【02】辻褄合わせ
篠原は森山が退室したのを見計らい、話を切り出す。
「で、どういう事なの? 私に話したい事があるっていう事は……」
「勿論、心霊だよ」
テーブルを挟んで向かいに座る桜井が事もなげに言った。その右隣に座った茅野が続いて口を開く。
「電話をかけたのだけれど……」
「それについては、ごめんなさい。仕事に集中していたから、気がつかなかったわ」
素直に謝ると、茅野は「まあ、いいわ」と肩を竦め、言葉を続ける。
「それで、貴女に話したい事というのは、他でもないわ。私たちは昨日、群馬の山奥で八尺様と戦って来たのだけれど……」
「は?」
篠原は茅野のイカれた発言に思わず目を丸くする。しかし、桜井が両手で挟んだ何かを持ちあげて脇に除ける仕草をして……。
「それは、この件には、特に関係ないから今は置いとくね」
とか、言い出した。
置いておく事の極めて困難な話題であったが、再び茅野が話を引き継ぎ、あっさりとスルーする。
「……問題は、その帰り道に起こったのよ」
そうして事の発端について語り始めた。
二〇二〇年八月十八日の早朝だった。
九尾や東藤、佐島らと群馬県のキャンプ場で別れたあと、桜井と茅野は銀のミラジーノで順調に帰路を辿り始めた。
このとき、時刻は午前八時過ぎであった。
そして、特筆すべき事は何もなく県境を越え、九時頃に手近なスーパー銭湯に寄る事にした。八尺様との激戦の疲れを癒そうというのである。
大浴場の各種浴槽やサウナで汗を流したあと、施設内の大広間で少し遅めの朝食を取る事にした。やはり平日という事もあり、コロナ禍というのを差し引いても客の入りは少ない。
一応、ソーシャルディスタンスやマスク着用に関する注意書きはあったが、特に滞在時間を制限するような書き込みは見当たらない。
そのお陰か長距離ドライバーらしき客が数名、いびきをかいて寝転がっていた。
二人は食券を購入したあと、オーダーを済ませてから、お座敷の一角に腰をおろした。
因みに茅野が舞茸天婦羅蕎麦で、桜井がカツカレーと醤油ラーメン――勿論、セットメニューのハーフサイズなどではなくどちらも単品である――を頼んだ。
それから、別段変わった事もなく、頼んだ料理が二人の間のテーブルにすべて並べられると、何の変哲もない朝食が始まる。
その最中だった。
蕎麦を啜りながらテーブルの上のスマホに目線を落としていた茅野が、ぽつりとこんな事を言い出した。
「ちょうど、この近くに心霊スポットがあるわ……」
その言葉に、カツカレーをスプーンで切り崩していた桜井の手が止まる。
「お、どんなスポットなの?」
「ええ。瀬倉トンネルという、山間の県道にあるトンネルね。この辺りではかなり有名なスポットらしいわ。日が暮れてから、そのトンネルに行くと出るそうよ」
「そそるね」
と、言って桜井は口の右端についたカレーをぺろりと舐め取る。
「……ただ、このスポットに関する逸話は“トンネル内で、車の天井に大きな何かが落ちてきたような衝撃があったから慌ててブレーキを踏んで確認してみたけどなにもなかった”とか“トンネルを出たあと、フロントガラスに血の手形がついていた”とか、どこかで聞いたような、信憑性に欠ける話ばかりしか見当たらないわ」
「それは、素人向けのスポットだね」
桜井が確信に満ちた調子で言い、その発言に茅野は同意する。
「……確かに八尺様みたいなビッグネームのあとだと、流石に物足りなさを感じるわ」
「そだね」と、桜井は頷きラーメンのどんぶりを持ちあげて、ずずず……と汁を啜ってから、言葉を続けた。
「……それに、そのトンネルは日が暮れないと出ないんでしょ?」
「そうらしいわね」
「流石に夜まで待ってられないよ。まだ十一時過ぎだし」
「そうね。薫も心配しているし、今回はとっとと家に帰った方がいいかもしれない」
「素人向けスポットの検証は、適当なゆーちゅーばーに任せておけばいいよ」
「私たちには役不足ね」
二人は顔を見合わせて、あははは……と、笑いあった。
篠原が二人の顔を見渡して確認する。
「じゃあ、真っ直ぐ家に帰ったのね?」
この問いに桜井が首を横に振って、照れ臭そうにはにかんだ。
「いや、実はご飯を食べたあとに眠たくなっちゃって……」
「大広間の座敷でゴロゴロしていたのだけど、気がついたら夕方になっていたわ」
茅野が遠い目で言った。そして、桜井が申し訳なさそうに頭を掻く。
「アラームをかけ忘れてて……」
「それで、夜中に出るという心霊スポットに日が暮れてから行ったと……」
「そだね。どうせ帰り道の方向だし、行ってみようって事になって」と、桜井。
けっきょく行ったんかい……と、思い切り突っ込みかけたが二秒で無駄だと悟り諦める篠原であった。
「で、トンネルで、例のポーチを拾ったのね?」
森山から事前に聞いた話では、そのはずであった。しかし、二人は同時に首を横に振った。
「ああ。ポーチを拾ったのは嘘よ」
あっさりと言ってのける茅野。そして、桜井もまったく悪びれた様子はなく、
「辻褄を合わせただけだよ」
「はあ!?」
と、目を丸くするも、篠原はすぐに納得する。
「……つまり、そのトンネルで何らかの怪異に遭遇して、それが、くだんのアパートでの変死体発見に繋がったのね?」
茅野が不敵な微笑みを浮かべながら頷いた。
「そうよ。察しがよくて何よりだわ」
「はあ……そう言う事なのね」
確かに、この屋見野署の刑事に心霊の話をしても、まともに取り合ってくれる確率はゼロであろう。
「……で、そのトンネルで何があったの?」
篠原が話を促すと茅野は桜井と顔を見合わせて再び口を開いた。
「トンネルでは何もなかったわ。異変があったのはトンネルを出てからすぐの事よ……」
遠くの山の向こう側には、わずかな紫色の光が残っていたが、それ以外のすべては濃厚な夜闇に覆われていた。
そんな中でミラジーノのフロントが瀬倉トンネルより顔を出す。
「やっぱり、何も出なかったわね」
「それは、素人向けスポットだし」
車中の二人は特に落胆した様子もなく言葉を交わした。その直後であった。
カーナビが『この先、三百メートル、交差点を左折してください』と、機械的な音声を発した。
すると、茅野が怪訝そうにカーナビを二度見する。
「……違うわ。次の交差点は右よ」
「循……」
桜井が神妙そうに眉をひそめ、ルームミラーに向かって顎をしゃくる。
「何かしら?」
茅野は視線をあげて、ルームミラーを覗き込んだ。
すると、後部座席の真ん中に、いつの間にか見知らぬ女が座り込んでいる。
白いノースリーブのワンピースを来ており、その肌は不自然なほど青ざめていて、血の気が失せていた。
長い黒髪を垂らして俯いており、顔は解らない。しかし、桜井と茅野は貫かれるような強烈な視線を感じていた。
「はずれスポットかと思いきや、大当たりを引いたみたいね」
茅野が嬉しそうに笑う。そして、躊躇なく振り向くが、後部座席には誰もいない。しかし、茅野が再びミラーを確認すると、女の姿が映り続けている。
すると、前方に右手の渓谷へと架かる橋がサーチライトの中に浮かびあがった。その橋の入り口の手前は交差点になっている。
『……交差点を左折してください』
そこで桜井が前方を見据えたまま問うた。
「どうする? 循」
「“スポットに入らずんば心霊を得ず”よ」
その茅野の発した答えを聞いた桜井は、にやりと笑う。そして、ウインカーを左へと出した。
このとき、時刻は十九時過ぎであった。