【04】考察するだけ
「くだんの事件が発覚したのは、二〇一六年一月十九日の午前十一時頃だったというわ」
と語り出し、茅野は唐揚げを箸で摘まみ、口に放り込んだ。咀嚼して飲み込んだあと話を続ける。
「その日は、前日の大雪とうって変わって、午後から晴れ間が覗き、気温が早春なみに上昇したそうよ」
「ふうん」と桜井は話を聞いているのか、いないのか良く解らない返事をしながら、ハムサンドに手を伸ばしつつ、茅野の話に耳を傾ける。
「遺体の発見者は十一時頃に被害者宅を訪れた知人とその兄だったという話ね。この知人のうちの片方の元に、前日の二十一時頃、被害者から“話があるので会いたい”とメールが届いたらしいわ。それで、その知人は、自らの兄と一緒に被害者宅へと向かった」
「何の話だったの?」
桜井がハムサンドをもぐもぐとやりながら問うと、茅野は自ら持参した水筒から、たっぷりと甘くした珈琲をカップにつぎながら答えた。
「その辺りは報じられていなかったから何とも言えないわ」
「ふむ」と桜井は、小難しい顔で相づちを打つと今度はツナサンドに手を伸ばす。茅野は珈琲を一口飲むとチキンサンドを摘み、話を続けた。
「……それで、二人で被害者宅へ辿り着き、呼び鈴を押しても何の反応もなかった。そこで知人が携帯で被害者との通話を試みたところ、やはり反応はなく、被害者は一向に電話に出る気配がない。そこで、玄関に鍵が掛かっていないことに気がついたそうよ」
「それで、家の中に入ったんだ?」
「ええ。それで、浴室で被害者の遺体を発見したらしいわ。現在に至るまで被害者の首は見つかっていない」
「なるほどね」
そこで桜井は自らの持参したくまさんの水筒からほうじ茶をキャプにそそぎいれた。
そして、難しい顔で言う。
「犯人は何で被害者の首を持っていったんだろうね? あのギロチン踏切のときの、キモキモのキモいやつかな?」
茅野は首を振り、フライドポテトを口に運んだ。
「今のところ、私の手元にある情報では、そういったフェティシズムなどの観念的な動機である可能性は高いわね。現代では、殺人において合理的な理由で首を落とす必要性が薄いもの」
「そうなの?」
桜井はフライドチキンに噛りつく。茅野は頷くと語り始める。
「殺人において首を落とす合理的な理由は、だいたい、身元の隠蔽、身元の証明、確実な死の三つに分けられるわ」
「なるほど。身元の隠蔽は解るよ。単純に人相が解らなければ誰か解らないもんね」
「そうよ。ただ、現代では指紋、DNAなど、人相以外にも本人の身元を示す情報は沢山ある」
「じゃあ、身元の証明は?」
「身元の証明は戦国武将が、討ち取った敵将の首をはねるわよね?」
「ああ……」
と、桜井が得心した様子で声をあげた。茅野は頷くと話を続ける。
「そう。自分が討ち取った者が敵将であるという身元の証にするためね。最後の確実な死も解るでしょう?」
「うん。頭を落として生きている人間はいない」
「そうね。でも、これも昔ならいざ知らず、医学がある程度発展した現代において、そこまでしなくても人が死ぬ事は、一般人でも充分に理解している。つまり現代では、殺人において首を落とすという行為は、相当に異常という事よ。普通は殺人において、そこまでする必要はない」
「なるほど……」
桜井は納得しつつ茅野に問う。
「でも、循はさっきの心霊写真を見て、その首切り事件と関係がありそうだって解ったんだよね?」
「ええ」
「そんな解像度が低くて、ちっちゃく写っているだけなのに、よくその事件の被害者だって解ったね」
すると茅野は珈琲を飲んでから、桜井の疑問に答える。
「別にこの写真の生首の人相で、事件と関わりがあると考えた訳じゃないわ」
「というと?」
「事件後にインターネット上で、被害者についてある噂が持ち上がったの」
「どんな?」
「被害者が詐病ブログをやっていたという事らしいんだけど」
「さびょう……ブログ?」
桜井が首を傾げると、茅野は解説をする。
「ブログサイトの全盛の時代に、自らや家族の治療の様子や病状を綴った闘病ブログというのがあって、一つの定番ジャンルだったの」
「ああ。今でも、SNSとかで、そういう発信をしている人がいるらしいね」
「ええ。そういった中には、病気を装って、他人から同情される事により、承認欲求を満たしたり、ときには、寄付やカンパを募る詐欺を働いたりする目的の、虚偽の闘病ブログもあったというわ」
「それが、詐病ブログ……」
桜井の言葉に茅野は頷く。
「ええ。正確には、丹沢がやっていたとされるブログは、詐病だと疑われていたブログなのだけれど。ともあれ、そのブログのタイトルは『シエルの癌殲滅戦記』といって、ブログ主のシエルは脳腫瘍を患っていたらしいわ。このシエルが丹沢なのではないかと、一部の人が言い始めた」
「脳腫瘍……首なし……何かつながりがありそうだね」
「ええ。暗示的ね」
「で、そのシエルさんは本当に、その首なし事件の被害者だったの?」
茅野が頭を横に振る。
「そこまでは報道された情報では解らないわね。確証はない。ただ、事件発覚から半年ほど経って、その『シエルの癌殲滅戦記』に、シエルの家族を名乗る人物の投稿があったわ」
「どんな?」
「シエルが急逝した事と、ブログを一週間後に閉鎖する旨が書かれていた。その宣言通り、一週間後にブログは削除された」
「じゃあ、やっぱり事件の被害者は、そのシエルさん?」
「いいえ。彼女の死因については記されておらず、そこは何とも言えないところね。シエルと丹沢さんは別人で、シエルは別な原因で死んだのかもしれないし……」
「じゃあ、何で、循はさっきの心霊写真の生首が、四年前の首なし事件の被害者だって思ったの? 生首だからってだけじゃないよね?」
「とうぜんよ」
と、茅野は言ってから、さっきの写真の女の首が二〇一六年に発生した首切り殺人と関係があると思った根拠を述べた。
「その削除されたブログをウェイバックマシンで見た事があるのだけれど、あのトンネルの前の前衛的なオブジェの写真が載せられていたのを思い出したの」
「あー」と、桜井は記憶を辿りながら相づちを打った。
「じゃあ、シエルはあのダムに来た事がある?」
茅野が神妙な顔で頷いた。
「写真の生首がシエルなのかは解らない。でも、恐らく何らかの関わりはあると思うわ」
そこで桜井は、ほうじ茶をずずず……と啜り、鹿爪らしい顔で言った。
「……で、どうする?」
「もちろん、折角だし事件の真相を考察してみましょう。篠原さんに迷惑が掛からないように」
「そうだね。考察するだけだったらいいよね」
もちろん、それだけで終わる訳がなかった。




