夜光草の草原と精霊の主
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―――カチャッ
ヴィルヘルムが、ミサキを背中に庇うように移動し、片膝をついたまま剣に手を掛けた。
「尊きお方と拝見いたします。私はヴィルヘルム・ハーマンと申します。…ご用件をお伺いしても?」
あたりを静寂が包み込む。いきなりの展開と、ヴィルヘルムの変貌と殺気に、ミサキは何もすることができない。
(ど…どうしよう。ヴィルヘルムさま、状況によっては尊きお方って言いながら…ヤル気だ。)
「ふ、ふふ。ハハハハ!」
静寂を消してしまうように、朗らかな笑い声。しかしその直後。
「ぐっ…はっ。」
ヴィルヘルムが、急に苦しそうにうめいた。その額からは、汗が流れ落ちている。
「……ふーん。コレでも剣から手を離さないか。おもしろいなぁ。それじゃ…。」
「ヴィルヘルムさま!!」
その瞬間から、ミサキとヴィルヘルムの足元、夜光草の光る絨毯が、次々と桃色の花びらで覆われていく。
その周囲の夜光草の光が強くなり、まるで桃色の絨毯を照らしているようだ。
振り向いたヴィルヘルムが、ミサキを見て微笑んだ。
(ひどい汗が流れ落ちているのに。)
「ミサキ殿。あまり、力を使いすぎてはいけません。…大丈夫…ですから。」
その瞬間、青白い髪の男性からの圧が消えた。
「あー。今日は楽しい日だな。不敬はミサキに免じて赦す事にする。」
「貴方はいったい…?」
「うーん、まぁ。夜光草の精霊の主。かな?」
たぶん精霊の中でも、上位の存在なのだろう。
「それにしても。そこの男、ヴィルヘルムか。はっきり言って、野放しにはしたくないな。」
「ヴィルヘルムさまが、何か…。」
「ミサキは聖女なのに、何も感じない?」
そう言われたミサキが、ヴィルヘルムを再度まじまじと見る。
(うん、いつものヴィルヘルムさまだわ。息が上がっていてまだ、かなり苦しそうだけど、大丈夫なのかしら。)
「ミサキは、基本的にヒトの善なる部分ばかり見ているのかな。こんなにも、禍々しいのに。」
「え?」
(こんなにも、面白くて、かわいらしくて、寂しがりなヴィルヘルムさまが禍々しい?)
「ミサキは、面白いな。でも、そこのヴィルヘルムの方は、俺のいうことの意味が分かっているみたいだよ?」
ミサキは、思わずヴィルヘルムの方を振り返った。
(…いつもの氷結の貴公子っぽい表情だわ?)
「まぁ、だいぶ悍ましい未来に傾いていたみたいだけど、本来の姿も垣間見える。ミサキの影響かな?…そうだろ、ヴィルヘルム。」
「……。」
しばらくの沈黙ののち、夜光草の精霊の主を名乗る男は長く息を吐いた。
「ふー。まぁ、野放しにもできないけど、もしかしたらと思うと、ここで処分もできないか。さて、どうするミサキ?処分してもいい?」
(処分?何を言っているの。)
ミサキの体から、幾つもの光が生まれ激しく点滅し、桃色の花びらが激しく舞い散る。
「そんなこと、させるわけないじゃないですか。ヴィルヘルムさまは、いつも優しい。優しいヒトなんだから!!」
その時、跪いていたヴィルヘルムがミサキの手を掴んだ。共に踊った日、温かかったその手は今は氷のように冷たい。
「やめてください……貴方に何かあったら俺は。」
「貴方も、さっき結果が分かってて同じことしたでしょ!そう感じるのは私も同じ!もっと、自分のこと大事にしてください!」
ヴィルヘルムが、まるで自分の気持ちに気付いてなかったみたいに茫然とした表情を見せた。
「え。私のこと守ろうとして、不敬だと分かってるのに戦おうとしてくれたんですよ……ね?」
やはりヴィルヘルムは、茫然としている。
「えっ。あれっ?違ったんですか?えっ、それじゃ、私、自意識過剰じゃないですか。」
「……。」
「……。」
2人は無言のまま見つめ合う。
「……不敬でした。ごめんなさい。私、自分がヴィルヘルムさまを守りたいからって。」
「ミサキ……殿。」
ヴィルヘルムが、何か言おうと口をハクハクさせているのを、笑い声が打ち消した。
「はははっ。無意識か、それとも己の感情に気づかないふりをしすぎたのか。んー。これは、2人の行く末をもう少し見学していたいな。」
二人のやりとりを黙って見ていた精霊の主は、笑いながら呟いた。
「ミサキのこと気に入ったから、ヴィルヘルムに見切りをつけたら、いつでもここにおいで。俺がこの手で可愛がってあげよう。」
その瞬間、ヴィルヘルムが、精霊の主に挑むような目を向ける。
「そうはさせない、ミサキ殿は……。」
悪戯を思いついたように、精霊の主が指先で音を鳴らした。
その瞬間、先程の浮遊感が2人をおそった。そして気づくと、2人はどこまでも続く、夜光草の草原にいた。
夜光草の草原に佇む光り輝く聖女。そしてそこに跪く麗しい騎士の姿。
洞窟の異変に集まっていた多くの人々は、神話の一場面のような、神々しいその姿を見た。……見てしまった。
夜光草は、上級ポーションの原材料だったらしい。精霊の力なくては育たないことから、とても貴重な夜光草がその草原にはいつも大量に育っている。
そして、聖なる力でそれを成し遂げた聖女の奇跡。聖女を守る騎士の姿。
今現在、その地には聖女とそこに跪く騎士の銅像が建てられ、恋人たちの聖地となっているらしい。
「居た堪れない……。」
ミサキの元には、なぜか夜光草の売り上げのロイヤリティが一部入ってくる。たぶん、噂を聞いた大神官が手を回したに違いない。
…このままでは、王都に家が立ってしまいそうだ。
そして、精霊の主に何か言いかけていたヴィルヘルムは、その後何を言うでもなく、2人はまたいつもの距離に戻ってしまった。
そして、徒歩ではなく今度は自前の馬車(セバスチャンさんって呼びたい感じの執事っぽい方が御者をしている。)で、再び2人は旅に出た。
「あーっ、あのキラキラ光る飴買い忘れた。」
ミサキは後ろ髪引かれる思いだったが、あの銅像の実物を見る勇気は流石になかった。
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