【09】一般人目線
「真帆絵ちゃんが、進学先を選択した理由はシエルさんじゃないと思いますよ」
そう言った天原加代は仕事帰りだけあって、疲れた顔をしていた。地味な眼鏡を掛けており、初対面で五分以下の対話ならば、以降は彼女の存在を脳裏にとどめておく事はできないだろう。そんな外見をしていた。
当初の彼女は、茅野の取材の申し出を拒否していた。しかし、茅野が野田啓二とも会う事を知った途端に態度を翻した。言葉を濁してはいたが、どうも啓二に対して良い感情を抱いていないらしく、彼の口からシエルや真帆絵についてある事ない事言われるのが、我慢ならなかったようだ。
そうして、彼女が待ち合わせ場所に指定したのが、県庁所在地の駅前にあるファミリーレストランであった。あの杉本奈緒と茅野姉弟が対面した店である。
すでに夜の帳は降りており、テーブルを埋める客層は、若者と仕事帰りらしき者たちの姿が見える。
そんな中で天原はドリンクバーの野菜ジュースを静かにストローで啜ると、話を続けた。
それによると、彼女はくだんの義与国際大学の卒業生らしい。
「……まだ高校生だった頃に、私が義与国際大学に進学するって話をしたら、真帆絵ちゃんが『私も』って。そのときはまだ彼女にシエルさんの話をする前でしたから」
「確かに、義与国際大学は、県内で進学を希望する女子の進路としては、わりと珍しくありませんしね」
と、茅野が言うと、天原は「そうですよね」と言って再び野菜ジュースを口にした。因みに桜井は、茅野の隣でグリルハンバーグプレートをもしゃもしゃと食っていた。
その食いっぷりをちらちらと気にしながら天原は言葉を続けた。
「そもそも、真帆絵ちゃんのお兄さんって少しおかしいんです」
「というと?」
と、茅野が促すと、天原が何やら言い辛そうに話始めた。
「……何て言うか、その……ちょっと、真帆絵ちゃんの事を心配しすぎっていうか」
すると、桜井がオレンジジュースをぐいと飲んで、そのグラスを豪快にテーブルに叩きつけてはっきり言う。
「シスコンだったんだ」
「え、ええ……」
と、天原は苦笑する。
高校のときは門限などに五月蝿かったそうだ。ちょっと帰りが遅くなっただけで、電話やメールが止まなかったのだという。家にいても何か監視されているようで、気が休まらなかったらしい。
「真帆絵ちゃんのSNSを監視していたみたいで、それでシエルさんの事を知ったみたいです。真帆絵ちゃんがSNSにシエルさんの事を書いちゃった事があって、それを見たみたいですね」
「そういう経緯だったんですね」
と、茅野は得心した様子で頷き、たっぷりと甘くしたホット珈琲を口にした。
何でも野田啓二は、わざわざ真帆絵の暮らす義与の下宿先を訪ねてきて、シエルとの関係を咎めたのだそうだ。
「本当に異常ですよね。それで、その……これも、すごく異常で、何か良く解らないんですけど、本当に謎なんですけど」
茅野は桜井と顔を見合せて、天原に聞き返した。
「何が謎なんです?」
「何か、霊能者に、シエルさんが本当に脳腫瘍なのか視てもらうとかって話になってたらしくて……」
桜井と茅野は苦笑する。
確かに普通の人からしたら、明らかに異常な話である。
「真帆絵ちゃんも真帆絵ちゃんで、その話に乗り気で……その人は本物の霊能者だから、お兄さんもシエルさんが嘘を吐いてないって納得するだろうって。私ちょっと意味が解らなくて」
茅野は、それはそうだろう……と思いつつ、再び桜井と顔を見合せる。
すると、天原は沈痛な顔になり、無理やり笑って言葉を発した。
「……でも、けっきょく、その……シエルさんが、あんな風になって、霊能者の方を引き合わせる事はできなかったみたいなんですけど」
「その事を聞いたのは、真帆絵さんからですか?」
天原は頷く。
「事件の後に聞きました。前々からお兄さんとシエルさんの事で揉めているのは知っていましたけど、あの日は、まさかそんな事になっているとは思いませんでした」
「あの日って、事件の日?」
この桜井の言葉に天原は深く頷く。そして、遠い目をしながら当時を振り返る。
「……確か、あの日は酷い雪で……私と真帆絵ちゃんは当時、義与市内のショッピングモール内のドーナツショップでアルバイトしていました。シフトは十九時からで、こんな日だから誰もお客なんていないんだろうなって思って店にいったら、真帆絵ちゃんがいました。彼女は朝から十八時までシフトだったみたいですね。でも、雪が激しくなってきて、止むまで時間を潰していたみたいです。けっきょく、真帆絵ちゃん以外のお客さんがぜんぜん来なくて、彼女が雪が止んで帰るまで雑談してたんですけど。そのときも、そんな話はしてなかったのに」
茅野は少し温くなった珈琲を飲み干すと何気なく質問を発した。
「けっきょく、貴女自身はどう思っていたんですか?」
「どう、とは?」
「シエルさんについてです。シエルさんは本当に脳腫瘍だったと思いますか?」
天原はたっぷりと時間を掛けて考えたあと、この質問に答えた。
「解りません。当時は詐病ブログだとか騒いでいる人を見て、馬鹿だな……と、思っていたんですけど、けっきょくのところ、どうでも良かったんだと思います」
「どうでもいい?」
桜井が首を傾げた。天原は静かに頷いた。
「シエルさんと、真帆絵ちゃんとは当時住んでいた所が割りと近かったので、良く一緒に遊んでいました。ブログのオフ会が切っ掛けの関係でしたが、私も真帆絵ちゃんも普通にシエルさんの友達だったんだと思います。まあ、でも、彼女は嘘を吐いていなかったと思いますよ」
「そう思った根拠は何ですか?」
その茅野の質問に天原は即答する。
「彼女の家に行った事があるんですけど、病院にあるようなベッドとか、点滴のキャスターとか。薬もたくさんありましたし。もちろん、私に医学的な知識はないので、それが本物かどうかは解らないんですけど」
このあと、茅野は真帆絵の死の直前の様子を尋ねた。すると、天原は次のように述べる。
「……やっぱり、ちょっと、様子がおかしかったというか。妙に物陰を恐れたり、おどおどしていて、はっきりいえば挙動不審でした」
「挙動不審ですか……」と茅野はその言葉を繰り返した。すると、天原は頷き、次のように言葉を続けた。
「……でも、無理もないと思います。だって、親しかった人を殺して首を斬った人間が自分の近くにいるかもしれないと思ったら、そうなります。きっと、真帆絵ちゃんが、その……死んだのも、シエルを失った事や、そういった事が精神的に辛くて……なんだと思います」
「貴女はどうだったんですか?」と茅野が問うと、天原はどこか寂しげに微笑んだ。
「私も、ショックでしたけど、それより実感がなくて……だって、とつぜん親しかった人が死んで、その首が見つかっていないだなんて……今でも、ちょっと現実感がなくって……」
そして、天原は「きっと、直接死体を見てしまった分、彼女とは違ったんだと思います」と付け加えた。
ここで聞きたい事をすべて聞き終えたと判断した茅野は、他に事件の関係者の連絡先を知らないかと天原に尋ねた。
すると、被害者の親友だった栄田広華なる人物と連絡を取ってくれた。
「彼女は、シエルの死後に知り合いました」
丹沢空の葬儀で知り合ったのだという。彼女は丹沢のブログにたびたび登場する“シエルの親友”であるのだという。身寄りがない丹沢の葬儀を取り行ったのは彼女らしい。
「その栄田さんに会ったのは、シエルさんの葬儀が始めて?」
茅野の質問に天原は「ええ。仕事が忙しい方だったらしくて」と、スマホを取り出した。栄田に連絡を取り始める。すると、茅野の取材を受けてくれるのだという。
桜井と茅野は次の週の水曜日の放課後に、その栄田なる人物と会う事となった。