【01】次元の歪み
その日の昼休み。
藤見高校部室棟の二階にあるオカルト研究会の部室だった。
「……茅野っちと桜井ちゃんは、心霊スポット探してるんだよね?」
そう言ったのは写真部の西木千里であった。
あの楝蛇塚の一件の後、ときおりオカ研部室へと顔を見せるようになっていた。
そんな彼女の質問に茅野は返事をする。
「ええ。私たちはオカルト研究会ですもの」
「うん」
桜井も同意した。
すると西木は茅野の入れた珈琲を啜ってから、話を切り出す。
「実はさ、部の先輩から面白い話を聞いたんだけど……」
「面白い話?」
茅野が眉をひそめ、桜井はテーブルの上で袋を開かれたバーベキュー味のスナックを、ひょいと摘まんだ。
「その先輩も彼氏から聞いた話らしくてさ……」
茅野が恍惚とした表情で微笑む。
「良いわね。典型的な“友達の友達”からの話って訳ね……」
「興味を持ってくれて何よりだけど」と西木は苦笑する。
一方、桜井は聞いているのかいないのか解らない様子でスナック菓子にパクついていた。
まったく平常通りなので西木は話を続ける。
「実は、その彼氏、来津高校の生徒で……」
来津市に所在する高校である。なお偏差値はあまりよろしくない。
「学校の近くに、絶対に怪奇現象が体験できる場所があるんだって」
「……絶対に怪奇現象が体験できる……ですって……?」
茅野の瞳がよりいっそう輝きを増した。桜井はスナックに伸ばした手を止める。
「絶対って、どれくらい絶対?」
「うーん……」
と、西木は思案して答える。
「まあ流石に“絶対”というのは大袈裟なんだろうけど。兎も角、その家の書斎に入ると、おかしな事が起こるらしいよ」
「ふうん」
「ネットではあんまり名前はあがらないけど、来津市では有名らしくて、“異次元屋敷”って呼ばれてるんだってさ……」
西木によれば、そこにはある夫婦が暮らしていたらしい。
しかし、夫が他界し妻も後を追うように病死。以降そのまま何年も捨て置かれているのだという。
「で、そこではどんな怪奇現象が味わえるのかしら?」
「その先輩の彼氏さん、夏休み前に同級生二人と同じ部の後輩の女子と一緒に、その異次元屋敷に行ったらしいんだけど……」
――西木は先輩の彼氏たちの体験談を語った。
「……成る程。手に持っていた本が本棚に戻り、部屋にいた人物がいつの間にか廊下へ……ポルターガイストかしら?」
「さあ。物が勝手に動いたとか、そういう訳じゃなさそうだけど。何か先輩によると、気がつくと勝手に物や人の位置が変わっていたって。次元の裂け目がその部屋にあるんじゃないかっていう噂らしいよ」
「それで“異次元屋敷”という訳ね?」
茅野の言葉に西木が頷く。
そこで桜井が何かを思い付いた様子で声をあげる。
「ねえ。循」
「何かしら?」
「もうすぐ中間テストだし、ここは景気付けにいっぱついっとく? 異次元屋敷」
「いやいや、桜井ちゃんは勉強しなよ……」
突っ込む西木。そもそも、テスト前の景気付けに心霊スポットに行くとか、まったく意味が解らない。
しかし、茅野は、
「まあ、そんなに遠くはないし、明日の放課後にでも行ってみましょうか」
「うわーい!」
桜井が諸手をあげて喜んだ。
「えぇ……大丈夫なの? テスト……」
西木は呆れ顔をする。やはり、この二人は常人の理解の外にいるのだと、改めて思い知らされた。
こうして二人は翌日の放課後、来津市へと向かったのだった。
桜井と茅野は電車で来津駅まで向かい、そこから徒歩二十五分の道のりを歩く。
一応、西木も誘ったのだが「テスト勉強するから……」と、断られた。
「まあ、心霊スポットは素人さんには危険だからねえ」
……などと、知ったような顔で頷く桜井に、
「別に私たちもプロではないわ。梨沙さん」
と、茅野が突っ込む。
「……で、循はどう思う? 西木さんの話」
「聞いたところだと、“アスポーツ現象”のようだけれど……」
「あすぽーつ……げんしょう?」
桜井が首を傾げる。
「突然、目の前にあった人や物が消え失せて、別な場所に移動する現象をオカルト用語でそう言うわ。反対に目の前に存在しなかった人や物が突然現れるのが“アポーツ現象”よ」
「ふうん」と、いつものぼんやりとした相づちを打つ桜井。
「アスポーツ現象……またはアポーツ現象で有名なのが、メキシコの“瞬間移動した兵士の伝説”ね」
「その伝説、タイトルで内容をすべて説明しきっているところがなろう系だね」
「そうね。でもまあ、もう少し詳しく概略を話させて頂戴」
「うん。どうぞ」
「ありがとう」
そこで茅野は咳払いをひとつして語り始める。
「……事の起こりは一五九三年十月二十四日に、マニラの総督官邸を警備していたスペイン帝国の兵士が、めまいと疲れを感じ始めたので壁に背をもたれて、少しだけ目を瞑ったらしいの。因みに、この前日に当時のフィリピン総督ゴメス・ペレス・ダスマリニャスが中国人の海賊らによって、近隣の海上で暗殺されたんだけど……」
「え……総督は暗殺されたのに総督官邸を警備していたの?」
「そうね。兵士たちは官邸を警備をしつつ新総督が、決まるのを待っていたらしいわ」
「それは、大変な時期だったんだねえ」
桜井がまったく大変そうじゃない感じで言った。
「ええ。それで、その兵士がほんの数瞬後に目を開くと、彼は自分が見覚えのない場所にいることに気がついたらしいの。そこは、何千マイルも海をわたった、メキシコ副王領のメキシコシティであったという訳」
「何千マイル……千マイルって何メートル?」
桜井の質問に茅野は即答する。
「百六十万九千三百四十四メートルよ。キロ換算でおおよそ千六百キロね」
「ふうん。凄いね……で?」
「それで、彼はメキシコシティの人々にはまだ知られていなかったフィリピン総督死亡の事実を知っていた。その事で騒ぎになったの」
「ああ、なるほど。そんな昔だとテレビもネットもないし、普通に何を言ってるんだこいつは……ってなるね。それは」
「その通りよ、梨沙さん。そのせいで彼は、悪魔憑きの疑いで投獄されたの……」
それから数か月後。
総督死亡のニュースがフィリピンから船でメキシコにようやく届いた。
更にその船の乗客の一人が、投獄されていた兵士の知り合いで、総督が死亡した翌日にフィリピンでこの男を見かけたと証言した。
最終的にこの兵士は釈放されたらしい。
「結局、原因は何だったのさ?」
桜井の質問に茅野は首を横に振る。
「さあ。この伝説は単なる民間伝承であるらしいけれど……兵士が超能力で無意識のうちにテレポーテーションした説や、宇宙人の仕業という説もあるらしいわ」
「ふうん」
と、そんな会話をするうちに二人は、異次元屋敷へと到着する。
異次元屋敷は田んぼを埋め立てたと思われる古い宅地にあった。
桜井と茅野は、そのビニールハウスの並んだ農地へと続く砂利道の右側にある家へと向き直る。
「ここね」
「案外、普通だね」
それは良くある古い二階建て家屋だった。
外壁は腰丈程度のブロック塀で、庭先には二メートル以上はある、おびただしい数の背高泡立草が群生している。
二人はどちらともなく門を通り抜け、玄関先へと向かった。いつも通りの何食わぬ顔で、玄関の戸を開けて三和土へと入る。
そして、茅野はデジタル一眼カメラを……桜井はネックストラップにぶらさげたスマホを構える。
「埃と蜘蛛の巣、凄いねえ」
「ええ。行きましょう」
こうして、異次元屋敷での探索が始まった。




