【03】煙草
安蘭寺に到着し玄関の呼び鈴を押すと、住職の清恵が直々に出迎えてくれた。
三十半ばといった外見で丸眼鏡をかけた穏やかそうな人物だった。
挨拶を交わし居間へと通される。
三人は立派な楢の座卓を挟んで清恵と向き合う。
因みにオカルト研究会ではなく、民俗学研究会の部活動のいっかんであるという事になっていた。
西木が、部名を偽る理由を茅野に問うと……。
『オカルトなどというとやはり胡散臭いから』などと宣った。西木は自分で言うなよ……と内心で突っ込む。
ともあれ、まず三人は清恵と天気や気候の事など当たり障りのない会話を交わす。そして彼の奥方がお茶を運んできたあとに、茅野が本題を切り出した。
「……ええっと、それでカカショニについてなんですが」
「ああ、今日はその話だったね」
と、清恵は気安い笑顔を浮かべてお茶を一口啜り、再び口を開く。
「カカショニは、元々、案山子の鬼と書いてカカシオニって呼ばれていたんだ」
「案山子鬼……」
茅野がその不穏な名詞を繰り返す。
「本来、案山子というのは、単なる鳥避けではなく田んぼを見守る神様だったのさ」
清恵の言葉に「成る程」と頷くと、茅野は淀みなく言葉を吐いた。
「鳥を驚かせて近寄らせないようにする目的なら煙や、音を立てる物……例えば鳴子や風車で構わないから、ヒトガタをしている必要はない。ゆえに案山子がヒトガタをしている事には何かしらの信仰的な意味があるはずだ……確か柳田國男先生の説ですね」
清恵和尚は感心した様子で目を細める。
「その通りだ。流石によく知ってるね」
一方の桜井は、茶菓子入れの寒天ゼリーに手を伸ばしてパクついていた。
清恵が話を続ける。
「この一帯の伝承では、田畑の守り神は、元々死者の魂だったと云われている。ご先祖様の霊が死して守り神となる訳だね」
「いわゆる守護霊みたいな……?」
と、西木。
一方の桜井はお菓子入れの中のハッピーターンのカレー味に手を伸ばして、パクついていた。
清恵は西木の言葉に頷く。
「では、カカショニは、よくない存在ではないという事ですか?」
その茅野の質問に清恵は返答する。
「そうだね。そして元々、カカショニは、その死者の生前の姿で田んぼの中に現れる」
「田んぼの中に?」
茅野は怪訝な顔で首を捻った。
「そう。案山子だからね。こう手を振って……」
すると、和尚は右手をあげてゆっくりと振った。
その動作を見て、西木が自分が視界の端で見た何かを思い出したのか、はっ、とした表情をした。
「どうしたのかしら?」
茅野が問うと西木は頭を振ってうっすらと微笑む。
「いえ……」
「良いかい? 話の続きをしても」
問われた西木が無言で頷く。清恵は話を続けた。
「……それで、この辺りで新田開発が行われる前……江戸時代の話だね。ここら辺には大きな湿地が広がっていた。湿地には人を喰う大蛇が住んでいたらしい。その大蛇に噛まれた者は全身に焼けるような痛みが走り、気が触れたように踊り狂うんだそうな。その蛇と出会ったら、眼を合わせちゃならないとの言い伝えも残っている。蛇の眼を見た者は噛みつかれるとね。……この伝承と田んぼの守り神の伝承が混ざり合い、案山子鬼が生まれたのではないだろうか。……もっとも、これは僕の推測だけどね」
「成る程。楝蛇に案山子……音が似てますね」
和尚の話を聞いた茅野は納得した様子で何度も頷く。
「じゃあ、本来はカカショニを見ても、気が触れたりはしないという事なの?」
西木の質問に和尚は首肯する。
「カカショニを見た後に“水を被らなければならない”というのも、蛇の毒を洗い流さなければならないというところからきているのだろう」
そこで、まったく話を聞いていないように思われていた桜井が、欄間の透かし彫りをぼんやりと見あげながら質問を発した。
「じゃあ、あの楝蛇塚は、いったい何の為の場所なの? 楝蛇塚の方向にカカショニは出るんですよね?」
この問いには、清恵よりも早く茅野が答えた。
「それは、この集落から見て、楝蛇塚は艮の方角にあるという事が関係しているのだと思うわ」
「獣の……槍?」
「その“うしとら”じゃないわ、梨沙さん。でも、お約束のボケをどうもありがとう」
「それは、どうも……で、うしとらって?」
茅野が解説する。
「艮は北東の方角。陰陽道では鬼門……つまり、鬼が入ってくる方向だと云われているの。だから楝蛇塚は、この方角から案山子鬼がやってくるという目印になっているんじゃないかしら」
「その通りだよ。凄いね、君は」と和尚は嬉しそうに言う。
桜井は「ふうん」と、何時もの解ったような解らないような返事をして、サラダホープにパクついた。
清恵がつけ加える。
「そして、集落から楝蛇塚のある方角を見てはならない……というのが転じて、何時しか楝蛇塚そのものを見てはならない……と、言い伝えが変化したんじゃないかと僕は思っている」
「じゃあ、別に楝蛇塚は見まくっても問題はないんだね」
その桜井の言葉に和尚は笑顔で頷く。
「でも、今でも、この集落の者たちは、楝蛇塚の方へは極力、目線を向けようとしない。子供たちにも『楝蛇塚の方は見てはならない』と大人たちは教えているんだよ」
因みに楝蛇塚は、この安蘭寺が管理している。年に一回、お盆の前に寺の者が雑草を刈って祠を掃除するくらいで、誰も立ち寄らないのだという。
「まあ、割りとここら辺の人は迷信深い人が多いからね。そういう言い伝えを気にしないのは、私みたいに余所で育って、この土地にきた人くらいね」
西木がそう言って呆れた様子で肩を竦めた。
すると清恵が朗らかな口調で、彼女の言葉を否定する。
「いや、それが強ち迷信だと馬鹿にした物でもないんだよ」
「どういう事ですか?」
茅野が問うと、清恵は語り出す。
「……あれは、千里ちゃんが蛇沼にくる前の年の秋頃だったかな。貝田の爺さんが深夜、親戚の通夜で藤見に行って息子の車に乗って帰ってくる途中に、楝蛇塚の方へと向かう真っ白い人魂を見たんだそうだ」
「懐中電灯か何かだったんじゃないですか? 犬の散歩とかジョギングとかの」
と、茅野。すると清恵はパタパタと右手を扇ぐ。
「いいや。さっきも行った通り、この蛇沼の住人は迷信深い。夜に楝蛇塚の方へ行く者なんか誰もいないよ。まともに見ようともしないんだから。余所者ならば、尚更あんな何もない場所に用事はないだろうね。もっとも、貝田の爺さんはずいぶんと酒が入っていたらしいから何かの勘違いかもしれないけどね」
「そうですか……」
茅野はどこか納得のいかない表情で、そう言った。
そのあと、話が一段落したので、清恵に礼を述べて安蘭寺をあとにした三人。
そして、玄関を出てから西木が遠い目をしながら、ぼそりと呟く。
「私が見たカカショニ……あれ、女の人だった気がする」
「女の人……誰か知った顔かしら?」
茅野の質問に西木は「解らない」と答えた。
竹垣の門の外に出ると既に日は暮れ掛けていた。
路線バスの時刻まではもう少し時間があったので桜井と茅野は、西木の家にお邪魔する事にした。
古びた木造の二階に西木の部屋はあった。
手狭でシンプルな部屋で良く片付いていた。
勉強机、丸いちゃぶ台、パイプのベッド……本棚には風景の写真集や撮影技術に関する本、カメラの雑誌などが納められていた。
壁には幾つか額縁に納められた写真が飾られており、勉強机の上にはノートパソコンが置いてある。
専用の棚にはカメラやレンズが収納されていた。
その棚の上にはテディベアが置かれている。
薄汚れたショッキングピンクの珍しい色合いの物だ。
女子の持ち物としては違和感はないが、この西木の部屋においてはどうにも浮いているように茅野には思えた。
部屋に入るなり、その事を指摘しようとする。
「西木さん……」
「何? 茅野さん」
「このテディベアは……」
「ああ。それ、師匠の形見分けにもらったの。師匠の両親はカメラを持っていってもいいって言ってたけど……」
茅野は苦笑する。
「そう言えば、吉島さんはライカ使いだったわね」
ライカは値が張る為に、価格が数十万円を越える。
西木のライカTはその中でも安い方だが、それでもレンズ抜きの中古で十万前後はする。
流石に西木も遠慮したのだろう。
「そのぬいぐるみ、何か師匠の趣味じゃないなって……全然、似合ってなくて」
つまり、西木も今の茅野と同じ違和感を感じたらしい。
「じゃあ、吉島さんは、ぬいぐるみを部屋に飾ったりするような人じゃなかった?」
そう問いながら、茅野がぬいぐるみを手に取る。一方の桜井はちゃぶ台の脇のクッションに腰をおろすと、壁に飾られた額縁の写真に視線を這わせていた。
西木が茅野の問いに答える。
「ええ。写真のモチーフも風景ばかりだし、何か特別な思い入れがあったのかなって……それに」
「それに?」
と、桜井が鸚鵡返しに問うた。
すると、西木はテディベアの鼻先を、つん、と突っつき寂しそうに笑う。
「何か、そっくりなんだ。このテディベアの顔。師匠に……」
すると、茅野はテディベアに顔を近づけて、クンクンと鼻を鳴らしながらつぶさに観察し始める。
「ねえ、西木さん」
「何?」
「吉島さんは、喫煙者だったのかしら?」
「煙草吸ってるのは見た事なかったけど……多分、違うと思う」
西木がそう答えると、茅野は部屋をきょろきょろと見渡し……。
「茅野さん?」
西木に顔を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎ始める。
「ちょっ、本当に、どうしたの?」
西木は頬を赤らめながら戸惑い、桜井の方に目線を向ける。桜井が「さあ?」と首を捻った。




