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絶望という名の福音

 白雪を姉に勝たせるために必要な条件、それは他の科目を捨てる覚悟で一科目にヤマを張る、という、一か八かの賭けに出ることだった。

 全教科の点数を満遍なく底上げしてきた今の白雪なら、残りの期間を一科目に絞って応用問題を中心にした模擬試験を繰り返せばあるいは、といったところだろうか。

 だが、問題は白雪希美が学年次席だということだ。


 がやがやと朝の喧騒に包まれた教室で、俺は模擬試験の問題を手書きで作りながら頭を抱える。

 学年次席のレベルがどれほどなのかはわからないが、前に話したときの口ぶりから察するに、俺と張り合うだけの自信を持ち合わせているのは間違いない。

 どこまで本気で、どこまで冗談なのかもまた判然としないが、その上で俺に教えを求めてきた事実を考えると、平均九十点台ぐらいだろうか。


「……参ったな」


 推測でしかないとはいえ、気が重かった。

 なぜならこの平均、というのが曲者なのだ。

 人には多かれ少なかれ得意不得意が存在する。世界史や日本史のような暗記系統が得意なやつもいれば、数学や物理のように、与えられた課題を紐解いていくのが得意なやつもいる。


 そして、相手にすると厄介なのは、得意不得意の差が少ないタイプだ。

 例えば世界史で満点を取れる代わりに数学が六十点、のようなタイプであれば、数学をピンポイントで狙い撃つことで、勝てる確率は上がる。

 だが、平均値が高ければ高いほど、その得意と不得意の差は縮まっていく。白雪希美の平均九十点台と見積もっておくなら、低くても八十点台後半から九十点台前半、ぐらいは見込んでおかなきゃならない。


 今の白雪は平均が八十点台、数学以外はどの科目も突き抜けて得意だといえるものも、苦手だといえるものもない、といったところだった。

 数学に関しては、もう仕方あるまい。あれは積み上げてきた時間がものをいう科目だ。

 一朝一夕でなんとかなるものじゃない、むしろ七十点台まで引き上げられた白雪の頑張りを褒めてやるべきだろう。


「……なんとかならんものか」

「なんの話だ、京介?」

「……三木谷か、驚かせるな」


 鉛筆を動かす手を止め、背もたれに体重を預けて考え込んでいると、出し抜けに三木谷のやつが俺の顔を覗き込んでくる。

 ええい、この前の藤堂といい人が集中しているときにそういうことをしてくるのはやめろ、心臓に悪い。

 不敵な笑みを浮かべている三木谷は、随分と上機嫌な様子だと窺える。また怪しい噂話の類でも掴んできたのだろうか。


「悪りい悪りい、そんで京介。お前今暇?」

「暇ではない」

「そうか、とっておきの耳寄り情報を持ってきたんだけどなー、暇じゃないなら仕方ねーか」


 随分ともったいぶった話し方だな。

 その耳寄り情報とやらが、白雪希美の苦手科目だとか、白雪希美の正確な平均点だとかであれば聞いてやるのも悪くない……というか聞きたいが、これがまた誰かの恋話だったら俺は怒るぞ。

 今は白雪のために模擬試験の問題を作っている最中なんだからな、とばかりに疑いの目を三木谷に向ければ、やつは大袈裟に肩を竦めて口火を切る。


「ははっ、なんだかんだ興味あるって顔だな」

「訊きたいことはあるからな」


 そうだな、三木谷が学校の噂話に詳しいなら、最初から白雪希美の平均点や苦手科目を訊いていればよかったのかもしれん。

 こいつがそれを知らなければ徒労に終わるだけだが、有益な情報が得られるかもしれないと考えれば賭けに出るだけの価値がある。

 藁にもすがる、といえば聞こえは悪いが、とにかく使えるものはなんでも使わなければ、正面切って白雪を姉に勝たせるのは無謀だろう。


「そうか……じゃあ京介、実は悪い話といい話があるんだ、どっちから聞きたい?」


 海外ドラマじゃねえんだぞ。

 もったいつけた仕草で、やれやれとばかりに三木谷が首を横に振りながら宣う。

 悪い知らせもいい知らせもなにも、俺はその話の前提を知らないから答えようがない。どっちから聞いても中身は実質同じだというパターンだって考えられるからな。


 いっそコイントスでもして決めるか?

 いや、時間がもったいない。

 それなら、直感と経験則に従うだけだと腹を括って、俺は三木谷の問いに答える。


「悪い方からで頼む」


 いい話と悪い話というのは、不思議なことに悪い話の方が記憶に残りやすい。

 例えばその日一日、いいことだらけであったとしても、最後に悪いことがあっただけでトータルがマイナスに感じてしまうのが人間という生き物の習性なのだ。

 だったらさっさと悪い知らせを聞いておけば、いい知らせを後回しにすることでリカバーできる……かどうかはわからんが、少なくとも悪い話に対して身構えておくことはできる。


「悪い話はそうだな、中間テストの国語の問題、難易度跳ね上がるらしいぜ」

「……そうか」

「選択式の問題は基本出さないし漢字の書き取りの配点は一点だとよ、やってらんねーよな」


 三木谷は溜息交じりにそう語った。

 こいつには申し訳ないが、俺にとってはそれが、ある種の朗報でさえあった。それに、この前の小テストでの傾向を見るに、そうなるのは予想できたことだ。

 高難易度化によって満遍なく平均点が下がるのなら、勝負できる可能性も上がる。もちろん、それは白雪が事故なしで問題を切り抜けられたらという話でもあるが。


「……それで、いい話とやらはなんだ」

「この前に国語の小テストあったろ? あれで九十八点取ったの、四組じゃ俺だけなんだぜ!」

「……いい話なのか?」

「俺にとってはいい話だぜ! いやー、俺もやればできる子ってやつ?」

「……それもそうか」


 三木谷は自信満々にサムズアップする。

 いい話というかそれは自慢話にカテゴライズされるものなんじゃないかと疑いたくなったが──そうか、確かにこれはいい話だ。

 見方を変えればな。白雪希美が満点を取ったんじゃないなら、白雪祈里が勝負を仕掛ける余地は十分に残されている。


 三木谷のもたらした情報だけを鵜呑みにして、白雪希美の苦手科目は国語だと断定するのは危険すぎるかもしれない。

 だが、元からこの戦いは危険な橋を渡るようなものなのだ。多少のリスクを織り込まず、安全策だけで乗り切れるような道じゃないだろう。

 つまるところ、国語の高難易度化、そして四組の小テストで白雪希美は満点を取れなかった。この二つを組み合わせて考えるのなら、国語の中間テストで白雪が満点を取れば、勝利ないし、最悪引き分けに持ち込めるということだ。


「どうしたんだよ京介? もっと驚いてくれていいんだぜ?」

「いや、十分驚いている……てっきり白雪希美が満点を取るものだと思っていたからな」

「そうそう! そうだろ? だから俺も戸村のやつから俺が四組で最高得点って聞かされたとき、椅子からひっくり返ると思ったからな!」


 戸村……ああ、確か国語教師はそんな名前だったな。大体皆あいつだのあの野郎だのあん畜生だのと親しみを込めて呼んでいるから、俺も忘れかけてたよ。

 生徒たちがもがき苦しむ姿を糧に生きながらえているんじゃないかとはもっぱらの評判だが、そんな魔王みたいな国語教師がいてたまるか。

 意地が悪いことは確かだがな。


 そんな話はさておくとしても、だ。

 白雪希美が小テストで満点を取れなかったという事実を得られたのは大きい。

 それをバネにして中間テストでは満点を取ろうと躍起になってくる可能性もあるが、そこに立ちはだかるのは高難度化の壁、つまりは事故要素だ。


 そしてどんな秀才にも天才にも満点を易々ととらせるまいと、国語教師は絶対にミスリードを誘う文章を範囲に指定してくるし、板書していない情報をヒントにしてくるのは、この前の小テストの傾向から考えれば間違いはない。

 逆にいえば、そこさえ押さえておければそうそう悲惨な点数を取ることはない、ということでもある。

 三木谷からもたらされた悪い知らせは確かに多くの生徒たちに取ってはその通り絶望の鐘なんだろうが、俺にとってはある種の福音でさえあった。


「三木谷」

「なんだよ、京介?」

「……ありがとう、感謝する」

「お前熱でもあんの? いやもらえるもんはもらっとくけどさ」


 ただ自慢話しにきただけなのに大袈裟だな、と三木谷は爽やかに笑っていたが、その自慢話の中に勝利の鍵が埋もれていたのだから、世の中なにがあるかわからない。

 ちらりと横目で白雪の様子を窺えば、昨日渡した問題と必死になって格闘している姿が目に映る。

 まだ確信には至っていない。白雪希美の苦手科目、そして白雪祈里の得意科目。


 その二つのピースを回収できた状態で勝負に挑むのがベストなのだろうが、そんなチャンスを待っていたらあっという間に時間切れだ。

 幸運の女神様は後ろの髪を剃り上げてるからな。その分長く伸ばした前髪を引っ掴むには、全力で走り抜けるしかない。

 そんな白雪の努力には感じ入るものがあったのは確かだが、机に堂々と大きな胸を乗せて休めているのはその、なんだ。まずいと思うぞ。色々とな。

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