【04】四つのおはぎ
インターネットが普及する以前、ティーンエイジャーたちにとって、仲間内での口伝は大切な情報源の一つであった。
今やオールドメディアとされる各媒体が情報ソースとなり、現実での交遊関係が情報ネットワークを形成する。
それゆえに友だちの有無が、そのまま情報格差に反映され、交遊関係の狭い者は情報弱者となり得る事がままあった。
だからこそ、今以上に現実世界でのコミュニケーションが得意な者はもてはやされ、ときに情報通などと呼ばれていた。
一九九二年の当時、中学二年生だった冨田昌子も、そんな情報通の一人であった。
しかし、彼女は他者から聞いた話を、まるで自分が見てきたかのように語る癖があり、その事が密かに周囲の反感を買っていた。
そういった事態に、本人はまったく気がついていなかったのだが、さておき、その日も冨田は他人から聞きかじった話を披露して、自らの承認欲求を満たそうとしていた。それが発端となった。
一九九二年も、呪いは放課後の教室から始まる。
「……そういえばさ」
と、冨田は新任教師の小関紗由の姿が戸口から見えなくなるのを横目で確認する。教室には、教卓の周囲に集まる冨田たち四人の他には誰もいない。
「……クダンサマって、知ってる?」
「クダンサマ?」
阿岐信也が首を傾げる。彼は比較的大人しい部類の男子であったが、端正な顔立ちで女子からの人気はそれなりに高かった。
冨田の切り出した話に興味津々といった様子の彼に対して『また、始まった』と言いたげに、鼻白んだ顔をしたのは雨宮夏子である。
「……何なの、それ?」
などと、一応、話を聞く態度を見せたのは、彼女が阿岐に密かな好意を抱いているからだった。彼が興味を見せなければ、雨宮は冨田の話などいっさい聞くつもりなどなかった。
そして、その隣で「クダンって、あの顔が人間で身体が牛の妖怪?」と言ったのは、小柄な眼鏡の少女だった。
名前を小関明日香という。彼女もまた阿岐に恋心を抱いていた。
因みに新任教師の小関との血縁関係はいっさいない。単に『小関』は、この地域に多い姓というだけである。
ともあれ、その小関の言葉に、冨田は首を横に振る。
「普通はそうなんだけどね。この土地のクダンは顔が牛で、身体が人間なの」
そう言って得意げな顔をする。
ここで、普通ならば『顔が牛で、身体が人間なんだって』という言い回しなるのが一般的であるが、冨田はそうではなかった。
こういう細かいところが、彼女特有の得意げな態度とあいまって、他者を苛立たせていた。
案の定、雨宮と小関は、呆れた様子で苦笑する。しかし、ただ一人だけ阿岐は、まったく他意のない様子で話を促した。
「……で、その牛の化け物がなんなんだよ」
冨田は意味ありげにニヤリと笑い、右手の人差し指を立てた。
「そのクダンサマの言う事は絶対に実現する。どんなに確率の低い事でも必ず起こる。クダンサマは未来に起こる出来事を操れる」
その言葉に、何とも言えない表情で目線を交わし合う三人。
彼らのリアクションに気分を良くした冨田は、更に饒舌になって話を続けた。
「……昔、この地域が干ばつに見舞われたとき、四津の田んぼにクダンサマが現れた」
四津とは大神町にある大字の一つであった。
「クダンサマは四つのおはぎと引き換えに、村人の願いを聞き届け『これから雨が降る』と口にした。途端に空は雨雲に覆われ、雨が降り始めた……これが、この地域に伝わる伝承なんだけど」
そこで、ついに耐えられなくなったのか雨宮が鼻を鳴らして笑った。
「そんな昔話、聞いた事ないんだけど」
冨田は気を悪くした様子もなく微笑む。
「でも、すごいと思わない? この力を使えば、どんな願いも叶える事ができるってわけ」
「まあ、そうだけど、昔話の中の出来事じゃん」
と、阿岐が言う。
グループの中心人物である彼の興味が途切れていない事に気を良くした冨田は、ほくそ笑む。
「それが、違うんだな」
「違うって、何が?」
阿岐が首を傾げた。
すると、冨田は鹿爪らしい調子で言葉を発する。
「クダンサマはいるんだよ」
「まさか……」
雨宮が小馬鹿にした調子で噴き出す。
「そんな、訳ないでしょ?」
「いやいやいや、流石に……」
阿岐が顔の前で右手をはためかせた。すると、冨田はクダンサマが実在する根拠となるエピソードを語る。
「三年生の塚田先輩なんだけど……」
「ああ……」と、阿岐、雨宮、小関は反応を見せる。
塚田茂美は大神中学の三年生である。かなりの肥満体で、性格も草食動物のように大人しい。そんな容姿と人柄が災いして、ときおり学年問わず生徒たちから、残酷なからかいの対象となっていた。
しかし、驚いた事に、そんな塚田に恋人が出来たのだという。
その相手が、バスケ部の部長で学校一の美男子と名高い賓田覚であるらしい。
しかも、告白は賓田の方からだったというのだから、全校生徒は驚愕した。
これについては“賓田の罰ゲーム”や“賓田が弱みを握られている”など、様々な噂がまことしやかに生徒たちの口巷に上る事となった。
しかし、校内で人目構わずイチャつく二人の幸せそうな様子は、そんな噂の数々を否定していた。
「……まさか、塚田先輩がクダンサマに」
その小関の言葉に頷く冨田。
「で、私、クダンサマを呼び出す儀式のやり方、知ってるんだ」
「儀式? こっくりさんみたいなやつ?」
阿岐の質問に「ちょっと、違うかなー」と言って、意味ありげに笑う冨田。
「でさ、みんなでやってみない? 検証するの。塚田先輩の恋は本物か否か。クダンサマがいなければ、塚田先輩の恋は疑う余地のない本物。クダンサマが存在するなら、塚田先輩の恋は不正である可能性が高いわ」
そして、三人に儀式の具体的な内容を、知ってる範囲で教えた。
その話を聞き終えた直後、雨宮が冷たく言い放つ。
「……それ、あんた一人で、できないの?」
やはり、気を悪くした様子を見せず、冨田は彼女の言葉に答える。
「儀式は四人でやらないといけないみたいなの」
「いやいやいや、そんなの、やっぱり嘘でしょ。クダンサマなんかいるわけないじゃん」
小関が笑い飛ばす。
しかし、冨田は引きさがらない。
「……もしも、本当だったら? 凄いと思わない? 私も織田裕二と結婚できるかも」
「いや、そんなの……ねえ?」
と、小関は雨宮と顔を見合わせる。そこで、阿岐が声をあげた。
「……でもさ、面白そうじゃん」
「えー、面倒臭い」
と、雨宮。
「どうせ、何も起こらないって」
小関も乗り気ではないようだ。しかし、阿岐は違った。
「駄目元で試してみない? 何も起こらなかったら途中で止めればいいんだし」
「うーん、阿岐クンが、やるっていうなら、まあ」
と、内心で馬鹿馬鹿しいと思いつつも、あっさり絆される雨宮だった。小関も渋々といった様子で頷く。
すると、阿岐が無邪気な笑顔で掌を叩き合わせる。
「じゃあ、次の土曜日、学校終わって家に帰ったあと『ファーストラウンド』に集合な?」
雨宮と小関は了承の返事をした。
……しかし、このとき、彼らは知らなかった。
儀式は一度始めたら、二度と止める事が許されないと言う事を……。