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【07】平常通り


 それは、気泡が弾けるような、ペットボトルからグラスに液体を注ぎ入れたときのような、何かが擦れ合うような音だった。

 その音を耳にした途端、茅野薫の表情が青ざめる。

「姉さん……この音……」

「ええ。私にも聞こえるわ」

 茅野姉弟は神妙に玄関扉を見すえる。

 すると、その不気味な音と犬の吠え声の向こうから、すさまじい勢いの自転車の走行音が聞こえてくる。

 次に、がしゃん、けたたましい音が鳴り「とう!」というキレのある掛け声のあと、玄関前のタイルが、すたん、と踏み鳴らされた。唐突に静まり返る。

 顔を見合わせる姉弟。

 すると、扉の向こうから聞き慣れた人物の声が聞こえてくる。

「あれ? インターフォン、壊れているのかな?」

 桜井梨沙であった。

「梨沙さんかしら?」

 茅野循が確認の言葉をかけると、すぐに返事がある。

「循? そこにいるの? 開けてよ」

 そこで薫は不安げに姉の顔を見た。

「何で、桜井さんがここに……?」

 更に桜井の声が扉の向こうから響き渡る。

「玄関前にいたやつなら、跳び蹴りしたら消えたよ。だから開けてよ」

「姉さん、この桜井さん、言ってる事がおかしい。もしかして、偽物なのかも……」

「いいえ。薫。これは紛れもなく、平常通りの梨沙さんよ」

「えっ」

 薫には自分の姉が何を言っているのかよく解らなかった。

 眉間にしわを寄せていると……。

「梨沙さん! 念のために九尾先生に確認してくるから待っていて」

「りょうかーい」

 などというやり取りがあり、玄関に背を向ける茅野循。

 そして、階段の前で彼女は薫の方を見て言った。

「ああ。薫。言い忘れていたけど……」

「何さ?」

「大物を釣りあげてくれたみたいで、ありがとう。礼を言うわ」

「は?」

 やはり薫には、姉の言っている事がまったく理解できなかった。




 九尾から無事OKが出たので、桜井を家の中に招き入れる。どうやら、茅野海に化けた何かは、再び遠くへ去ったらしい。

 場所をリビングに移して、三人並んでソファーに座ると、ローテーブルの上のノートパソコンに向かい合う。

「あ、どうも。茅野循の弟の薫です。姉がいつもお世話になっています」

 その見知らぬ少年の常識的な態度を目の当たりにした九尾は、(いぶか)しげな表情になる。

『この子、本当に循ちゃんの弟くんなの?』

「どういう意味よ!?」

 茅野が眉を釣りあげる。

「まあまあ……」と、桜井が落ち着いた様子で取りなし、話を切り出す。

「カオルくん。こちらの九尾センセはプロの霊能者だから、詳しい事情を話してごらんよ」

「霊能者……」と、明らかに胡散臭(うさんくさ)そうな顔をした薫だったが、けっきょく語り始める。

 六日前に、あの廃寺へ行ったときから自分の身の回りで起こり始めた出来事を――


「……という訳なんだけど」

 一通り弟の話を聞いたあと、茅野循はまるで贔屓(ひいき)のアイドルと出会えたときのように頬を(ゆる)ませる。

「背の高い女……もしかして、八尺様? 八尺様なのかしらっ!?」

 彼女とは対照的に、画面の中の九尾天全は神妙な表情で頷く。

『ええ。あの強大な気配……弟さんの話を総合すると、あれは“八尺様”または“八束姫(やつかひめ)”もしくは“長臑様”などと呼ばれる怪異ね』

「まさか、そんなビッグネームだなんて……」

 うっとりと天井を見あげる茅野。

『あの有名な“八尺様”のネット怪談は、細部は違うけれど、ほぼ事実に基づいているわ。今から十五年前ぐらいに、群馬県の山麓(さんろく)にある長臑村というところで起こった出来事を元にしているの』

 その九尾の言葉を聞いた桜井は眉間にしわを寄せる。

「はっしゃく……さま?」

 すると、即座に茅野が反応し語り出す。

「八尺様は、二〇〇八年に大型匿名掲示板のオカルト板に投稿された有名なネット怪談、もしくは、その怪談に登場する怪異の事よ……」

「どんな話なの?」

「投稿者が田舎の祖父母の家に遊びに行った際、縁側で寛いでいると『ぽぽぽぽ……』と奇妙な声で鳴く異様に背の高い女を見かけたんだけど……」

「それが、八尺様?」と桜井。

 茅野は頷く。

「八尺様は未成年の男の子ばかりを狙う怪異よ」

「変態じゃん」

 桜井がにべもなく切り捨てる。茅野は苦笑しつつ同意する。

「まあ、そうね。因みに、八尺様に魅入られた者は、数日以内に憑り殺されるそうよ」

「えっ……」

 そこで、蒼白になった弟をスルーして茅野は話を続ける。

「それで八尺様は、目撃した人によって姿が違うらしいのだけれど、共通点があるらしいわ」

「どんな?」

「まず、女である事。そして、異様に背が高い。あとは、必ず頭に何かを被っている……この三つね」

 茅野が指を三本立てる。

「そして、八尺様は、その投稿者の祖父母が住む村から、封印によって外へ出られなかったらしいわ。そのせいで村では十年に一回くらいの割合で八尺様が出没していたそうよ」

「ちょうど、その時期に投稿者は村へと来ちゃったんだね?」

「そうね。因みに、くだんの村が封印場所に選ばれた理由は、原文では『周辺の村と何らかの協定があったらしい』とあるわ。投稿者は『村を八尺様の封印場所として提供する代わりに水利権を融通してもらっていたのではないか』と推測しているけれど、真相は定かではない」

「じゃあ、その村に封印されていた八尺様が、何であのお寺にいたの?」

『それは、封印が解かれたからよ』

 と、そこで九尾が話を引き継ぐ。

『八尺様の移動するルートは決まっていて、村境のそのルート上に封印の地蔵を置いていたんだけど、その地蔵が今から八年前に倒されたの。そのせいで八尺様は全国に出没するようになった』

「なるほど……」と、両腕を組み合わせる桜井。

 そして、根本的な疑問を口にする。

「でも、その八尺様って、けっきょくは何なのさ? クレイジーサイコ変態女の幽霊?」

「ひっ」と弟がひきつった悲鳴をあげたのを尻目に、九尾は肩を(すく)める。

『さあ。私もお目にかかるのは初めてだし、そもそも、あの怪異については未だに情報が少ないのよね……』

 すると、茅野が不敵に鼻を鳴らし、その言葉を口にした。

「それに関しては、だいたい解ったわ(・・・・・・・・)

「おっ」

 桜井梨沙は知っていた。

 茅野循がその言葉を口にするのは、彼女が本当にだいたいの事を理解したときであるという事を……。

 そして、画面の向こうの九尾が臆面(おくめん)もなく、ヘラヘラとした態度で茅野に尋ねる。

『循ちゃん、八尺様の正体って、いったい何なの。教えて?』

 そんな、プロらしからぬ九尾を見て、薫は、この人は本当に大丈夫なのだろうか……と、疑問に思ったが、もう少し黙って話を聞く事にした。

 茅野が右手の人差し指を立て答える。

「八尺様は、恐らく水に関係のある怪異なのだと思うわ」

「水? 何で?」

 桜井が問い質す。

「あの『ぽぽぽぽ……』ていう音。どこかで聞き覚えがある気がしていたのだけれど、さっき思い出したわ。あれは、恐らく“地下流水音(ちかりゅうすいおん)”よ」

「ちかりゅうすい……おん?」

 いつものように桜井が首を傾げ、解説し始める茅野。

「地下水に含まれる気泡が、流れによって破裂するときの音よ。ちょうど、あんな、何かが擦れるような、破裂するような音になるわ」

「そなんだ」

 と、感心した様子の桜井。茅野の解説は更に続く。

「恐らく八尺様は、水路や地下水脈を辿って移動するのではないかしら? あの願光寺にも古井戸があったわよね? 近くに小川も流れていたわ」

「ああ……」と、記憶を反芻(はんすう)する薫。

「……そもそも、いくら周囲の村と何らかの協定があったところで、八尺様の移動する道を塞いで封印できるなら、わざわざ人の暮らしている村に留めておく必要がないわ。恐らく村側にも八尺様を留めておく事に何らかのメリットがあったのではないかしら? 投稿者は“水利権を融通してもらった”と推測していたけれど、八尺様自体が水をもたらす存在だったとしたらどうかしら? もっとも、これは、私の想像に過ぎないのだけれど……」

 薫には、その姉の想像は当たっているように感じられた。

 しかし、どうにも腑に落ちないのは、なぜ姉は地下流水音などというものに耳馴染みがあったのかという事だった。

 その疑問を口にしようとしたが、自分の姉が訳の解らない事に興味を持ち始めるのは平常通りだな、と、すぐに思い直す。

 もう少し黙って話に耳を傾ける事にした。

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― 新着の感想 ―
「玄関前にいたやつなら、跳び蹴りしたら消えたよ。だから開けてよ」うーん、これは本物ww
[一言] ショタ尺八様に魅入られた薫 うっとり恍惚顔の循と腹パン桜井に魅入られるショタ尺八様 怖いのはどっちだろう
[良い点] 九尾先生が唯一の有能ポイント以外ポンコツだということが第三者の目から見ても明らかになったこと。 [一言] >「この子、本当に循ちゃんの弟くんなの?」 >「どういう意味よ!?」 個人的にはこ…
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