【02】篠原さんに優しいスポット探索
二〇一二年の春だった。
シエルは病院のベッドの上から親友の顔を見上げた。そして、指先を震わせながら右手を伸ばした。
親友はベッド脇の椅子に座り、そっとシエルの痩せ細った右手を握って微笑む。
「いいよ。やってみる」
その答えを聞いてシエルは、安堵の微笑みを浮かべる。そして、病的に青ざめた唇を震わせながら喉の奥から声を絞り出した。
「……あのね。“シエル”って、どういう意味か知ってる?」
親友はきょとんとした顔になり、首を傾げる。
シエルは悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。
「フランス語で“空”っていう意味なんだ」
事の発端は八十上村へと行った翌日の放課後だった。
オカルト研究会部室で、桜井はコンビニの新作スイーツである“たっぷり生クリームの苺シフォンケーキ”と、“ゆずみかんのクリームタルト”をテーブルに並べて、ためつすがめつしていた。すると物憂げな顔で珈琲を口にしていた茅野が唐突に声をあげた。
「少し心配な事があるのだけれど……」
「どったの? 藪から棒に」
桜井が茅野の方に視線を向けると、彼女は眉間にしわを寄せたまま右手の珈琲カップをテーブルに置いて語り始める。
「篠原さんの事なんだけど……」
「ああ、うん」
「彼女、ちょっと、様子がおかしかったのよ」
「様子が、おかしい……?」
桜井が怪訝な顔で首を捻ると、茅野は深刻な表情で頷き口を開いた。
「この前の八十上村で、篠原さんに電話を掛けたじゃない」
「あー、うん、掛けたね」
「そのとき、八十上村にいる事と、人が死んでいる事を告げたら、まるで怪鳥のような奇声を上げたのよ」
「まさか、祟り……」
桜井は神妙な顔つきで、ごくり……と、唾を飲み込んだ。すると、茅野がゆっくりと首を横に振って言った。
「そうじゃなくて、たぶん、仕事のし過ぎで疲れているんじゃないのかしら?」
「ああ……なるほど」
合点がいったという調子で、桜井は深々と頷いた後、ぽん、と両手を打ち合わせる。
「もしかして……あたしたちのせい?」
「そこに気がついたようね。梨沙さん」
と、茅野は鹿爪らしい顔で言った。
桜井は両腕を組み合わせて「うーん」と唸り声をあげると、しょんぼりと肩を落として申し訳なさそうな顔になる。
「確かに、最近はかなりタフなスケジュールだったよね。あの日は、二回行動だったし。篠原さんって、しごできな女刑事っていう感じだから、あんまり気にしてなかったけど、ちょっとやり過ぎだったかもね」
「篠原さんには、まだまだ頑張ってもらわないと……私たちのために」
と言って、茅野は悪の女幹部めいた笑みを浮かべながら言う。
すると、桜井が少し寂しそうな顔で唇を尖らせた。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「そうね……せめて今週は、ソフトめなスポットにしましょう」
「ソフトめ?」
桜井が首を傾げると、茅野は傍らに置いてあったタブレットに指を這わせ始めた。
「ここなんかどうかしら?」
「どれ」
と、桜井は茅野が差し出したタブレットを覗き込んだ。そこには、どこかの山間にあるダム湖をドローンか何かで撮影したような画像が表示されていた。
「ここは?」
桜井が顔を上げて尋ねると、茅野は再びタブレットを己の手元に手繰り寄せて答える。
「ここは、県北の山中にある千洗ダムというスポットよ。ここでは昔、山を根城にしていた山賊と、この地方を治めていた領主との間で合戦があったらしいわ」
「……という事は、その山賊の人の幽霊がでてくるんだね?」
「いいえ。ここに出てくるのは、噂によると長い黒髪の女らしいわ」
桜井の目が点になる。
「でも、何で? その女が山賊の人って事?」
「違うと思うわ。調べてみると、この山賊団の頭目の名前は金村元乃信という名前ね。肖像画とかは残っていないから、何とも言えないけれど……」
「名前からすると、思いっきり男だね」
桜井がそう言うと、茅野は「そうね」と相づちを打つ。眉間にしわを寄せながら桜井が首を捻る。
「じゃあ、何で、長い黒髪の女の幽霊? 近くで事件があったりとか……女の人が死んだとか、そんな感じの」
「調べてみた限りでは、なかったわ」
「じゃあ、何で?」
桜井が再び首を横に振ると、茅野は呆れた様子で溜め息を吐いて己の見解を述べた。
「たぶんだけれど、これはあれじゃないかしら? 兎に角、心霊スポットに出現する幽霊といったら、髪の長い女の幽霊みたいな、そういう……」
「ああ……テレビとかで心霊ものの再現ドラマをやると、半分ぐらいは髪の長い女の話になっちゃうやつだね。そして衣装はだいたい白か赤のワンピース」
桜井が得心した様子で言うと茅野は「そうね。たぶんデマの可能性が高いわ」と言って、頷く。すると、桜井は何とも言えない表情で声を上げた。
「流石に温すぎない?」
すると、茅野が右手の人差し指を立てて、それを左右に振った。
「梨沙さん、それは感覚が麻痺し過ぎだわ。普通の心霊スポットはだいたいこんなものよ」
「そかなー?」
「それに、今回のスポット探索の目的は篠原さんをいたわる事よ。まさにうってつけのスポットだと思うわ」
「だいぶ頭のおかしい事を言っている気がするけど」
「気のせいよ」
「そか。まあ、たまにはのんびりお弁当を持ってピクニックというのも悪くはないね」
「じゃあ、今週末は、ここで決まりね」
「腕を振るって弁当を作るよ」
篠原をいたわるために心霊スポット探索をやめるという選択肢が脳裏に存在しない二人であった。
「そうと決まれば、スタバに行くわよ」
そう言って茅野は勢い良く残りの珈琲を飲み干すと立ち上がった。桜井はとうぜん首を傾げる。
「何で?」
「もし、スポット探索中に篠原さんから所在を尋ねられたときのアリバイ証明用捏造写真を撮りに行きましょう。加工しても良いけれど、やはり本物の説得力がいちばんよ」
「そこまでする必要あるのかなあ……」
桜井は苦笑した。
そうして二人は帰り支度をし始めたのだった。




