った。
「ダレン様は幸せ者ね。私みたいな可愛い聖女と結婚できるんだからさ。あのエミリアっていう女、結構地味な感じだったものねぇ」
ダレンは怒りを笑顔で押さえつけると立ち上がり、明るい口調で言った。
「すみませんが、まだ仕事が残っているので。では、失礼」
「えー。もう。でも仕事ならしょうがないね。じゃあねー」
ダレンは立ち上がるとさっさとその場から離れ、そして、怒りに燃える瞳で廊下を歩きながら護衛騎士に声を掛けた。
「……もう、我慢できない。準備を進めろ」
すでに護衛騎士らの心は固まっている。
その忠誠は、ダレン王子とエミリア嬢へ。
「はっ……」
ダレンは今までエミリアに見せた事のない冷たい表情を浮かべていた。
エミリアは牢の中で大きく息を吐いた。
どれくらいの時間が流れ、どれくらいの涙を流しただろう。食事は喉を通らず、体重も減ってしまった。
「ついに……時が来てしまったのね」
国王陛下より、神殿で裁きを言い渡すとの旨を知らされた。
怖い。
自分は一体どうなるのだろうかという不安が、胸をよぎっていく。
身支度を最低限整えるが、痩せてしまった体に、以前のドレスはぶかぶかになっておりかなり見た目が悪い。
一歩歩くごとに、気怠い感じが広がっていく。
父は時間があれば自分の所へと顔を出してくれたが、ダレンは来てはくれなかった。仕方がないだろう。邪悪な存在と言われた自分に会っては、きっと王太子としての立場が悪くなる。
そう。
ダレンの事を思えば、自分は離れた方がいいのだ。それなのに、未だにダレンに捨てられたくないと言う思いが胸の中で渦巻いてしまう。
自分は何て傲慢な女なのだろうか。
「ダレン様……」
小さく名前を呼んでしまう。
会いたい。けれど、会いたくない。きっと会えばそれが最後の別れの日だろうから。
神殿へと足を踏み入れると、王座に国王、その横に、ダレンと聖女レナの姿があった。父ウォルターは入口でエミリアを待ち、そしてエミリアが神殿へと入るとその横に立った。
神殿の教皇は正面に正装姿で立っている。他にも宰相や、有力な貴族らがその場にはおり、建物のわきには護衛騎士らが控えていた。
ダレンの腕に、レナがしなだれかかり、そして楽しげな表情でこちらを見つめていた。
あぁ。
別れの時なのだ。
国王が神殿の中央に進み出たエミリアに言葉を述べた。
「エミリア・ロランとダレン・オラ・シンファニアの婚約を破棄することを、ここに宣言する」
静かなその声が、神殿の中に響き渡る。
神の前にて告げられた言葉。
エミリアは恭しく頭を下げる。
泣いてはダメだと自分に言い聞かせようとしても、瞳からは涙が流れ落ちる。
その時、神殿の静寂の中に聖女レナの笑い声が響き渡った。
「ふふふ! いい気味ねぇ!」
神聖な場に似つかわしくないその声と言葉に、皆の視線が一様にレナへと集まった。
レナは楽しげにダレンの横からエミリアの前へと進み出ると、はっきりとした口調で言った。
「ダレン様は私のものよ。ふふ。残念だったわねぇ。エミリアさん」
その嘲るような言葉と、口調にその場にいた皆の表情が歪む。
これが聖女か。
皆がそう思いながらも、闇を封印した事実がある以上それを口にすることが出来ない。
そう。自分の地位や立場を気にするならば、出来ないはずだった。
「申し訳ないが聖女殿。僕は君のものになった覚えはない」
ダレンの声が響き渡り、視線がダレンへと移される。
国王はその行動に静かに小さく、誰にも気づかれないように息をついた。ばれてはいけない。計画は始まったばかりであり、国王は王太子の言葉に考えを改める決意をしたのだ。
「は? ダレン様。どうしたの?ダレン様は私の婚約者になるのでしょう?」
レナは動揺し首を傾げるが、ダレンは迷うことなくエミリアの前へと移動すると、エミリアの細くなった手をとり、顔を上げさせた。
「エミリア。待たせて、ごめんね」
「……ダレン……様?」
護衛騎士らが動き、ダレンとエミリアを守るように囲み、立った。
その様子に貴族らからも動揺の声が上がる。
「どういうこと?」
「これは……」
レナはダレンに向かって声を荒げた。
「ダレン様! ふざけないで。こっちに来て。貴方は私の婚約者でしょう! この国は、聖女を王太子の婚約者とするんでしょう!?」
その言葉に、はっとしたように息を飲む声が聞こえた。
エミリアは視線を泳がせ、それでも優しく自分の手を握るダレンの手をぎゅっと握り返した。
「ダレン様……」
「もう、大丈夫だからね」
ダレンの優しい声に、エミリアの胸はぎゅっと締め付けられた。
「ダレン様……ダメ……です 」
エミリアは首を横に振った。自分は聖女に邪悪な存在と言われてしまった。
そんな娘の手を取るなんて事があってはならない。何より、ダレンが何をしようとしているのか、それがエミリアを不安にさせた。
けれど、ダレンは優しげな瞳で見つめ、エミリアの頭をぽんぽんと撫でると言った。
「エミリア。ごめんね。こんなに痩せてしまって、辛かったでしょう? 準備に時間がかかってしまってね。疑われないように会いにも行けず……遅くなってすまない」
「ダレン様……」
「大丈夫だからね。……国王陛下。神聖なる神殿での発言の許可を願います。」
ダレンが声を上げ、国王は静かに深く息をつくと頷いた。
「許可する」
「ありがとうございます。教皇様。私がこれより発言する言葉は、決して神を冒涜する意味ではありません。それをご理解ください。」
教皇が頷いたのを見て、ダレンは皆に聞こえるように堂々と声を上げた。
「神の前にて、ウソ偽りのない発言をすることをここに誓います。国王陛下、教皇様、また貴族の皆々。僕を含めた護衛騎士と聖女とで闇の封印を成し遂げた事は間違いはありません。けれど、僕は、それを我々だけの力によって成し遂げられた事とは考えていないのです」
ダレンはエミリアに視線を向けてから、はっきりとした口調で言った。
「我々は何度も闇に飲み込まれ、暗い道を気が狂いそうな中走り抜けた。その時、支えてくれたのは聖女の力ではありません」
「ダレン様! ふざけないで!」
レナが声を上げるが、ダレンは止めない。
「暗い闇の中で、僕達を導いてくれたのは、エミリアという光の乙女です」
その言葉に、貴族らから驚きの声が上がる。だが、それと同時に懐疑的な視線がエミリアへと向けられた。
「何が光の乙女よ!」
レナの言葉に耳を傾けずに、ダレンは言った。
「僕や他の護衛騎士らが神の前にウソ偽りない発言だと誓って言います。また、エミリアの屋敷に務める使用人達からもエミリアが僕達の為に毎日神に祈りを捧げ、光の魔力を使っていたのを見たとの証言も得ています。また国民らもその光を見ています」
「そんなのウソかもしれないじゃない!」
地団太を踏むレナに、ダレンはにっこりとほほ笑みを浮かべて言った。
「神の前での偽証は処刑に値します。国民、使用人、護衛騎士、それに僕、皆がウソをついて、エミリアの為に命を捧げると?」
「そ……それは……」
ダレンは教皇へと視線を変えて言った。
「しかし、この発言があろうとも、聖女殿のエミリアが邪悪な存在であるとの言葉を覆すことは不可能でしょう。何故ならば、聖女は国に幸せと平穏をもたらす存在として絶対の地位がこの国にはあるからです。ですが、私は皆に問いたいのです。確かに聖女は闇を封印してくれたこの国の恩人です。ですが、だからと言って、聖女の言っている事が全て真実だと、証明することは出来るのでしょうか」
皆の視線が、自然とレナへと集まっていく。
レナはその視線に一歩後ずさると、皆を睨みつけて言った。
「な、何よ! 私が嘘つきだって、言いたいのね!? 闇を封印してあげたのに! 私を馬鹿にするのね! ふざけないでよ。私はこの国に来てあげたのよ!もう! 早くあのエミリアって女なんて処刑しちゃってよ!」
その言葉に、その場にいた皆の顔が歪む。
こんな女を、この国の王太子妃とするのかと、皆が疑問に思う。
教皇はその様子を見て、国王とダレンへと視線を向けた。そして、ゆっくりと静かに口を開いた。
「聖女は神によってこの国に平穏をもたらす存在であり、大切にしなければならないと伝えられております。ですが、聖女がウソをつかない存在であるとは、記録には残っておりません。また、今回の聖女様の様子や発言は、あまりに聖女様にふさわしくないものばかりかと」
「な、何ですって!?」
「ダレン第一王子殿下は、結論として、何を言いたいのか、お聞かせ願えますか?」
教皇の言葉に、ダレンはエミリアの手をぎゅっと握って、はっきりとした声で言った。
「エミリアに救われたのは事実。そして、僕はエミリアを邪悪な存在とは思えません。故に、彼女が邪悪な存在ではないと証明するために、彼女の傍にいる許可を、国王陛下にいただきたいのです。」
その言葉に、場がざわついたのであった。
「つまり。王太子の座を退くと?」
国王の言葉に、ダレンは頷いた。
「はい。王太子の座は、弟に」
エミリアはその言葉に、慌てて首を横に振った。
「ダメです! ダレン様。私は貴方がこれまでどれほど頑張ってきたのか知っています!」
「エミリア。決めた事なんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! ダレンの弟って……え……ちょっと! 私はダレンと結婚したいのよ!」
レナの声に、ダレンは爽やかな笑顔で答えた。
「僕の弟は今年生まれたばかりのだけれど仕方がない。聖女殿は王太子妃となるとされているし、聖女殿が邪悪な存在と言った彼女を、放っておくことは出来ないでしょう?」
「はぁぁぁぁ? 赤ちゃんじゃない!」
「そうですね。あぁ、年齢的に彼が成人するころには貴方の妊娠が難しいかもしれないので、特例として、王太子妃の座だけ貴方が座り、弟には年齢に見合った結婚相手が宛がわれるかもしれませんが」
「どどどどどういうことよ! ちょっと、そんなの認めないわよ!」
教皇は笑みを浮かべると言った。
「それならば、第二王子殿下が成人するまで十八年はありますから、それまでの間に王太子妃教育と聖女としての教育を、しっかりとできますね」
「はぁぁぁぁ!? 教育って何よ! 嫌よ! 私、勉強大っ嫌いなんだから!」
「ははは。何を。王太子妃となるのですから、勉強はあるに決まっているでしょう」
レナの顔が次第に青ざめはじめ、首を横にブンブンと振った。
「嫌よ! そんなの! 私は、のんびりだらだらするんだから! 聖女のいう事を聞きなさいよ!」
ダレンはにっこりとほほ笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。十八年もある。エミリアも小さい時からこつこつと頑張って、すでに全ての科目見事な成績を収めています」
「はぁぁぁ!? 十八年もかけて学べって!? ふざけないで! 嫌よ! 私はダレンと結婚するの!」
「僕は王太子から退きますから。申し訳ありません」
「なら結婚なんてしないわ! もう嫌よ! 赤ちゃんと結婚なんて絶対に無理! それなら元の世界に帰った方が百倍ましよ! 元の世界に帰して!」
レナの言葉に、ダレンと国王、そして教皇がうなずきあうのを、エミリアは見て驚いた。国王が手を上げると、その場に神殿の者達が集まり始める。そして、ダレンはエミリアを抱き上げて中央の位置から下がった。
「ダレン様?」
「ふふふ。上手くいっているよ」
「え?」
エミリアは突然の事に驚く。
レナを中央にして神殿の者達が取り囲み、教皇はレナに向かって言った。
「あぁ、聖女様。もし、ウソ偽りの発言をしていた場合、元の世界に返るのに問題が生じるかもしれませんが、ウソなどはついていませんね?」
「は?」
「当然でしょう。神は全てを見ているのです。聖女がウソをついていたとなれば、元の世界に必ずしも戻してくれるとは限りません」
「え? え? ちょっと、待ってよ。何を言っているの!?」
「あぁ時間がありません。大丈夫ですか? ウソはついていませんね? ウソをついて別世界に飛ばされるなんてことになったら、大変ですから。」
「は? は? え? ……ちょっと、待って! 待ってよ!」
「聖女様、国を救っていただき、本当にありがとうございました」
「嫌! ちょっと待って! 嘘をついたわ! 邪悪な存在って言ったのは嘘よ! だから違う国に何て飛ばさないで! 元の国に返して!!!!」
「おや、それは大変。良かった。正直に言ったのでちゃんと元の国に帰れるでしょう」
「本当に!?」
「ええ。聖女様、この国を救っていただき、本当にありがとうございました」
次の瞬間、レナの周りが輝き始め、光に包まれてその場はまばゆく輝いた。そして、レナの姿は消え、皆がぱちくりと瞬きをした。
国王は、顔を大きく歪めると、堪えきれずに大きな声で笑い始めた。
「はっははっは! やはりウソであったか。エミリア嬢。ダレン。前へ来なさい」
ダレンはにこやかにエミリアを抱きかかえて前へと進むと、国王の横へと立った。
国王は、笑い声を収めると、その場にいた者達にはっきりとした口調で言った。
「皆の者、突然の事に動揺していると思うが、事の顛末を話そう」
国王はそう言うと、今回訪れた聖女に疑問を抱いていたことを皆に話をし、王太子であるダレンとそして教皇と協力して今回の騒動を起こした旨を伝えた。それ故に、今回の婚約破棄も無効であると知らされた。
集められていた貴族らは、顛末に驚いたものの、聖女の偽りによって本来王太子妃として問題のなかったエミリアが裁かれなかったことに安堵した。
そもそも王太子であるダレンと婚約者であるエミリアの仲が良い事は貴族中が知っている事であり、それ故に今回の聖女騒動で胸を痛めていたものも少なくない。
「だが、今回は聖女が関わっていた騒動故に、下手な事をすることも出来ず、皆には迷惑をかけた。だが、私は王太子はダレンが正統であると考えている。異議のあるものは?」
異議を申し立てるものはおらず、皆が王太子としてダレンを認めているのだとエミリアはほっと胸をなでおろした。だがしかし、だからといって、自分が本当にダレンの横にいていいのか、エミリアは不安からダレンに視線を向けた。
すると、ダレンは皆の前だというのにエミリアを抱きしめ、そして言った。
「本当に良かった……」
「ダレン様……」
その中の良い姿に皆が微笑ましげに視線を向けている。
国王は大きく安堵の息を吐くのであった。
元々、事前に話を聞かされた国王であったが、その当初はダレンも、ダレンの護衛騎士らも皆本当にエミリアと共にこの国を去る決意を固めていた。その話はロラン公爵にも伝えられており、その言葉を聞いた瞬間、国王は自らの考えを改めることにした。
この国は聖女というものに縛られ過ぎていた。
これまでの歴史の中でも聖女が現れた時には必ず王太子妃となっていた前例があったからこそ、今回の聖女もそうすべきだとした。だが、聖女の性格をかんがみ、聖女とは本当に清らかでありこの国に平穏をもたらす存在なのだろうかと言う疑問が生まれた。
それは神殿も同様であり、教皇も交えて話をした結果、今回の騒動を起こす事となったのである。
聖女にはもちろん感謝している。だが、それでも聖女がこの国の王太子妃にふさわしいとの結論に皆が至らなかったのである。
ならばどうすることが最善か考え、そして自らの意思で元の世界に帰ってもらうのが一番との結論に至った。
そうするためには、聖女の口自ら国に帰りたいと言わせる事。そして、エミリアへの言葉がウソであることを告げさせる必要があったのだ。
エミリアは場所を移してから細かに話を聞き、顔をうつむかせると口を開いた。
「あの……ですが、聖女様が闇を封印して下さったのは事実で……本当によろしかったのですか?」
国王は、自分が牢に入れられ、処刑されたかもしれないのにもかかわらずそう言える彼女に感服しながら、笑顔を向けた。
「あぁ。それに、感謝の気持ちを込めて、ドレスや宝石などは一流の物を渡してある。王太子妃の立場よりは安いが、それでも、かなりの額にはなるはずだ」
「そう……ですか」
エミリアはダレンの膝の上に抱かれ、後ろからしっかりと抱きしめられている。
その様子に、国王は言った。
「……そなたらを引き裂かない結果になって、本当に良かった。牢になど入れ、本当に申し訳なかった」
エミリアは首を横に振ると、ダレンの手をぎゅっと握りしめて言った。
「……いえ……今、ダレン様の傍にいられることに、本当に感謝申し上げます」
「はぁ……本当に良かったよ」
ぎゅっとまだ抱きしめられ、エミリアは顔を真っ赤に染め上げるのであった。
真っ白な純白のドレスを身に纏い、その髪には白い花々が美しく飾られている。
「エミリア。本当に綺麗だね。やっぱり、エミリアには白色が一番よく似合うよ」
「ダレン様」
にっこりと嬉しそうに微笑むダレンは、エミリアの髪に優しく触れると言った。
「小さな頃からさ……エミリアの髪に白い花が飾られるたびに、今日と言う日を待ち遠しく感じていたんだ」
「え?」
「早く結婚したかったってこと」
「ダレン様。ふふ。嬉しいです」
にっこりとほほ笑むエミリアは、可憐で、ダレンは頬を赤らめると言った。
「何度も……暗闇の中で、エミリアの事を想ったよ。エミリアの温かな光を感じて、だから、僕はここに戻ってくることが出来たんだ」
「ダレン様……私は、もうダレン様の横には立てないのだと……思っていました。だから、今、ここに、貴方の傍に立てて、私は嬉しいです」
「うん。……ずっと傍にいてね」
「はい。ずっと一緒にいさせて下さい」
歓声が聞こえた。
国民が聖女が元の世界に帰ってしまった事に落胆することはなかった。なぜならば、王太子の横にこれまでずっと背筋をまっすぐにのばして立っていた光の乙女の存在を知っていたからだ。
世界が闇に包まれた時、国中に、小さいけれど温かな光をもたらした乙女。
少女が知らないだけで、その光は、国民に希望をもたらしていた。
「王太子殿下万歳! 王太子妃殿下万歳!」
聖女がいなくても、この国には平穏な時が刻まれていくであろう。
おまけ ↓
聖女レナ。改め、田舎でちょっとだけ粋ってる田中玲奈が日本に帰ってきたのは、高校の卒業式の、校長先生が涙ながらに挨拶をしている時であった。
「我が校では半年前に田中玲奈さんが行方不明になり……悲しんでいる友人も……彼女も今日が卒業の予定で……」
ハンカチを手に、涙を流す学生達。
そんな中、校長の頭上から、豪華絢爛なドレスを纏った田中玲奈が落ちてきた。
「きゃぁぁぁぁ!」
「ふぎゃぁぁぁ」
校長はフリルだらけのドレスを身に纏った田中玲奈に押しつぶされて悲鳴を上げ、そしてそのつるつるの頭にかぶさっていたカツラが飛んだ。
シンと静まり返る会場。
田中玲奈は顔を青ざめさせて、舞台の上で皆の視線を集めていた。
ドレスはフリルだらけで、化粧はぶあつめの白塗り。髪の毛にはごてごてしいリボンをこれでもかというくらいにあしらっていた。
「み……みないでぇぇぇっぇぇ!」
田中玲奈は、悲鳴を上げた。
彼女がその後どうなったのか、シンファニア王国にはもう、届かない。
おしまい
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【婚約破棄された聖女はのんびり働きたい~突然皆様に求婚されてもお断りです!~】
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