【11】解決編(?)
EI研究所地下での本日の作業を終えて、藤見市の仮の住まいへと戻って来ると、九尾天全は服を脱ぎ散らかし、手早くシャワーを浴びて、黒のスウェットの上下に着替えた。
そして。戦利品のデパートの半額惣菜たちを座卓の上に載せる。本日の目玉は、はまちの刺身と鰹の叩きである。その他にも焼き鳥やニラレバ、メンチカツなどがあった。
それから九尾はキッチンの冷蔵庫の中で、キンキンに冷やしていた本日の主役である想天坊の純米大吟醸と切子のグラスを手に戻ってきて、どかりと腰を下ろす。
舌舐りをしながら瓶のキャップを外し、グラスに並々と吟醸香を漂わせる美酒を注ぎいれ、一気に飲み下す。
「うぃー、やっぱ、酒呑むと調子でるぅー、絶好調ー!」
と、最強霊能者たる威厳を欠片も感じられない奇声を上げた直後だった。
座卓の端に置いていたスマホの画面にメッセージの通知が表示された。
手に取ると桜井からだった。文面は以下の通り。
『荒神塔子って知ってる? なんかDVDとかに出てる有名な人らしいんだけど』
九尾は「ん?」と首を傾げる。
『知ってるよ(変なゆるキャラのスタンプ)』と返事をすると、更に桜井からメッセージがきた。
『あの人って、本物の霊能者なの?』
九尾は深く考えずに『本物だよ(変なゆるキャラのスタンプ)』と返した後で気がつく。
「あいつら……まさか、荒神さんに何かの迷惑を……」
急いで『彼女は本物の霊能者だけど、迷惑掛けちゃだめよ。何かあったらわたしを頼りなさい』と追撃のメッセージを送った。
すると、数分後に桜井から『じゃ、何かあったら遠慮なく』と返ってきた。
それはそれで、不味い気がした。
その日、仕事が終わると野田啓二は、茅野循に呼び出された。場所は数日前にも訪れた住居近くのファーストフード店である。
すでに日が沈んでおり、夕食時も過ぎていた事から、店内の客入りはまばらだった。長距離ドライバーや仕事帰りらしきスーツ姿。取り留めもないお喋りに興じる高校生といった数組しかいなかった。
その中に茅野と桜井、そして、もう一人見た事のない顔の人物が奥まったテーブル席で、啓二の事を待っていた。
その人物は桜井と同じぐらい小柄で、ベリーショートヘアだった。彼女の右隣に茅野が、その向かいに桜井が座っていた。啓二は空いていた桜井の左隣に腰をおろした。
「それで、話というのは……」
啓二は例の事件についての話があるとしか聞いていなかった。
「こちらの調査で判明した情報を提供するというお約束でしたので」
と、茅野は言って、たっぷりと甘くした珈琲を飲んだ。彼女の言葉を聞いた啓二は、自らの珈琲にミルクを入れる手を止めて顔を上げた。
「何か解ったんですか?」
「ええ」と言って、茅野は隣に座る見知らぬ女性の事を手で指し示す。
「……彼女が事件のすべてを解決しました」
「事件のすべてを……って、そもそも、誰なんですか? この人は」
そこで見知らぬ女性は軽く頭を下げると名前を名乗る。
「申し遅れました。私は栄田広華。本物のシエルの……搗本文華の姉となります」
「本物の……? ということは丹沢空は、シエルではなかったという事なんですか?」
栄田は頷く。
そして、啓二に丹沢がシエルの振りをするようになった経緯を話して聞かせた――。
「……そんな事が」
啓二はあまりにも予想外だったシエルの正体に唖然とした。
そして、栄田がまるで、台本でも読むかのような口調で言った。
「以上の事を踏まえ、こちらの茅野さんから提供された情報などを吟味した結果、えっと……私は丹沢さんの首斬り殺人と、あなたの妹さんの死の真相に至りました」
「本当ですか!?」
啓二は身を乗り出す。
「……では、妹を殺した犯人はいったい誰なんですか?」
「妹を……殺した……?」
栄田が首を傾げ、不安そうな視線を茅野の方に送った。茅野は何やらひそひそと栄田に耳打ちをした。栄田は二度、三度と頷いて、再び啓二の方に向き直る。
「えっと……違います。貴女の妹さんは自殺です」
「馬鹿な……」
と、信じられない様子の啓二を置いて、栄田は話を進める。
「そして、丹沢さんを殺したのも、貴女の妹さんです」
「は……」
啓二は大きく目を見開いて凍りついてから噴き出す。そして、猛烈な勢いの早口で語り出した。
「何を馬鹿な事を。妹には犯行は不可能だ。警察の調べによれば、事件現場である丹沢家の門の外から玄関に向かう足跡が丹沢のもので、玄関から外へと向かう足跡が犯人のものだったはずだ。この事から、丹沢は雪が降っているときに一度家を出かけて、その隙に犯人は丹沢家に侵入し、雪が止んだ二十時以降に丹沢は家に帰ってきて、犯人と鉢合わせて殺されたという事になる」
「ええ、合ってます」
どういう訳か、茅野が相づちを打った。啓二は気にせず話を続けた。
「……つまり、犯人は二十時以前にアリバイがない人物。そうでないと、犯人が侵入したときの足跡が残されてしまう。妹は近くのショッピングモールのドーナツショップに二十時までいた。遺体発見時、玄関前には、その二種類の足跡しかなかったし、他に丹沢の家の周囲には足跡はなかった。後のマスコミの発表でもそうなっていた」
論破したつもりの啓二は、会心の笑みをもらした。しかし、栄田は怯む事なく……そして、まるで下手くそな俳優のようにわざとらしい声音で反論する。
「あれは、簡単なトリックです」
「トリックだと……?」
「えっと、確か、その、なんだっけ? ようするに、靴を取り替えたんです」
「靴を?」
ピンと来ていない様子の啓二に、栄田は視線を斜め上にしながら説明する。
「真帆絵さんが犯行現場に向かったのは、雪が止んだ二十時以降です。それで、普通に呼び鈴を押して、出迎えに出た丹沢さんを鈍器で殴るか、スタンガンを当てるかして襲った。それで、その……下駄箱でしたっけ? 微量な血痕が付いていたのは、そのときのものだった。きっと、丹沢さんが倒れたときに頭を打ったのでしょう。それで、浴室で首を切断した後で、真帆絵さんは丹沢さんの靴を履いて帰った。つまり二種類の足跡はどちらも犯人のものだったらしい……です」
栄田が“らしいです”と言った途端、茅野がなぜか「おほん、おほん……」と咳払いをした。
栄田は「あ……」と小声を出してから更に話を続けた。
「きっと、丹沢さんの携帯から真帆絵さんにメールを送ったのも、彼女でしょう。自分以外の人間に死体をできる限り早く発見して欲しかったみたいです。貴方がその役割に選ばれた」
「なぜ……そんな」
「簡単です。妹さんと共に貴方が死体を発見した日は、午後からかなり気温が上昇するはずだった。せっかくのアリバイ工作が融けて無くなってしまうかもしれません。しかし、真帆絵さんは事件からしばらく経って、良心の呵責に耐えきれなくなって自ら死を選んだ。これは想像なんですが、たぶん真帆絵さんは思い出の地である千洗ダムに持ち帰った生首を捨てたのではないでしょうか。普通ならば、この時期はダムまでの道は冬季の降雪を考慮して封鎖されていますが、当時は春先のような好天が続いていた。行けない事はないでしょう」
「すごい推理ね。ぜんぜん、考えもつかなかったわ」
「すごーい」
茅野と桜井が小さくパチパチと拍手する。その二人のリアクションに少しだけ不自然なものを感じながら、啓二はどうにか栄田が口にした推理を否定しようと頭をめぐらせる。
「ええっと……そもそも、妹が何で、あの女を……動機がないじゃないか。妹はあの女を慕っていたはずだ。それに、殺すならまだしも、首を切断するなんて異常すぎる……」
この疑問が来る事を事前に想定していたような早さで、栄田は答え始める。
「それは、貴方が彼女を荒神塔子さんに会わせようとしたからです」
「何だって? どういう事なんだ。荒神塔子の件は、妹も乗り気だった」
「妹さんは恐らく丹沢さんの手に千金紋がある事に気がついてしまったのでしょう。この千金紋があるのはシエルの方ではなく“シエルの親友”の方だった」
「千金紋……?」
啓二が首を傾げた。すると、栄田が「千金紋っていうのは……」としばらく考え込み「何でしたっけ?」と、茅野に話を振った。
茅野が喋り出す。
「珍しい手相よ。親指と人差し指の中心辺りから手首方向に湾曲しながら伸びているのが生命線で、その始点から中指の付け根辺りに湾曲しながら伸びる線が千金紋ね。別名“成り上がり線”とも呼ばれている。この手相の持ち主は金運に恵まれるらしいわ」
「確かに妹は占いを趣味にしていたから、そういった事に気がついた可能性はあるが……」
と、言いつつも、啓二の表情は納得がいかなそうだった。茅野の話は更に続く。
「恐らく真帆絵さんがその事に気がついたのは、荒神さんに丹沢さんを会わせる事を了承した直後ね。丹沢さんの手に千金紋がある事に気がつき、真帆絵さんは彼女がシエルではない事を知ってしまった。そうなると……」
と、そこで桜井が「循、今日は違うでしょ?」と、語り過ぎた茅野を嗜めた。
茅野は、はっと我に返り「おほん」と咳払いをする。そして、平然とした顔で宣う。
「……と、栄田さんはおっしゃりたいみたいです」
「はあ……」
唖然とする啓二に向かって、栄田が再び話し始める。
「恐らく真帆絵さんは、彼女が偽物か本物かよりも、貴方の……お兄さんの言う通り、丹沢さんの脳腫瘍が嘘だった事が我慢ならなかった。だから、荒神塔子に真実を見破られないように彼女の首を持ち去った」
「嘘だ! そんなの嘘に決まっている……」
と、啓二は声を張り上げた。
しかし、その表情には、言葉とは裏腹の意志が滲んでいた。
そこで栄田は鞄の中からSDカードを取り出して、啓二の方に差し出す。
「私の言う事が信じられないなら、荒神塔子さんに、この中の写真を鑑定してもらってください。恐らく私の推理が正しいと解るはずです。例えそうでなくとも、何か解るはずです」
それは、茅野が千洗ダムで撮影した生首の写真であった。




