【07】こわキャン
桜井と茅野は山道の出口に佇み、その壁面にぽっかりと開いたトンネルを見つめる。
まるで飢えた怪物の口腔のようだ。天井から垂れ落ちる水滴は、よだれじみて見える。
入り口の前方には半円形の荒れた土地が広がっており、そこには直径七、八メートルはありそうな泥濘があった。
その泥濘を挟んだトンネルへの入り口だった。
そこに二人の人影が佇んでいる。
「やあ。奇遇だね。こんなところで会うなんて」
あのラーメン屋で会ったバイカーの二人だった。
「……君たちもこのトンネルで肝試し?」
世間話でもするかのような気安い口調で、猫に似た方が言った。
その右隣では背の高い方が、ギョロリ……ギョロリ……と、血走った眼を無言のまま動かし、交互に桜井と茅野を睨めつけている。
「……僕たちも、このトンネルに用があってね。実は、こう見えても僕たち映画部で……」
猫に似た男は自分たちが、この場所にやってきた経緯を話し始める。
それを無視して、茅野は己の見解を述べた。
「梨沙さん。あれは恐らく、この世のモノではないわ。あのトンネルに巣食う悪霊よ」
「うん。だろうね。これはあたしにも解ったよ。確かトンネルの向こうは行き止まりなんだよね?」
「ええ。そうよ」
桜井と茅野は、同時に泥濘へと視線を走らせた。
そこには、足跡ひとつない。
「そして、多分だけれど、あいつらは、トンネルの外では大した力は発揮できない。だから、恐らく私たちを自分たちのテリトリーに誘い込もうとしているんじゃないかしら?」
「確かに、あたしたちをどうにかしようと思えば、ここにくるまでの間、たくさんチャンスはあっただろうしね。そうしなかったって事は、循の言う通りかも」
「そもそも、トンネルに誘い込むにしても、わざわざ、こうして私たちに話しかけてきているっていう事は、意識を強引に乗っ取るなどの手段は取れないんじゃないかしら?」
「志熊さん、みたいに?」
茅野は頷く。
「ただし、あのトンネルの中に入ってしまったらどうなるかは解らないわ」
と、そこで猫に似た男が一際大きな声で無視し続ける桜井と茅野に呼びかける。
「どうかな? 一緒に。……こっちへきなよ」
茅野はトンネルの入り口で佇む二人にレンズを向けた。
「なあに? 撮ってくれるの?」
猫に似た男が大きく口角を釣りあげる。
その三日月型に歪んだ口元はどう見てもまともではない。
背の高い男の方は相変わらず無表情だったが、それがかえって不気味である。
桜井と茅野は顔をお互いに見合わせる。
「……どうやら、私たちはおかしなモノに気に入られてしまったようね」
茅野の言葉に桜井は呆れ顔で肩をすくめた。
「まったく、モテる女はつらいもんだね」
「本当に。幽霊にナンパされるだなんて」
茅野と桜井はうんざりといった様子で溜め息を吐いた。
それを見て、猫に似た男は首を傾げる。
「ねえ! どうしたの!? こっちにきてって。楽しーよぉ?」
「梨沙さん……」
「循……」
二人は頷き合い、踵を返す。
「どこいっちゃうのぉ……二人ともぉ」
彼の問いかけを無視して、茅野は堂々と宣言する。
「徹底的に無視するわよ!」
桜井が頷く。
「まあ、発狂の家で慣れたしね。あれに比べればどうって事ないよ」
山道を引き返す二人の背中に……。
「ねえ、どうしたのさ!? こっちにきて仲よく遊ぼうよぉ!」
なおも猫に似た男は、桜井と茅野を呼び止めようと叫び続ける。
しかし、二人はいっさい答えない。振り向かない。
「ねえってばあ!!」
男の声が遠ざかり、
「ねえってばあ!!」
やがて聞こえなくなる。
二人は猿川森林公園キャンプ場まで帰還した。
キャンプ場まで戻り、なんやかんやと夕御飯の準備をしていると、日が暮れて夜になった。
カセットコンロにかけた土鍋では豆乳鍋、焚き火台にセットした網で牛や砂肝、玉ねぎや南瓜、水茄子などを串に刺して焼く。
そこに桜井があらかじめ作ってきたおにぎりが並ぶ。
「これは豪勢になったわね」
……と、ドクターペッパーの缶を片手に微笑む茅野。
「明日の朝は鍋の残り汁でチーズリゾットを作るよ」
「そちらも楽しみね」
そんな会話を交わしていると、どこからともなく――
ざいごんしょーのいえーのー、もじこきおんば、しゃーつけてー、やまいってーうめたー……。
童唄が聞こえてきた。
しかし、二人はいっさい反応を示さない。
「はい。砂肝焼けたよ」
桜井が茅野の膝上の紙皿に砂肝を乗せる。
「梨沙さん、ありがとう」
こりっ……という小気味良い音がして、茅野の表情が緩む。
「んー、ナイスな焼き加減よ! 梨沙さん」
「岩塩で味付けしたんだ」
童唄はまだ続いている。
「あたしはこっちの豆乳鍋を……」
桜井は使い捨ての器に汁と具をよそう。
ハフハフとしながら、よく煮えた骨付きの鶏肉を割り箸でつまんでかじる。
「うん。なかなかだね」
「私にも頂戴。梨沙さん」
「うん」
と、茅野の分を器によそい、手渡す。
「うーん、最高よ、梨沙さん。いつになく美味しいわ」
「えへへ。それは、どうも」
楽しい食事の時間は続く。
童唄はまだ続いていた。
そして、腹を満たし、夜も更けたのでテントの中で寝袋に入って横になる二人。
すると、そのテントの周囲を誰かが歩き回っている。
ぐるぐると……ぐるぐると……いつまでもテントの周囲を歩き回っている。
その足音がぴたりと止まり――
バタバタバタバタバタ……。
大勢の手がテントの外側を一斉に叩いた。
しかし、
「すう……すう……」
「むにゃ、むにゃ……もう食べられないよ……」
二人は目を閉じたままだった。
朝になった。
桜井が目を覚ますと、既に茅野は起きていた。
寝袋に脚を入れたまま、デジタル一眼カメラのサブディスプレイを眺めている。
「おはよー」
桜井も上半身を起こし、寝ぼけ眼をこする。
「ああ。梨沙さん……おはよう。ちょっと、これを見て」
茅野が桜井にサブディスプレイを見せて動画を再生する。
「どれどれ……」
すると、そこには……。
『そして、多分だけれど、あいつらは、トンネルの外では大した力は発揮できない。だから、恐らく私たちを自分たちのテリトリーに誘い込もうとしているんじゃないかしら?』
『確かに、あたしたちをどうにかしようと思えば、ここにくるまでの間、たくさんチャンスはあっただろうしね。そうしなかったって事は、循の言う通りかも』
『そもそも、トンネルに誘い込むにしても、わざわざ、こうして私たちに話しかけてきているっていう事は、意識を強引に乗っ取るなどの手段は取れないんじゃないかしら?』
『志熊さん、みたいに?』
昨日のトンネル前でのやり取りだ。
二人の声は聞こえるが、あの猫に似た男の声は入っていない。トンネルの入り口の向こうにいた、あの男たちの姿も映っていない。
「結局、撮れてなかったんだね。幽霊」
「もしも、撮れていたら、SNSで、思い切りイキリ倒すつもりだったのに……」
「一筋縄じゃいかないもんだね」
二人は残念そうに微笑む。
そして、茅野がきょろきょろと周囲に視線を走らせる。
「そういえば、ずいぶん、静かね」
「朝だから帰ったんじゃないかな? あのトンネルへ」
桜井は両手を突きあげて背筋を伸ばす。そして髪の毛をヘアゴムで結んだ。
「それじゃあ、チーズリゾットを作るよ。循はもう少し寝てていいよ。すぐできるけど」
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
と、茅野は再び寝袋に潜り込み、桜井はテントの外に出た。
このあと、二人は何事もなく帰路に着いた。




