【07】どん引きする一般人
丹沢空の自宅はすでに取り壊されていたが、事件からしばらくは放置されていた。
その遺体発見現場となった浴室の換気口の格子に紐を掛けて野田真帆絵が首を吊ったのは、事件からちょうど一週間後の事だった。大雪となった事件の日から、ずっと冬らしさのない好天が続き、当日もまるで春先のような陽気だった。そんな中で真帆絵は自ら死を選んだ。
その死が啓二には、単なる自殺だとは思えなかった。
真帆絵の友人によると、彼女は事件後に妙に脅えていたのだという。常に周囲を気にしており、物陰を恐れていたらしい。
もしかしたら、丹沢空の事件の真相に迫る何かに気がついていたのかもしれない。だから、犯人によって殺された。あれは自殺ではない。確証はまったくなかったが、啓二はそう考えていた。
その妄想じみた推測が正しいかどうかはさておき、丹沢空殺害の犯人を突き止める事が、妹の死の真相に迫る近道であると彼は考えていた。
しかし、当たり前の話だが、どこぞの女子高生とは違い、単なる一般人の啓二には、殺人事件の捜査などできるはずもない。
一応はSNSで事件についての発信を行ったり、様々なメディアの取材にも積極的に応じてはいた。しかし、集まる情報は眉唾ものばかりで、メディアは首斬りという部分をセンセーショナルに取り上げて面白がるだけだった。だから、最近では事件の真相を突き止める事を半ば諦め掛けていた。
そんな訳だったので、茅野循から取材の申し込みがあったときも、最初は断ろうかと考えていた。
だが、少しやり取りをしてみて解ったのだが、茅野なる人物は事件について詳しく、今まで関わったどのメディアよりも丁寧で真摯だった。
彼女は下世話な興味を越えた、ジャーナリズム的な関心を、あの事件に抱いているように思えた。
どうもプロの作家としても活動しているらしく、現在は次回作を執筆中なのだという。その取材という事だった。
そして、情報提供に応じてくれるなら、独自の調査で判明した事を提供してくれるらしい。
やり取りを重ねるうちに、彼女になら会っても構わないと思えてしまいOKを出してしまった。
そんな訳で、彼女から連絡のあった週の終わりに住居のある累市のファーストフード店で会う事にした。
昼時が過ぎた後の店内は休日であったが客入りは多く、ほとんどのテーブルが埋まっていた。
奥の四人掛けのテーブルで向きあった茅野循は、啓二の想像よりもずっと若かった。大人びてはいたがまだ高校生ぐらいだろうか。
その隣に座る桜井梨沙という連れの少女は、更に若く見えて子供っぽい外見であった。昼食がまだだったらしく、席に着くなり期間限定のハンバーガーセットと単品ハンバーガー二つを食べ比べる様にぱくつき始めた。
そんなに食えるのか気にはなったが、ひとまず啓二は、茅野に向かって質問を発した。
「作家という事らしいけど、君はいくつなの?」
「来年の一月で十八です」
「へぇ……」
啓二はあまり詳しくなかったが、作家の中には十代でデビューした者が何人もいる事は知っていた。驚きはしたが、そこまで珍しい事ではないのかもしれないと考え直した。
「どんな作品を書いているの?」
この質問に茅野はガムシロップを三つ入れた珈琲に口をつけてから答えた。
「……まだデビューしたてですが、来年の四月頃に『影の跫』というタイトルの小説が出ます」
「影の跫……」
と、啓二はスマートフォンで検索すると、確かに大手出版社の告知やホームページが引っ掛かる。どうやら一般向けのレーベル主催のホラーサスペンス賞を受賞したらしい。作者の名前はとうぜん茅野循ではなかったが、これは筆名なのだろうと、啓二はそう判断した。
画面から顔を上げると、茅野は自信満々の面構えをしており、啓二はまったく彼女が嘘を吐いているようには思えなかった。わざわざ出版社に確認するまでもないだろう。
啓二は茅野の言葉をすっかりと信じ込んでしまった。
「すごいね。若いのに……才能あるんだ」
「二作目は実際の事件をテーマにした社会派ミステリーを書きたくて、こうして野田さんの元に伺った次第です」
「ああ、うん。君が興味本位じゃないっていうのは良く解ったよ」
と、言って啓二もハンバーガーにかぶりついた。そして、それをジンジャーエールで飲み下してから言葉を発する。
「……で、何から聞きたい?」
すると茅野は「その前に録音しても構わないですか?」と断りを入れる。了承すると、テーブルの上に置いたスマホを操作してレコーダーアプリを起動させてから、質問を口にする。
「……妹さんと、貴方は本来ならば一月十八日に被害者と会う予定だったそうですが」
「ああ。本当なら、そうだったんだけど、あの日はすごい雪だったから延期になったんだ。一週間後に」
そう言って、啓二は遠い目で当時を振り返る。
「あの日は大変だったな。けっきょく帰れなくなって職場の仮眠室で朝まで過ごした」
「で、それは、どういった用件だったんですか?」
この質問に啓二は少しだけ思案する。どう伝えたら良いのか。そもそも正直に話したところで信用してくれるのか。
迷いながらも、啓二は話し始める。
「……実は俺と妹だけじゃなかったんだ」
「と、言うと?」
茅野が疑問の声を上げた。答えようとすると、ドリンクをずるずると啜る音が鳴り響く。桜井であった。
「あ、あたしの事は気にしないで。ごめん。単なる付き添いだから」
「今日は彼女の車で、ここまで来ました。私は運転できないので」
茅野のその言葉に、啓二は「なるほど」と納得した。しかし、茅野よりどう見ても年下にしか見えない彼女が車を運転できるというのは、にわかには信じられなかった。
その違和感を口にしようとすると、茅野が先に口を開いた。
「……それで、どういう事なんですか? 貴方と妹さんと、他にも被害者と面会する予定だった人物がいたという事ですか?」
啓二は頷く。
「荒神塔子。知らないかもしれないけど、霊能者でDVDとかに出……」
と、言い掛けたところで、茅野がとつぜん勢い良く身を乗り出して捲し立てる。
「えっ、あの『全日本悪霊地獄スポット巡り』シリーズや『実録! 最恐呪死怨霊vs美人霊能者 決死の除霊対決!』シリーズなんかでお馴染みだった荒神塔子!?」
「あ、ええ、はい」
まさか、知っていたとは……。
啓二は少し引いてしまう。すると、興奮冷めやらぬ様子の茅野を、桜井が冷静に「循、マニア出てるよ」と諌めた。
茅野は、おほんと咳払いをして居住いを只す。すると、桜井がずれた話を本筋に戻す。
「……で、その荒神塔子さんと三人で被害者に会う事になっていた理由は?」
「その、君たちは信じられないかもしれないが……」
桜井と茅野は顔を見合わせる。すると、啓二は思いきった様子で言葉を発した。
「荒神塔子の力は本物なんだ」
茅野は桜井と顔を見合わせたあと、得心した様子で頷く。
「ああ、そうなの。では、荒神塔子さんの力を借りて何かをするつもりだったという事ですね」
「え……」
普通ならば怪しげなマイナーオカルトDVDに出演している霊能者が本物などといったら、そんな馬鹿な……と、疑うか呆れるはずだ。しかし、茅野は霊能力がこの世にあるのが当然といったような口調であった。そして、それは桜井も同じだった。彼女がハンバーガーを右手に持ちながら質問を発した。
「その被害者の方が、何かの霊に取り憑かれていたとか?」
「あ、うん、そうではなくって……」
と、戸惑いつつも野田啓二は、荒神塔子が小学生時代の同級生だった事と、小学四年生のときの祖父が病気で倒れるのを予言した事を話した。
「彼女はどうも、人の身体で悪い部分が目で見ただけで解るんだそうだ」
「つまり、その荒神さんの力で、被害者が本当に脳腫瘍を患っていたのかを確かめようとしたのね?」
啓二は茅野の言葉に、どこか釈然としない様子で頷き、話を続ける。
「あの女は脳腫瘍という話だったが、ネットでそれを疑う声もあった。何より目的が解らなかった」
「目的?」
桜井が首を傾げた。すると啓二は神妙に頷く。
「怪しい宗教の勧誘やセミナーの勧誘とか、何らかの詐欺目的とか……妹は子供で、すぐ騙されそうだったから」
「実際にそういう被害があったのかしら?」
この茅野の質問に、啓二は首を横に振る。
「妹は否定していた。しかし、実際のところはどうなのか解らないし、あの女はなぜか妹の事を気にいっていたらしく、個人的にも会っていたようだ」
「でもさ、霊能者に病気が本当かどうか見てもらうなんて、良く丹沢さんはOKしたよね」
桜井のもっともな突っ込みに対して、野田は肩を竦めて答える。
「本当の目的はもちろん隠したさ。会わせたい人がいるとだけ、妹に言わせて……」
「それで、その妹さんの元に、被害者から“話があるから家に来て欲しい”と連絡があったんですよね?」
茅野の問いに啓二は頷く。
「ああ。俺と妹の二人で来いと。当時の妹は県北の大学に通うために、実家を離れていて、あの女の家から近い場所に住んでいた。だから、義与駅前で待ち合わせて、あの女の家に二人で向かった」
「県北の大学ですか」と茅野が怪訝そうに首を傾げると、啓二は苦々しい笑みを浮かべる。
「ああ。シエルの住居から徒歩三十分くらいの場所にあるアパートだ。きっと進学先を決めた理由も、あの女に言われたからだ」
そう言って、ジンジャーエールの残りを一気に啜った。
啓二は少し自分でもヒートアップしているのを自覚していたので、気持ちを落ち着かせようとした。茅野もそれを察したらしく、話の矛先を変える事にしたようだ。
「……では、言える範囲で構わないので、発見時の遺体の様子を詳しく知りたいのですが」
と、茅野の口から質問出た途端に、啓二は顔をしかめた。
「流石にちょっと……衝撃が強すぎて、あまり、覚えていないというか……」
「すいません。不躾でしたね」
茅野が謝罪すると、啓二は苦笑いを浮かべた。
それから、真帆絵の死について尋ねると、うって変わったようなテンションで「真帆絵はきっと、あの女を殺した犯人に自殺を装って殺された」と言って、薄弱な根拠を捲し立て始めた。
そんな彼を適当に諌めて別れを告げ、桜井と茅野は一路県庁所在地へと向かった。
そこで二人目の天原加代と会う予定になっていた。