空の日記
認知症の老人が、様々なことを忘れてなお、亡くなった伴侶のことだけは覚えている。そんな漫画を目にした。
大変感動させられたが、ふと老人を私に置き換えてみて思うのだ。
私が様々なことを忘れに忘れ、その果てに何か残るとしたらなんだろう、と。
それが大切な記憶なのだとして、私に大切な記憶なんてあるのだろうか、と。
私は何を大切に思っているのだろう。
今は忘れてしまっているが、表層の記憶を全部洗い流せば思い出すようななにかがあるのだろうか。
あってほしいな、と思う。でなければ私が認知症になったとき、きっと私は空っぽだから。
なってみなければわからないことだけれど、なったときにはもうきっとなにもわからないんだろう。
今でさえなにもわからないのだけれど。
あるいはすでに私は認知症なのだろうか。
私に私がわからないのだから、認知できないのだから、言葉遊びの上ではきっと私は認知症だな、と結論を出した。
それだけの日だった。