【00】狐狩りの仕事
真夏のある日。
住宅街の只中にある小さな公園で、子供たちが遊んでいた。そこは、ブランコと鉄棒、藤棚の下に置かれたベンチしかない小さな公園だったが、全面が芝に覆われていた。
子供たちはどこぞから拾ってきた軟式テニスボールとカラーバットで野球に興じている様だ。
ほとんどが高学年ぐらいの年齢で男児ばかりであったが、二名の女子の姿があった。そのうちの一人は、真っ黒に日焼けしており、男子と一緒にバットを振っていた。もう一人は藤棚のベンチに座り、遠い目で他の子供たちが騒ぐ様子をじっと見ていた。その少女は色白で、華奢で、まるで人形のようだった。
そのまま時は過ぎ、世界が夕暮れの赤に沈み込んだ頃。
公園の入り口に臙脂の作務衣を着た男が姿を現す。彼は右手に葱が飛び出た買い物袋を下げていた。歳は六十を超えているように見える。
男は左手を上げると、野球に興じる子供たちの方に向かって声を上げた。
「おーい。暗くなる前に帰るんだぞー」
子供が一斉に動きを止めて、男の方を見た。そして、女の子と、一番背の高い男子が満面の笑みを浮かべて手を振り返す。二人は兄妹で、作務衣の男は彼らの祖父であった。
「おじいちゃん!」
女の子が声をあげた。
男は「おう」と返事をして、右手の買い物袋を掲げて言う。
「今日はすき焼だから。はよう帰って来いよ!」
「やったぜ」
彼女の兄が諸手を上げて喜んだ。
「それじゃあ、先に帰っとるぞ」
そう言って、男は子供たちに背を向けて立ち去っていった。そして、彼の姿が見えなくなった頃だった。
藤棚のベンチに座っていた色白の少女が唐突に腰を浮かせて、兄妹の方にやって来る。
「今の野田さんたちのおじいさん?」
兄は面食らった様子の顔で「うん、そうだけど」と答える。
すると、色白の少女が右のこめかみを指差して、深刻そうな顔で言った。
「気をつけた方がいいかも」
その施設は広大な田園地帯と山間部の狭間に広がる人気のない土地に所在していた。何かの事務所らしい、コンクリートの小さな二階建てであったが、駐車場はやたらと広い。敷地は高いフェンスで囲まれており、その門には『EI研究所』という表札があった。
検索しても、地図上においてその場所に建物があるという以外の情報は得られず、地元民もその場所が何なのか知る者はいない。
因みに“EI”とは“exception Incident”の略であり、それは“特定事案”の英語表記に用いられる言葉であった。
この施設の本体は地下にあり、県内で発生した特定事案関連の証拠物件や回収物を保管、破棄、封印する場所となっていた。
その一際大きな部屋だった。
いくつかのブルーシートが敷かれており、そこには様々な呪物が番号札と共に並べられていた。
像や人形めいたものが多かったが、中には人骨や人間の革を使った工芸品などもあった。これらは、あの阿武隈邸地下より押収された呪物である。
そのブルーシートとブルーシートの間を慣れた足取りで行き来するのは、最強霊能者の九尾天全であった。彼女は魔女染みた黒いワンピースに白いタートルネックのインナーをまとい、右手にタブレットを抱えていた。
そして、隅にあったブルーシートの前で立ち止まると、タブレットの画面と並べ立てられた呪物の番号札を見比べ始める。
その表情は真剣そのもので、どこぞの女子高生に弄ばれているときのポンコツ霊能者のものではなかった。このように彼女は日夜“狐狩り”として危険な怪異や呪物と戦う日々を送っているのだ。
そんな彼女に向かって、同じようにタブレットを持った灰青のスーツの女が近づいてくる。歳は九尾と同じくらい。柔らかに波打つ黒髪で、右腕に黒い数珠をつけていた。どこか教職や議員などのお堅い職業に就いていそうな雰囲気を漂わせている。
彼女の名前を荒神塔子という。
荒神も九尾と同じく“狐狩り”の霊能者だった。幼い頃から不思議なものを視る事ができて、二十前後のときには、美人霊能者としてオカルト系のマイナーなDVDに何回か出演したりしていた。とはいえ、当時は既にテレビの心霊番組やスピリチュアルブームは下火となっており、よほどのオカルトマニアでない限り彼女の名前を知るものはいない。
「九尾先生……」
「荒神さん、どうも」
と、タブレットから視線を外して反応を示した九尾に、荒神は指摘する。
「最近、飲み過ぎじゃないですか? ちょうど、腰の辺り……腎臓かしら? その辺りにうっすらと黒い靄が掛かっています」
「あははは……」
九尾は気まずそうに笑う。
一口に霊視といっても、その視え方は千差万別で、視えるものも違ったりする。荒神はこの世ならざらる存在を見通す力の他にも、人体の不健康な部分を一目で見抜く事ができるのだという。
「実は、この県のお酒が美味しくって……」
「駄目ですよ。控えないと」
「いや、ほら。わたしって、酒を飲めば飲むほど調子良くなるタイプですし……」
などと嘯く九尾に対して、荒神は呆れた様子で溜め息を吐いた。そして、ぽつりと「父を思い出すわ」と独り言ちる。九尾は小首を傾げて問返す。
「お父さん……ですか?」
「ええ。お酒好きで九尾先生と同じ事を言っていました」
「え、荒神さんのお父さんも、飲めば飲むほど調子が良くなるタイプなんですか?」
「違いますよ」
と、荒神は苦笑する。そして、言葉を続けた。
「父も、この県のお酒が美味しいって」
「ですよね!」
「実は、私も子供の頃、ほんの一時期だけ、この県で暮らしていた事がありました。小学生のときですね。両親の仕事の都合で」
「そうだったんですか……」
九尾は得心した様子で頷く。以前、聞いた話では、彼女は関西在住であったはずだった。今も西日本を中心に、“カナリア”と協力して様々な特定事案の対処に当たっている。
「で、けっきょく、父は肝硬変で亡くなりました。ですから、九尾先生も気をつけてくださいね?」
その言葉に九尾はひきつった笑みを浮かべた。すると荒神はころころと笑う。
「大丈夫ですよ。先生は少し腎臓が疲れているだけって感じで、すぐにどうこうという話ではありません」
「良かったー」
九尾は返事をすると、ほっと胸を撫で下ろした。