【05】蜘蛛の意図
有坂たちはバイクに股がり、山間に延びた道を行く。
豊口は背中に感じる豊満な感触がよほどお気に召したらしく、終始ご機嫌な様子だった。
有坂はというと、やはりどうにも違和感がぬぐいされなかった。
……いったい、この二人の女子は何者なのか……本当に肝試しが目的で旧猿川村トンネルへと向かうのか。
自分の腰にまわされた華奢な腕。
背中から伝わる温もりは思いのほか冷たく、まるで重さだけがそこにあるような気がした。
捕食者につかまった獲物の気分だった。しかし今更、振り払って逃げる訳にもいかない……。
そうこうするうちに山肌に沿ってカーブを描く道の左側に猿川森林公園キャンプ場の駐車場が見えてくる。
有坂たちは、その駐車場にバイクを停める。
「いやー。楽ちんだったー」
という能天気な声と共に背後の重さが消える。
有坂もヘルメットを外してバイクを降りた。
「えっと、旧猿川トンネルはどっちだっけ? あれ?」
と、豊口がスマホを片手に駐車場の奥にある森の小道を指差す。
「いいえ、違うわ。圭吾くん。この今、私たちがバイクできた坂道をもう少し行った先に遮断機の降りた脇道があるので、そこよ」
……などと、豊口のペアが親しげにルートの確認をしていた。
その様子を眺めながら、有坂は曖昧模糊とした不安に顔をしかめるのだった。
黄色と黒のストライプの遮断棒には“進入禁止”と書かれた札がさがっていた。
その遮断機の棒と頭上に張り出した木の枝の間に大きな蜘蛛の巣があった。中央には親指の先より大きな鬼蜘蛛が脚を丸めてうずくまっている。
巣の向こう側には、木々の間を割って延びる細い坂道が見えた。
一応は舗装されていたが、ひび割れて雑草に侵食され、荒れ果てていた。
穴だらけで、オフロードバイクでも走行は困難であろう。
有坂たちは遮断機を潜り、その荒れ果てた細い坂道を登る。
「ねえねえ、循ちゃんって、趣味は?」
「音楽鑑賞ね」
「どんなアーティストが好きなの?」
「宇多田ヒカルとか普通に好きよ。PIERROTとか最近、よく聞くけど」
「へえ、けっこう前に解散してるよね、そのバンド。僕はねえ……」
豊口たちは相変わらず盛りあがっているようだ。
一方の有坂は、隣でポニーテールを揺らす少女の顔を横目で見た。
すると、その視線に彼女は気がついてしまったようだ。
「克也くんは、あたしと一緒にいるの……退屈?」
まるで捨てられた仔犬のような顔で、小首を傾げる。
込みあげる罪悪感。有坂は慌てる。
「そんな事……ない」
どう答えていいのか解らず、結局ぶっきらぼうに言葉を返す。
すると突然、右腕に抱きつかれた。
「よかったー! 嫌われてたらどうしようかと思ったー!」
「い、いや、嫌うだなんて……」
照れる有坂。
「……充分に、可愛いと思うが」
「いやだー、もう、克也くんってばぁー」
などと、有坂がいちゃつき始めると前方の景色が開け、切り立った崖が現れる。
その壁面には古めかしいトンネルがぽっかりと口を開けていた。
旧猿川村トンネルである。
入り口の周囲の空き地には水溜まりと泥濘が広がっていた。
有坂たちは雑草を踏みつけながら泥濘を渡る。
入り口に辿り着くと、有坂はリュックから懐中電灯を取りだし、豊口はスマホを片手に撮影の準備を整える。
「案外、普通だな。向こうの入り口が見えるし……」
豊口が余裕の笑みを浮かべる。
「まあ、そんなもんだろ」
有坂が歩き始める。スマホを構えながら豊口がその後ろに続く。
雨垂れのような水滴の落ちる音と、四人分の足音……。
そして、しばらく続いていた沈黙に堪えかねたのか、豊口が明るい声をあげる。
「とっとと、終わらせて、どっかカラオケかボーリングでも行こうよ。四人でさ」
「さんせーい!」
「私、歌上手くないし……ボーリングもやった事がないし……」
「大丈夫、大丈夫……誰にだって、初めてはあるよ。僕に任せて? 優しくするから」
豊口が冗談とも本気ともつない調子で言った。
すると、女子二人がケラケラと笑う。
「何か、やらしー」
「もう。圭吾くんったら……」
先頭を歩く有坂は、呆れ顔で溜め息を吐いた。
その次の瞬間だった。
足音の数が減った。
怪訝に思った有坂は立ち止まり、振り向いた。
それより早く豊口の悲鳴があがる。
「どうした? ……えっ」
背後にいたのは豊口一人だけだった。あの二人の女子の姿がない。
忽然と消えている。
「あの二人は……?」
恐る恐る有坂が尋ねる。
すると豊口は唇を戦慄かせながら答えた。
「き、消えた……急にいなくなった……」
「そんな、馬鹿な……」
ここは一本道のトンネルだ。
分かれ道もないし、途中に隠れる場所もない。
しかし、有坂の目の前には、その事実にそぐわない現実があった。
うなじの産毛が一斉に逆立つ。
まるで足場の不安定な高所に立たされたような……すぐ鼻先を猛スピードで車が過ったような……。
「なあ。おかしいぞ。戻ろう……」
有坂がそう言い終わる前だった。
「あ……ああ……あ、アレ、何だよ……何なんだよ……」
豊口が有坂の肩越しに後方を指差した。
有坂は再び振り返る。
すると、ダム湖側の入り口にそいつが立っていた。
ざんばらの髪。
見開かれて血走った両目。
真っ青な顔。
右手に持った刀から滴る液体は水ではない。
それは、甲冑をまとった鎧武者であった。
「馬鹿な……」
「逃げっぞぉ! 克也!」
豊口が踵を返す。有坂も後に続く。
忙しない二人の足音。
水溜まりが飛沫をあげる。
微かな笑い声。
大勢の子供だ。天井……左右……足元……いたるところから聴こえる。
それらを掻き消すように闇の中を震わせるのは二人の狂気じみた絶叫だった。
そして、すべての物音が、ふと消え失せて、唐突に静寂が訪れる。
再び水滴の落ちる音。
そこに、生者の姿はなかった。
「お疲れ様ー」
そこはラーメン屋『辛味噌じゅうべえ』のバックヤードだった。
社員の織部久彦が、煙草をふかしながらパチンコ雑誌を読んでいると、遅番の松野武が挨拶と共に姿を現す。
「ああ。今日の遅番、まっつんだっけ?」
織部は目線をあげて煙草の灰をテーブルの上の灰皿に落とす。
すると松野がロッカーの扉を開けながら訊いた。
「織部さんはいつまですか?」
「朝からフル」
「あちゃー。本当にお疲れ様っす」
「俺、今の休憩明けたら仕込みするから、タケやんと一緒に客お願いね?」
「了解っす」
そう答えて松野は上着のボタンを外して着替え始めた。
すると織部が、唐突に思い出し笑いをする。
怪訝な顔で尋ねる松野。
「どうしたんすか? 織部さん」
「いや。今日の朝、おかしな客がいてな」
「え、どんなのっすか?」
「いやな。二人組でまっつんより少し下ぐらいの男なんだけどよ」
「へえ。初めて見る顔すか?」
松野の問いに織部は頷く。
「ああ。……んで、そいつら、誰もいない場所に向けて、ヘラヘラ笑いながら喋ってんの」
「マジっすか? 何なんすかそいつら」
「さあ」と肩をすくめる織部。
そして、短くなった煙草を揉み消しながら笑う。
「頭、イカれてたんだろ」
そう言って、織部は自らのこめかみを右の人指しで突っついた。