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決戦の中間テスト

 結論から先にいってしまえば、白雪が中間試験で勝てる確率は大体六割から七割ぐらいだ。

 白雪希美が問題を取りこぼすという前提と、白雪がその逆で、取れる問題を取りこぼさないという二つの前提が成立してようやくといったところだが、勝機がないわけじゃない。

 むしろ、この一週間で六割から七割まで……五分以上に持っていけたのは非常に大きい。


 最後の課題として渡していた、参考書や問題集の類から引っ張ってくるのではなく、中間試験の範囲内で作った模擬テストの結果を見て、俺は大きく頷いた。


「よし……よくやった、白雪。あとは緊張しないで、いつも通りにやればいけるはずだ」

「……は、はいっ……!」

「……本当によく頑張った、白雪は」


 途中で折れそうにはなっていたが、それでも俺を信じてここまで歯を食いしばって耐えてくれたことが、努力を重ねてきたことが、ただただ感慨深い。

 だからこそ、報われてほしいと思う。

 努力が実を結ぶとは限らない、むしろ多くは芽を出すことなく朽ちていく世の中だからこそ、その憂き目を何度も見てきたであろう白雪だからこそ、余計にそう感じるのだ。


「……え、えっと……九重、君……」

「なんだ」

「……そ、その……あの……えっと……」


 白雪はなにかを迷った末に、きゅっと目を閉じて、俺の胸板に頭突きでもするかのように小さく頭を下げて距離を詰めてくる。

 その合図が、無言のお願いが意味するところはどこだと、そうすっとぼけることもできるが、それはあまりにも不誠実だろう。

 本当にいいのかと、俺もまた差し出そうとした右手に躊躇いを握っていた。


 だが、白雪がいいと言ってるかどうかはともかく、事実上「そうしてほしい」と申し出ているに等しいのなら、いいのだろう。

 恐る恐る、壊れものに触れるかのように、硝子細工を手にするときのように、俺は白雪が差し出してきた頭をそっと撫でた。

 真っ直ぐに伸ばされた髪には枝毛の一本もなく、シルクのような、少ししっとりした柔らかい肌触りが、右手に伝わってくる。


 髪は女の命だなんて言葉があるように、確かによく手入れが行き届いたそれに触れるというのは、美術品をいきなり手渡されたようなものだ。

 そんな経験が少ないから特別に感じているのだといわれれば、ぐうの音も出ないが。

 なんのためにもならない話はともかく、俺は右手でそっと亜麻色の髪を撫でながら、胸板にぐりぐりと顔を押し付けてくる白雪を空いている左手で抱き止める。


「……え、えへ……こ、これで……わたし……が、頑張れ、ます……」

「……そうか、それならなによりだ」


 美術品でなければ生まれたての子猫だとかそういう類だろうか。少しでも加減を間違えれば壊れてしまう儚さを、白雪の長髪は持ち合わせていた。

 俺がそれに触れる資格があるのか疑わしくなるが、本人がご満悦ならそれでいいのだろう。

 実際に満足した様子でふんす、と気合を入れる白雪の瞳には、もう怯えも恐れも見受けられない。


 内心ではまだ抱えているのかもしれないが、それを表に出すことなく踏み倒せているのなら俺から言うことは最早なにもなかった。

 全力で挑んで、全力で戦って。

 そして、証明してやるんだ。白雪祈里は、決して余り物なんかじゃないと。


「……こ……九重、君……」

「どうした、白雪?」

「……そ、その……て、手を……つ、繋いでくれます、か……?」

「お安いご用だ」


 いつものように指を絡めて手を繋ぎ、俺たちは駅のホームへと歩き出した。

 そしていつも通りに白雪が壁側に立って、俺が蓋をするようにその前に立つというポジションを確保して、電車に揺られていく。

 復習することなんかもうない、というぐらいに白雪は勉強を頑張ってきた。


 だが、あと少しだけならサボっても許される、という慢心があと一点や二点の差になって現れることがある。


 だからこそ、白雪は電車に乗っている間、模擬テストで間違った部分とその対策をを記録したノートと一生懸命に向き合っていた。

 今回のテストで白雪が姉に勝つために必要な点数は最低でも九十五点以上だと俺は見ている。

 その領域になってくると、一点二点の差は馬鹿にできたものじゃない。その一問取りこぼしたか、取りこぼしていないかという程度の些細な違いが運命を分けることになるのは、俺が模試で経験済みだ。


 白雪が教えを守って忠実に、一生懸命にやってくれているだけで、俺としては十分この家庭教師もどきみたいなことに対してのやりがいだとか、教えがいだとか、そういうものは十分だった。

 前に白雪希美が「教えがいのある生徒になる」とか言ってきたことを思い出すが、それならもう、間に合っているさ。

 愚直で下手くそなやり方しか選べない俺についてきてくれて、やり切って、成果を出してくれた最高の教え子がいるからな。


「……白雪」

「……な、なんです、か……?」

「勝てよ」


 ──絶対に。

 だから、俺から送る言葉があるとするならこれだけだ。ポテンシャルを引き出せているのは模擬テストの結果で確認済みである以上、それ以上はなにを言っても無粋なだけだろう。

 白雪が俺を信じてくれたように、俺もまた白雪を信じて、バトルフィールドへと送り出す。ありったけの激励を込めて。


「……は、はい……っ……!」


 その意気だ。

 電車から降りて高校へと向かう道中で、コアラのように俺の二の腕を抱え込むように抱きついているという絵面でさえなければ、もう少し収まりがよかったんだろうが、こればかりは仕方ない。

 もうそこは、白雪の定位置になってしまったんだからな、と苦笑する。


 今日もまた周囲に「なにやっているんだあいつら」と言わんばかりの視線を突き立てられながら、俺たちは一年一組の教室へと向かっていった。

 国語のテストは一限目だ。

 つまり朝からの一発勝負ということになるが、それ自体はなにも勝敗を決める絶対的な条件にはならないと、俺は見ている。


 人によっては寝不足だとか一夜漬けでポテンシャルを発揮できなくなる可能性もある。後者は本末転倒だが。

 一夜漬けの連中はさておくとしても、朝が眠いのは概ね平等だし、解いているうちに頭というのは活性化していくものだ。これが五限目だと、食事をとったあとということもあって最悪だが。

 そんな益体もないことを考えながら、国語教師こと戸村が問題用紙と解答用紙を配っている最中に、ちらりと横目で白雪の様子を窺ったが、幸い眠くなっている様子は見受けられなかった。


「あー、なんだ。時間になったんで、始め」


 よかった、と安堵しつつ、相変わらずやる気があるんだかないんだかわからん国語教師の合図と同時に俺は伏せていた二枚の紙を裏返し、問題に取りかかっていく。

 なるほど。相変わらず意地が悪いな、こいつは。

 三木谷が言っていた通り、漢字の書き取り問題の配点は一点に引き下げられているし、慣用句の間違い探しも選択式でこそあるが、バツをつけた場合は正しい言い回しを書かないと正解にならないという仕組みになっていた。


 おまけに全部丸をつければ確率で点は入るだろう……という甘えた考えを一掃するかのように、丸がつけられる選択肢は一つしかないという始末だ。

 あまり中間試験の成績平均が悪いと人事にも響きそうなものだが、そんなものは恐らくあの国語教師にとって、どうでもいいのだろう。

 将来の受験に備えて今から生徒たちをスパルタ式で教育していきたいのか、それとも噂通り生徒たちがもがき苦しむ様を糧に生きているからなのかは知らないが、図太い男だな。


 そんなことを脳裏に浮かべつつも、俺はこの問題構成に手応えのようなものを感じていた。

 想定する限り最悪の問題を考えて模擬テストを作っていたが、大方出題傾向は似通っていたし、配点に関しても概ね予想通りだ。

 書き取りと間違い探しで白雪希美が躓くことはまず考えられないから捨て置くとしても、この程度であれば白雪も解けないはずはない。


 最大の障壁は文章の読解とそこから選択肢で作者の意図を読み取るのではなく、記述式で解かせる問題だが、これもまた予想に限りなく近かった。

 俺があの国語教師ならこうするはずだ、と思って作ったポイントは見事に丸被りで、解釈に関してはやつに委ねるしかないものの、そう大きく外してはこないだろう。

 つまり、差をつけるならここだ。センスだけで解くのではなく、知識とセンスを合わせて解かせるこの問題を白雪が解けるかどうかに、全てはかかっている。


 教室中に静かな唸り声や溜息が充満している中で、俺は全ての問題を解き終え、自分の答えを確認した上で机に突っ伏した。

 大丈夫、白雪ならやれるはずだ。そして。

 証明してくれるさ、必ずな。


 願うように、祈るように、その言葉を頭の中で繰り返しながら。

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