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【08】埋められていたモノ


 吉島拓海と小茂田愛弓は、ときおり異邦人で逢瀬(おうせ)を重ねるようになった。

 同じ集落の近所に住んでいて目的地も同じであるにも関わらず、吉島はバスと電車を乗り継ぎ、愛弓は車で別々に異邦人へと向かう。

 そして、また店の外に出た途端に赤の他人へと戻る……そんな関係だった。

 それ以上は何もない。お互いに自分の事や家の事などは、いっさい訊こうとしないし、語ろうともしない。

 大抵は愛弓が、当時はまっていたミステリ小説や海外ドラマの話を一方的に喋り倒し、吉島が下手くそな相づちを打ちながら黙って聞いているだけだった。

 そのときの彼女は心の底から楽しそうで、まるで十代の少女のように若返って見えた。

 また吉島も最初は緊張ばかりしていた愛弓とのやり取りを、次第に心の底から楽しめるようになっていった。

 彼女との時間を通して、吉島の錆びついていた胸の奥の歯車がゆっくりと回り始めた。

 それは紛れもなく彼にとってのセラピーだった。

 そんなある時。

 真冬も終わり、梅の枝先に春の訪れが花吹き始めたある日の事。

 吉島は愛弓に写真を見せて欲しいとせがまれた。撮り溜めていた蛇沼一帯で撮影した田園風景と野鳥の写真……。

 始めは断ったが、どうしてもというのでスマホに入っていた物を何枚か見せた。

 すると彼女は画面に目線を落としたまま、こんな事を言った。

「拓海くんは、自分の撮った写真、コンクールとかに出したりしないの? そういうのあるんでしょ?」

「いや、僕なんか無理だよ。僕より凄いの撮れる人なんてたくさんいるし」

「でも私、拓海くんの撮った写真、何か好きだよ」

 その言葉を聞いた瞬間、吉島はようやくゴミのようだった自分が世界に歓迎されたような気がした。

「でも……やっぱり……」

 それでも自身の能力への疑念はぬぐいされない。モゴモゴと言葉を濁す吉島。

「大丈夫。自信を持ちなよ。イケるって、絶対」

「そうかな……」

「そうだよ」

 愛弓はスマホを吉島に返しながら屈託なく微笑む。

「じゃあ……何かいいのが撮れたなら……」

「うん。楽しみにしてるね」




 その日の帰り際だった。

 雑居ビルの階段を登ると、既に夕暮れ時となっていた。

「それじゃあ」

 そう言って愛弓は軽く手をあげて、近くの駐車場に向かおうとした……そのときであった。

「あ、愛弓さん……」

 吉島の唐突な呼びかけに答えて愛弓は立ち止まり、振り向いた。

 すると、その瞬間シャッター音が鳴る。

 吉島が愛弓をスマホのカメラで撮影したのだ。

 彼女は一瞬だけきょとんとした後、くすりと微笑む。

「どうしたの?」

「あの……その……」

 ほんの気紛れだった。

 水鳥の飛び立つ瞬間や、ふと空を見あげた時に浮かんでいた雲の形に心を動かされたときのように……この時間を切り取りたくなった。

 そう思ったら彼女を呼び止めて、勝手に身体が動いていたのだ。

 吉島は赤面して、しどろもどろになりながら嘘偽りない気持ちを告げた。

「何となく、撮りたくなって……」

 その答えを聞いた愛弓は目を丸くする。そして吹き出す。

「何で今なのよ」

 楽しげに声をあげて笑い始めた。

 通行人たちが、そんな彼女と吉島を怪訝な表情で眺めながら通り過ぎて行く。

 吉島は、照れ臭かったが悪い気はしなかった。彼女が笑ってくれたのだから……。

 しばらくして落ち着くと、愛弓が涙をぬぐいながら言った。

「今度はもっと、ちゃんとしたカメラで撮ってね」

 そう言い残して愛弓は、背を見せて右手をひらひらと振る。再び駐車場へと去っていった。

 このとき、吉島は決意する。

 彼女の写真を撮ろう。

 それを今度、新しく開催されるメーカー主催のフォトコンテストに出してみようと。


 ……しかし、これが手元に残った小茂田愛弓の唯一の写真になろうとは、このときの吉島には、思いもよらなかった―― 




 茅野の提案で穴を堀り始めて、けっこうな時間が経った。

 すっかり日は沈み、夜の(とばり)が降りていた。

 楝蛇塚は田んぼのど真ん中にある為に、周囲には何もない。

 遠くの町の明かりに照らされた雲と、その合間から覗く中途半端に欠けた月。離れた場所にある道路を往き来する車のライト。蛇沼集落の家々の明かり。

 それらが暗黒に染まった景色に浮かんでいる。

 そんな中で、西木は右手の懐中電灯で直径一メートル、深さ一メートル三十センチ程度の穴の底を照らしていた。他にも同程度の穴が周囲にいくつか空いている。

「……でも、何でこんなところに」

 小刻みに声を震わせながら、西木は誰にでもなく問う。その彼女の瞳は死への恐怖と忌避感(きひかん)に満ちていた。

「案外、この場所はおあつらえ向き(・・・・・・・)なのよ」

 疲労を滲ませた声で茅野が答えた。

「安蘭寺の和尚が年に一回、お盆に雑草を刈ったり祠の手入れをするだけだもの。下手に川や海に沈めるより安全かもしれない」

「確かに昔からずっとある場所だもんね。工事とかで掘り返されたりもしないし、そもそも、ここには誰もこないし(・・・・・・)誰も見ない(・・・・・)

 穴の縁に腰かけた桜井が、泥だらけの軍手を取り、手の甲で汗をぬぐった。

「……でも、何でここに、埋まってると思ったの?」

 茅野がその桜井の問いに得意気に答えた。

「ほとんど勘みたいな物だけど……」

「勘だけ!? 勘だけで穴を掘ったの!?」

 西木は声を張りあげて目を見開く。

「まあいつもの事だよ……」

 流石の桜井も呆れた様子だ。

 しかし「それでも、循は間違えないんだけどね」とつけ加える。

 すると、茅野が申し訳なさそうな顔で言う。

「いや、流石にいくつかの根拠と推測はあったわ」

 楝蛇塚は周囲を桜の木で覆われて根を伸ばしている。中央に祠があり、そこから入り口まで石畳が敷いてある。穴を深く掘れる場所は多くはなかった。

「だから、それ(・・)が埋まっている場所の特定は、そこまで難しくはないだろうと踏んでいたのだけれど……けっこう時間が掛かってしまったわね」

「ふうん」

 桜井が気の抜けた返事をした。

 西木はその二人のやり取りを聞きながら、怖くないのだろうか……と、ぼんやり思った。

 そして、少しだけ考えて、この二人は恐怖心のスイッチがぶっ飛んでいるのだと結論付けた。

「とりあえず、その穴を掘ると考えるに至った根拠と推測をそろそろ教えてよ」

 桜井が唇を尖らせ、西木はもう一度、穴の底を見る。

 そこには、水気を含んだ土の中から白骨化した眼窩(がんか)鼻腔(びこう)が覗いていた。

 それは行方不明となっていた小茂田愛弓の亡骸であった。

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