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【00】人喰いトンネル


 そのトンネルは山深い忘れ去られた土地にあった。

 元々、近隣にかつて存在した村と外界を結ぶ数少ない道として、大正時代に掘られた場所だった。

 現在その村はダムの底に沈んで存在せず、トンネルを通る者は誰もいない。

 全長はたったの五十メートルほど。

 モルタルで塗り固められた壁面には不気味な染みが浮かびあがっており、それは人の(かたち)のようにも見えた。

 トンネルを抜けるとダム湖の縁に出るのだが、そこからの道はなく、どこにも通じていない。

 かつては村へと続く九折(つづらおり)の下り坂があったのだというが、今は木々や(やぶ)に覆われており何もない。

 この何の変哲もない場所は、(いわ)く付きの場所として有名だった。

 来訪者によれば、トンネルの中で誰もいないはずの背後から笑い声や足音が聞こえてくるだとか……。

 あるいは、白い服を着た髪の長い女を見た、だとか……。

 血塗れの落武者を見た……などなど。

 様々な体験談が真しやかに語りつがれている。

 いずれもよくある怪談話の域を出ないのだが、ここを知る地元民は口をそろえて必ずこう言う。 


 ……あのトンネルは人を喰う。


 旧猿川村トンネル……通称“人喰いトンネル”

 そこを通る生者は誰もいない。




 湿った泥臭い空気が充満していた。

 水滴の落ちる音が耳をつく。

 その闇の向こうには、ぽっかりと切り取ったような外の風景が浮かびあがっている。

 そんな中、不意に二人分の足音がひとつになり、李小百合りさゆりは、右隣を歩く親友の姿が見えない事に気がつく。

 そこには不気味に(ぬめ)ったモルタルの壁と人形ひとがたの染みがあるばかりだ。

「メグ……?」

 親友の事を呼び、懐中電灯の光を振り回す。

 李は台湾移民の父と日本人の母を持つサンフランシスコ生まれの帰国子女である。

 中学二年生の時に父の仕事の都合で家族と共に日本へとやってきた。そうして、初めて出来た友だちが彼女であった。

 学校で隣の席になったのを切っ掛けに知り合い、その日のうちにすぐ意気投合し、お互いを愛称で呼び合う間柄となった。

 以来、三年の付き合いがあった彼女の姿が忽然と消え失せたのだ。

 何より一本道のトンネルの途中である。隠れる場所もはぐれる場所もありはしない。

 李は大いに慌てる。

「メグ……冗談でしょ……?」

 背後と前方の入り口から射し込む光。

 天井からしたたる水滴。

 そして、李の懐中電灯の明かりが足元に落ちていた物をとらえる。

 それは画面のひび割れた携帯だった。

 李は拾いあげたそれを見つめながら、唇を震わせる。

「メグの携帯……」

 李は再び周囲を見渡す。

 すると、ダム湖側の入り口の方に、誰かが立っている事に気がついた。

 作業着を着た背の高い男だ。

 外からの逆光で影になっていて人相は解らない。

「誰……?」

 李は眉をしかめ、恐る恐る尋ねた。

 その男は答えない。

 懐中電灯の光を向けようとした瞬間、闇に染められたそいつの顔に、一瞬だけ白い何かが覗いたような気がした。

 李は、はっとする。


 ……あいつ、笑っている。


 白い歯だ。歯を見せて男は笑っている。

 背骨の中に氷水を流し込まれたかのように、ぞっとした。

 彼女は直感的に理解する。

 あれは、この世の者ではない……と。

 咄嗟(とっさ)に今来た道を戻ろうとする。

 しかし……。

「あああぁ……」

 逆側の出入り口には四人の小さな子供が並んでいた。

 懐中電灯の光を当てる。

 男の子が三人、女の子が一人。

 おかっぱで全員がみすぼらしい和装。

 白粉(おしろい)を塗ったような顔色をしており、瞬きひとつせずに仄暗い瞳で李の事を凝視していた。

 唇だけがやたらと赤く、まるで紅を引いたようだ。

「ああああ……。何なの……何なのこれ」

 彼女は叫びながら後悔した。

 こんな事ならば肝試しなんかにくるのではなかった。

「だから、止めておこうって言ったのに……」

 李の瞳から涙が溢れ出す。

 かつん……かつん……と足音が聞こえ始める。

 振り向くとダム湖側にいた男が李へと近づいてくる。

「あっ、あっ、あっ……」

 李は過呼吸気味になり、トンネルの壁を背にしゃがみ込む。

 その瞬間、子供の笑い声がトンネルの中に反響して響き渡り、その歌が始まった。


 ざいごんしょーのいえーのー、もじこきおんば、しゃーつけてー、やまいってーうめたー……。


 この地方の方言が濃く、何を言っているのかさっぱり解らない。

 しかし、李には直感的に理解できた。

 それが不吉な歌である事を……。

「あっ、あっ、あ……あ……」

 立ちあがろうとしたが、腰が抜けてすぐに座り込んでしまう。

 びしゃん、と濡れた床に再び尻を落とす。


 ざいごんしょーのいえーのー、わさこきおんちゃー、しゃーつけてー、かーわーいってーなーげーたー……。


 足音はもう間近だ。

 殺される……もしかしたら、それより酷い目・・・・・・・に遭わされるかもしれない。

 死ぬより酷い目……。

 その想像は、李の疲弊(ひへい)した身体を突き動かした。

 再び立ちあがろうとする。

 その瞬間だった。


「ねえ、私を置いていかないで……」


 耳元で聞こえたその声。

 急に結った後ろ髪を引っ張られ、びしゃびしゃに濡れた青白い腕が首筋にまとわりつく。

「メグ……?」

 背後は壁のはずだった。人の立つスペースなどない。

 しかし、李は闇へと引き込まれる。

 悲鳴をあげる間もなく、どこまでも……どこまでも……。

「嫌……」

 最後に、李の右手にあった携帯が床にかたりと音を立てて落ちた。

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