【08】檻
片山がサティーと出会ったのは『Outside ~首都圏外国人女性連続殺人事件の真実~』が出版され、しばらく経ったあとだった。
切っ掛けは覚えていない。
知人の紹介だったのか、SNSで知り合ったのか……。
ともあれ、片山は待ち合わせ場所のホテルのラウンジへと向かった。
約束の時間より少し早く窓際の席に着き、珈琲を飲みながらぼんやりとしていると背中から声をかけられる。
少しだけイントネーションに癖はあったが、かなり流暢な日本語だった。
その声に反応して振り向くと、そこには不思議な雰囲気の女性が立っていた。
彼女がサティーなのだろうか……片山は首を傾げた。
事前にタイ出身と聞いてはいたが、見た目からはいまいち国籍の判断がつきかねたからだ。
彼女はアジア圏すべての人種の特徴を混ぜたような、どこか超越的な美貌をたたえていた。
「貴女がサティーさん?」
片山が恐る恐る尋ねると、彼女は笑顔で「はい」と頷いた。
そこで片山は呆気に取られ、しばらく言葉を失う。
美しさに見とれてしまった訳ではない。
彼女が嶽地聖夜に殺された六人の被害者に、よく似ている事に気がついてしまったのだ。ちょうど、彼女たちのパーツを組み合わせれば、サティーのようになる。
このとき、片山は思った。
もしかしたら、彼女を殺せば嶽地聖夜の心理を理解できるかもしれないと……。
杉林の奥にぽっかりとできた空洞のような土地の中央に、その建物は鎮座していた。
青瓦の屋根には錆びついたアンテナが項垂れており、おびただしい量の蔦が南側の外壁を埋め尽くしていた。
見える範囲のすべての窓は、頑強な鉄格子によって塞がれている。
北方清十郎の住居は、木造三階建ての立派な和風建築であった。
しかし、民家というより日本の古い旅館のようだと、ダーオルングは感じた。
事前に航空写真地図を見たところ、中央の中庭を囲むように四つの棟が正方形に並んでいる。
その中庭の中央には、かなり大きな樹が生えていた。写真を拡大しても、何の樹なのかは解らない。
しかし、それを見たダーオルングは確信した。
それが目的のモノであるという事を。
この家は檻なのだ。
アレが逃げないように閉じ込めておく為の……。
ともあれ、ダーオルングは玄関前にジープを停めて、まずは手下の二人と共に家の周りを一周してみた。
やはり、直接中庭へと入れるような場所は見当たらない。
仕方がないので、いったん玄関前に戻る。
そして、手下のソムチャイに、ジープの工具箱からバールを持ってこさせた。
ダーオルングは、そのバールを受け取ると、庇の奥にあった玄関戸を殴りつける。
二度、三度と叩くと、くすんだ磨り硝子が割れ落ちる。
その隙間から手を入れて鎌錠を解く。ダーオルングは戸を開けようと右手を伸ばした。
すると、もう一人の手下のアーティットがタイ語で言った。
「ちょっと、待ってください。ボス。まだ薬、飲んでませんよ……」
「ああ。そうだったな」
ダーオルングは、担いでいたリュックから薬瓶を三つ取り出した。
栄養ドリンク程度の大きさで、中身は飴色の液体で満たされていた。
この薬瓶の液体を口すれば、日が沈むまでの間ではあるが、魔除けの効果を得る事ができる。
目的のアレは死に際、奇妙な鳴き声と共に、周辺へと呪いを振り撒く。
その呪詛に当てられてしまうと、重度の意識混濁や記憶障害を引き起こす。
アレに対する前は、必ずこの薬を飲まなくてはならない。
ダーオルングは、日本にくる前にイーサーンに住む呪術師からその事を聞いて知っていた。因みに薬は材料さえ知っていれば誰にでも調合可能なものであった。
ともあれ、三人は各々が薬瓶を手に取って一気に飲み干した。ずいぶんと酷い味だったらしく、ソムチャイは顔をしかめる。
ダーオルングが玄関の戸を開けると、ひんやりとした闇が戸口の向こうから流れ出てくる。
それは、人智を超えた気配の残滓であった。
この世のものならざる芳香に鼻が効くものならば、敏感に感じ取れる事だろう。
アーティットが、緊張した面持ちで生唾を飲み込んだ。
それを鼻で笑うソムチャイ。
ダーオルングは敷居を跨ぎ、三和土へと足を踏み入れた。
ちょうど、その頃だった。
桜井と茅野は、山林の間に横たわる荒れた道をのんびりとした歩調で進んでいた。
その道すがら、茅野は再び幼少期の嶽地聖夜と懇意にしていたKという人物について語る。
「……彼が馬込祥子さん殺害の犯人でなくとも、そのKという人物は相当ろくでもない人間であった事は間違いないわ。でも、少なくとも、彼とつき合い始めてからの嶽地聖夜は、動物の虐待や窃盗などの問題行動をあまり起こさなくなっていたみたいね。嶽地本人も彼のお陰で、そうした衝動が和らいだと述べていたそうよ」
「ふうん」
桜井が沿道の花々の間を飛び交う、紋白蝶を目で追いながら相づちを打った。
「それと、長谷愛結が死んで、ようやく、まともな道を歩み始めると思われていた嶽地聖夜だけれど、そうはいかなかったみたい」
「……と、言うと?」
「彼の境遇に同情した義理の両親は、ずいぶんと過保護で、過干渉だったらしいわ」
「うへえ……両極端だねえ」
桜井が渋い表情になる。
「嶽地自身によれば、必要な物は頼めば買ってくれたけど、嗜好品や娯楽品は厳しく制限されていたそうね」
「自分で、おこづかい貯めて買うしかなかった訳だ」
この桜井の言葉に茅野は首を横に振る。
「自由に使えるお金は社会人になったあとも持たせてくれなかったらしいわ」
「は!?」
桜井が眉をひそめて声をあげた。
「これについて『義理の両親は自分の事を信用していなかったのではないか』と、嶽地はインタビューで答えているわ」
「信用……何で?」
桜井は眉間にしわを寄せる。
「高洗町にいた頃の問題行動が原因よ。嶽地聖夜に自由な意思や選択権を持たせず、支配してコントロールしようと考えていたみたいね」
「ああ……」
桜井はようやく納得がいった様子でどんよりと表情を曇らせた。
「そりゃ……殺人鬼にもなるよ」
「本当にね。ただ嶽地本人は義理の両親について『まともな暮らしをさせてくれて感謝している』と答えたらしいわ。本心かどうかはわからないけれど、少なくとも義理の両親の言いつけには、逆らおうとせずに従っている」
と、茅野が言った直後、前方にフェンスの入り口が見えてくる。
「ほら。梨沙さん、見て。あの向こうがKの私有地よ」
茅野が指を差すと、桜井は地面に倒れた金網の扉板に気がつく。
「……何か扉がぶっ壊れてるけど」
「本当ね」
二人は入り口へ近づく。
そして、扉板の枠についたタイヤ痕に気がついた。
「循、これは……」
「このタイヤ痕、まだ新しいわね……」
茅野は神妙な表情でしゃがみ込むと、ひしゃげた扉板を見おろした。