【02】エロ本が多すぎる
けっきょく、茅野が持ち帰った猫の毛からは、ルミノール反応が検出され、子猫の足の汚れは何らかの動物の血液である事が確定した。
そして、次の日であった。もう二学期も残すところ今週いっぱいとなり冬休みに入る。そして次の週には普通の女子高生ならば重要なイベントであるクリスマスがある。
そんな時期だからなのか、迫り来る厳しい冬の足音とは相反する、弛緩した空気が校内には満ちていた。
オカルト研究会の二人はというと、学校が終わると早々に昨日の待ち合わせ場所となったスーパーのフードコートに来ていた。
「……短編ミステリの名作でハリィ・ケンメルマン作の“九マイルは遠すぎる”という作品があるのだけれど」
と、茅野は唐突に話を切り出し、スーパーで買った甘ったるい珈琲のペットボトルのキャップを捻った。テーブルを挟んで向かいに腰を落ち着けた桜井が、給茶機から汲んだほうじ茶の紙コップを口元に運び、ずずず……と啜りあげてから訊く。
「どんな話なの?」
「主人公たちは通りがかりに『九マイルもの道を歩くのは容易じゃあない。ましてや雨ともなるとなおさらだ』という言葉を漏れ聞くのだけれど、この言葉のみから推論を巡らせ、完全犯罪の企みを看破するという話よ」
「ふうん」
と、桜井がいつものぼんやりとした返事をした。フードコートには二人以外おらず、店内の雑踏と安っぽいBGMのみが耳を打っていた。
茅野は両手でテーブルの上の珈琲ボトルを、挟み込むように掴んだまま言葉を発した。
「今日は、私たちも同じ事をやってみましょう」
「楽しそうだね。でも、今日はあたしたち以外に誰もいないけど……」
桜井がフードコートを見渡して言った。すると、茅野は右手の人差し指をメトロノームのように動かす。
「昨日、隣に四人の年配の女性がいたでしょう?」
「ああ……」
「あのとき何となく聞こえたのだけど、彼女たちはこんな話をしていた」
『……最近、竹松さん、見掛けないけれど』
『……竹松さんのとこのが、夜に鞄提げてどっか行くの最近見るけども、夜の仕事でも始めたんけ? コンビニとか』
『いんや。高校卒業してから何もやってねえって。竹松さんが言ってたんが』
『やんや、いい歳して嫁も貰わんで、ほんにまあ……』
「……ここから解る事は」
と言って、茅野は人差し指を立てたまま、話を続ける。
「まずは、“あの四人の知り合いである竹松なる人物の姿が最近見えない”」
「うん。それで?」
桜井が話を促すと茅野は更に中指を伸ばす。
「二つ目。“その竹松さんのとこの家族の誰かが夜中に鞄を持って徒歩か自転車でどこかへ出掛けている姿が目撃された” 目撃した人物は“鞄を提げて”と言っているので、車ではないわ」
「なるほど」
桜井は得心した様子で頷く。そこで、茅野は薬指を伸ばした。
「それで、三つ目よ。“その竹松さんのとこの誰かは、独身であり無職である。そして男である”」
「まあ嫁って言ってるもんね。男か」
茅野は頷き、小指を立てる。
「そして、四つ目。これは確定とまでは言えないけれど、“この話をしていた四人は飯島さんと同じ集落の人間で、尚且つ、竹松なる人物もそうである可能性が極めて高い”」
「ああ、確かに。飯島さん、最初にあの四人と話してたよね。顔見知りっぽかった」
「以上の事を踏まえると、何か取り返しの付かない犯罪が起きている可能性が高いわ」
「犯罪!?」と、流石の桜井も目を白黒させる。そんな彼女の反応を楽しむかのように、茅野は悪魔のように微笑んだ。
桜井と茅野はフードコートを後にすると、再び農道を突っ切り、あの集落へと向かう。その道すがらだった。茅野がとつぜんブレーキを掛ける。
「どったの?」
桜井が不思議そうな顔で、彼女の横に並んだ。茅野は農道の右手の枯れた草むらを顎でしゃくって言った。
「見て。梨沙さん」
「エロ本だ」
桜井梨沙は自転車に跨ったまま、農道の右端の枯れた草むらに落ちていたそれを見て、淡々と言った。
それは、いわゆる成人雑誌であった。全部で五冊。明け方過ぎまで降り続いていた霙によって、妖艶に濡れそぼりながら打ち捨てられている。
「すべてが同一のジャンル……ずいぶんとキツい趣味ね」
同じく自転車に跨がっていた茅野循は、冷静な表情で腰を浮かせてスタンドを立てると、籠の中の鞄からビニール手袋を取り出して装着した。エロ本の元まで行くとしゃがみ込んで、五冊のうちの一冊を慎重な手付きで裏返した。そして、まるで検死をするときのような目付きで裏表紙をめくると、奥付を確認する。続いて他の四冊に対しても同じ動作を繰り返した。
「発刊は二〇〇七年の二月と三月、他の三つはすべて二〇〇八年……」
「循、これは……」
桜井は、地面にしゃがみ込んだまま冷静な顔つきで、濡れそぼったエロ本を睨めつける茅野に向かって語り掛ける。
すると、茅野は立ち上がり、ビニール手袋を外して持参していたビニール袋の中に入れると、再び自転車のスタンドを上げた。
「……エロ本はこの他の場所にも捨てられていたわ。そして、農道の先をもう少し行ったところにも三ヶ所。すべて五冊ずつ。他にももっと捨てられているかもしれない」
「何で五冊ずつ? そもそも、このエロ本が、竹松さんの話と関係があるの?」
桜井が首を捻った。すると、茅野は自転車のサドルに跨がりながら言う。
「……思い出してみて。良い歳をしているのに独身無職男性の竹松さんのとこの誰か……長いのでXとしましょうか。彼は夜に鞄を持って出掛けていたところを目撃されている」
「まさか……」
桜井がはっとした様子で言うと、茅野は鹿爪らしい顔で頷いた。
「そう。彼はエロ本を捨てに行ったのよ。鞄の中にはエロ本が五冊しか入らなかった。それが限界だったから毎夜五冊ずつ捨てるしかなかった」
「いやいやいや。でもちょっと待ってよ、循」
「何かしら?」
「エロ本を捨てたいなら、わざわざ何で田んぼなんかに? しかも、わざわざ、別々な場所に。普通に資源ゴミの日に出せばいいじゃん」
その桜井のもっともらしい指摘に、茅野は反駁する。
「Xが非常にプライドの高い人物だったとしたら?」
「というと?」
「地域のゴミ捨て場なんかに捨てたら、昨日のフードコートでの四人の年配女性の会話を見て解る通り、狭い集落内で噂になるかもしれないわ。竹松さんのとこのは、良い歳して嫁も貰わず云々と……捨てるところを見られなかったとしても、集落内であの手の本を好むような人物が彼以外にいなかったとしたら?」
「ああ。確かに普通のエロ本ならいざ知らず、かなりキモめのジャンルだしね」
「バラバラの場所に捨てたのは、目立たないようにするためね。いちいち落ちているエロ本の事なんか気にする人はいないだろうけど、それが一か所に十冊、二十冊も捨てられていれば、誰かが気にし始めるかもしれない」
「まあ、あたしたちがまさに落ちてるエロ本を気にしてる訳だけど、それは置いておいて……」
と、桜井は両手で持った何かを右から左に移動させるジェスチャーをしてから疑問を呈した。
「でも、それなら、集落の近くの田んぼなんかに捨てないで、もっと遠くに捨てればいいのに」
「徒歩か自転車で遺棄しに行ったところを見ると、Xは車を持っていなかった。もしくは免許がなくて、運転できなかったのではないかしら? だから近場に捨てるしかなかった」
そこで、茅野は再び自転車を走らせる。桜井も続いた。茅野の名推理は続く。
「それから、この季節の田んぼは、ただでさえ人気がないし、夜ともなれば遠くからも姿を見られる事はない」
「もうすぐ雪が降ってしまえば田んぼには誰も来なくなるしね」
きりっとした顔つきで言い放たれた桜井の言葉に、茅野はエモい表情で頷く。
「そうね。そうすれば、あの捨てられたエロ本たちは真っ白な冬景色の下に埋もれ、来年の春まで世界のすべての人々に忘れ去られる。それは、まるで、我々が日々直視する事を恐れる人間社会の醜さのように……」
そして、二人は次のエロ本遺棄現場へと辿り着いた。




