【15】ドロン
阿武隈一男は篠原結羽を嘲る。
「……馬鹿が。一瞬でも勝ったと思ったのか?」
そして、銃口を彼女の左頬にぐりぐりと押し当てた。
「逆にお前の方こそ何者だ? こんな玩具を持ってるって事は、堅気じゃねーな?」
「私は警察よ」
と、篠原が答えると一男は、忌々しげに舌打ちをした。
「畜生……めんどうくせえ……」
「私を殺しても無駄よ。すぐに応援がくる」
その篠原の言葉によって、一男の表情に浮かんだ怒りの色が更に色濃くなる。
「ウルセエな! もうこうなっちまったら、てめーをぶっ殺さなくても同じ事だろうがッ!」
その怒声に呼応したかのように、一子が篠原の右頬を殴りつけた。
真後ろへ吹っ飛ばされ、再び湿った床に崩れ落ちる。
篠原は即座に上半身を起こすが、その鼻先に一男が銃を突きつける。
「……なあ、てめーら警察の目的は何だ? どこまで知っている?」
その質問に篠原は淡々とした様子で答える。
「十六年前、白井博一が逗子から持ち去った宿儺の右腕……」
「ああ、アレか」と一男は苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをした。
篠原は言葉を続ける。
「あなたたちが、ここで何をやっているのかは知らない。だから、あの危険な右腕さえ回収できれば、その他の些細な事には目を瞑るけれど……」
「……あれは、もう、ここにはねえよ」
「ない? どこに?」
篠原が眉をひそめた。
すると、一男の顔が苛立ちに歪む。
「それより、てめえ、気にくわえねえ……」
「何が気に入らないのかしら? 現状では悪い条件の取り引きじゃないと思うけど?」
「違う! 違う! 違う!」
と、一男は頭を振って、ヒステリックに喚き散らす。
「気に食わねえのは、てめーの、その余裕ぶった態度だよ!」
シグザウエルの引き金に掛かった一男の人差し指が小刻みに震え出す。
しかし、篠原の表情はまったく変わらない。
「……見かけによらず、短気なのね」
一男は構えていた銃を一旦おろし、歯噛みする。
「すぐにはハジかねえ。泣き叫んで命乞いするまでたっぷりと可愛がってやるよ!」
「ねえ」
「何だよっ!」
「何か忘れてない?」
その篠原の言葉のあとだった。
ばちり……と、何かが弾けたような音が鳴った。すると、唐突に一子の巨体が床に崩れ落ちる。
そこで一男はようやく誰かが自分たちの後ろにいる事に気がつく。
「くそがっ!」
振り向き様に右手のシグザウエルを突きつけようとした。
すると、後ろにいた何者かは、その銃身を上から掴み、一男の右手首を外側に向かって押し出した。
あっさりと彼の掌からシグザウエルのグリップが離れる。
「貴様……」
一男は銃を奪った相手を睨みつける。
それは、“栄光の手”の魔力で昏睡していたはずの桜井梨沙であった。
その隣で右手にスタンロッドを携えた茅野循が、起きあがろうとする一子の顔面に、左手のペッパースプレーを接射していた。
悲鳴をあげながら顔面を両手で覆い、うずくまる一子。
その様子を眺めながら、サディスティックな笑みを浮かべる茅野。
「……お前ら、何で」
と、そこで一男は思い出す。
“栄光の手”の事を。
それは、いつの間にか室内中央の水溜まりの中に横たわっていた。とうぜんながら、五本指の先に灯っていた炎は消えている。
一男が銃をつきつけられて壁際に向かわせたあと、篠原は床に置かれた“栄光の手”を水溜まりの中に投げ込んでいたのだ。
昏睡の魔法効果は、“栄光の手”の五本の指に、炎が灯っている間だけ持続する。
とうぜんながら、篠原はそういった知識を持ち合わせており、一男はその事に思い至らなかった。
「ああ……そんな、馬鹿な」
唇を戦慄かせる一男。その背後で篠原はゆっくりと立ちあがり、血のにじんだ唇の端を人差し指の先で押さえた。
「おそいわよ」
その言葉に桜井は申し訳なさそうに笑う。
「ごめーん。なかなか隙がなくってさ」
そう言いながら、一男に普通の腹パンをかました。
「うお……」
一男は悶絶し腹部に両手をやりながら膝を折る。
篠原は彼の右腕を後ろ手に捻りあげ、その手首に手錠をかけた。更に頭部を抑えつけて床にひれ伏せさせる。
「形勢逆転ね」
篠原の勝利宣言に、一男は歯を軋らせて悔しがった。
そうするうちに、茅野が一子の首筋にスタンロッドを当てながら言う。
「動かないで! 両手を出して!」
一子がそのまま両手首を差し出すようにあげた。茅野は再び結束バンドで彼女を拘束する。
その光景を横目で確認しながら、篠原は鋭い声音で質問を発した。
「……で。右腕はここにはないって話だけど、それは本当なの?」
「ウルセエ! このクソアマが! さっき言っただろ!」
喚き散らす一男。篠原は次の質問に移る。
「じゃあ、今はどこにあるの?」
「何で俺がそんな事をお前に教えてやらなきゃならねーんだよ!」
どうやら、答える気はないようだった。
すると、そこで九尾に名前を呼ばれた。
「……篠原さん、篠原さん」
「何ですか? 先生」
九尾の方を見る。すると、彼女は酷く申し訳なさそうな気まずい笑みを浮かべていた。
「梨沙ちゃんと、循ちゃんなんだけど……」
「あの二人がどうしたって?」
また、何かやらかしたのか。この忙しいときに……篠原は一男を抑えつけたまま周囲を見渡す。
すると……。
「あ、あいつら……」
二の句が継げずにいると、九尾が気まずそうに言った。
「止めたんだけど、二人とも、奥の通路へ……」
そこに桜井梨沙と茅野循の姿はすでに消えていた。
反響する足音。
細い通路に充満した暗闇の中で揺れ動く二つの光。それは、桜井梨沙と茅野循のヘッドバンドライトの明かりだった。
二人は足早に円形の空間を離れ、奥へと進んでいた。
「……ここに危険な宿儺の右腕がないなら遠慮する事はないわ」
「でも、あの男が嘘を吐いている可能性は?」
自らの前を行く桜井の言葉に、茅野は即答する。
「その可能性は低いわね」
「なるほど……わからん。そのココロは?」
「単純な事よ。あの男たちはずっと、ここに住んでいたのよね? 阿武隈礼子が死んだあとも」
「さっき、そう言ってたね」
「そんな、そこにあるだけで、ありとあらゆる災いを引き起こすような危険物と、その一部だけとはいえ、十六年近く一緒に暮らせる訳がないわ」
「なるほど。確かに」
「もしも、あの男が嘘を吐いているのだとしても、宿儺の右腕は、極めて安全な状態で保管されている可能性が高い」
「そっか……ならば」
桜井がにやりと笑った。その言葉に茅野は頷いて答える。
「……そうよ。思う存分、このおもしろスポットを探索ができるわ!」
二人は意気揚々と、その地下空間の最深部へと向かった。




