【06】神様がくれたチャンス
都内某所の占いショップ『Hexenladen』にて。
そのスピリチュアルな品々が犇めく店舗最奥のカウンターで、頬杖を突くのは九尾天全であった。
魂が抜けたような呆けた顔で天井を見あげていると、カウンター裏の電源タップで充電したままだったスマホがメッセージの到来を告げた。
ぼんやりとスマホを手に取り画面を確認すると、そのメッセージは桜井梨沙から送られてきたものだった。画像が添付されており次の文面が添えられていた。
『この心霊写真は本物?』
「心霊写真……?」
また厄介事が訪れそうな不吉な予感と共に、画面に指を這わせて添付された画像を確認する。
それを見た瞬間、九尾の表情が歪む。
「何なのよ、ここは……」
そう呟いてから、桜井に電話を掛けた。
二〇〇二年の春先だった。
門前で古寺美袋は「こんにちは!」と、にこやかに微笑んだ。怪訝そうな顔で玄関の向こうから顔を覗かせる男の元に向かう。
頭上は遠くの稜線の向こうからやって来た黒雲が覆っていた。玄関まで続く小道の白い煉瓦に、ぽつり……ぽつり……と、大きな雨粒が斑点を描き始めていた。
美袋は気にした様子もなく、ポーチを潜って男の前に立つ。
すると、彼は美袋の爪先から頭のてっぺんまでを睨めつけながら、不躾な調子で問うた。
「なんだ、お前は」
「えっと、私、この家が欲しいんです」
「は!?」
端的に自分の欲求を口にした美袋の言葉に男は目玉を丸くする。
それに構わず美袋は更なる要求を提示した。
「……だから、この家から出ていっていただけませんか?」
男は渋面でうつむき、しばしの間だけ黙り込むと顔をあげた。
「……それは、できん。まだ」
「お金がないんですか?」
悪気ない様子で聞き返す美袋。すると、男は何か気まずそうな表情で、ぶつくさと言いながら再びうつむく。美袋はまるで追い討ちをかけるかのように、その男に言葉を浴びせかけた。
「……この家、競売にかけられているのは、当然知ってますよね?」
「あ、ああ……うん……そりゃあ、まあ」
男は気まずそうに笑う。しかし、美袋は厳しい表情で言う。
「もう、あなたのものじゃないんだがら、出ていってください」
「いや、すまん。あと、一年……半年でなんとかする」
絶句する美袋。
なぜ、何の落ち度もない自分が半年も我慢しなければならないのか。目の前に幸せがあるというのに……。
男はヘラヘラと笑ったまま、美袋に向かって両手を合わせた。
「すまん、本当に、すまん……」
その態度に呆れ、大きく溜め息を吐いたあとで、美袋は少し語気を強めて男に言い募った。
「いい加減にしてください。ここは、私の家です」
と、その瞬間だった。
突然、男は何かに気がついた様子で美袋の顔に視線を置いたまま、大きく目を見開いた。
「そうか。お前もあいつの手先か……」
「はい?」
戸惑う美袋。その右肩を男が押した。
「この野郎。その手には乗らない。絶対に私は、ここから退くつもりはない。ふざけやがって……」
「ちょっと……」と、後方へよろける美袋。
「帰れ! 絶対にこの家は明け渡さない」
男がまた美袋の右肩を突いた。ポーチの下から押し出される美袋。
頭上では黒々とした雷雲が渦を巻き、遠雷の嘶きが鳴り響いた。
「やめてください、暴力は……」
その美袋の言葉を耳に入れた様子はなく、三たび男は彼女の肩を突いた。
「帰れ!」
男が顔を赤くしながら叫ぶ。また腕を伸ばす。
美袋は「だから、やめてください!」と言って、その腕を振り払い、逆に男の事を突いた。すると、次の瞬間だった。
男は大きくバランスを崩し、後ろへ仰け反る。
「ああっ……あっ……」
それからの数秒間、美袋の目に映る世界のすべてがスローモーションとなる。
驚愕に歪んだ表情と振り回される両腕。
水気を含んだ鈍い音がして、男の後頭部がポーチの段差に衝突して跳ねた。
その瞬間、男の目玉が弾かれたように上目蓋の後ろへと引っ込むように隠れた。
「グェ」という短い断末魔が男の半開きになった口から漏れた。彼の全身は脱力して、ピクリとも動く気配を見せない。
美袋は喉元から迫りあがる悲鳴を抑えつけるために口元を手で覆った。
その瞬間、天が崩れたように土砂降りの雨が地表のすべてを打ちつけ始めた。
「はあ……はあ……はあ……」
美袋は男の死体を引きずり、玄関の中に入ると扉に鍵を掛けた。戸板越しに聞こえた雷鳴の音が美袋の全身を震わせる。
男の息や脈がない事を確認したあと、美袋は思った。
これは、神様がくれたチャンスであると。
男の死体さえどうにかできれば、この家が手に入るのだと……。
「ふははは……やった……」
玄関ホールの天井を見あげて喜びを噛みしめていると、奥の階段の右側から何者かの声が聞こえた。
それは神社の巫女のような和装をまとった小肥りの中年女性であった。
女は「ちょっと、どうしたの?」と言いかけて、玄関扉の前に転がる変わり果てた男の姿と美袋を見るなり、大声で悲鳴をあげた。
しかし、その絶叫は雷鳴と重なり、かき消されてしまう。
中年女性は腰を抜かしたらしく、青白い顔で唇を戦慄かせたまま、その場にへたり込む。
雷鳴が轟く。
美袋は一直線にホールを横切って女の元へと向かう。
「ひっ……ひぃ……」
女はかすれた悲鳴をあげて、腰を落としたまま後退りする。
その女に美袋は両腕を伸ばして襲い掛かる――。
数分後、美袋の足元には、事切れた中年女性が転がっていた。その表情は苦悶と恐怖に歪み、首筋には生々しい扼痕が浮かびあがっていた。
「ふぅー……ふぅー……」
美袋は乱れた息を整えながら考える。
この死体を埋めなければ、自分は幸せになれない。
問題はどこに埋めるのか……この家の近くや庭先は嫌だった。身近な場所に死体を埋めるだなんて、これから始まる幸せな毎日が穢れてしまう。
死体はできる限り遠くに持っていって捨てなければならない。そして全部、忘れてしまうのだ……。
そのためには死体を小さくして運び易くしなければならない。
美袋は周囲を見渡す。
すると、玄関の近くのコート掛けに吊るされた黒のレインコートが目に入った。そのレインコートに袖を通す。
血で服が汚れないようにするためだ。
それから、いったん外に出て、門前から続く石段を降りてガレージへと向かった。シャッターを押し上げて中を漁る。
棚に納められていた鋸と大振りの鉈を見つけると、その二つを持って外に出る。
シャッターを閉めてから土砂降りの中、再び母屋へと戻った。