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【04】アウトロー


 二〇一九年の年末だった。

 そこはタイの首都バンコク。高架鉄道(BTS)スクンビット線ナナ駅から南西にある小道。

 夜が深まるにつれて、紫色とピンクの電飾が彩り豊かに輝きを増し始める。

 建ち並ぶゴーゴーバーと、ホテルの軒先で客を待つ娼婦たち。それらを横目に流れる人の群。

 その濃厚な夜の香り漂う風景から少し外れた雑居ビルの地下に、かの店はあった。

 狭く古びた店内には、コの字型のカウンターといくつかの丸テーブルがあるのみだった。

 観光客に見捨てられ、地元民にすら忘れ去られたそのパブの奥まったテーブルには、二人の男の姿があった。

 一人は赤い扶桑花(ハイビスカス)のアロハシャツをまとった男だ。丸々と肥えており、少ない頭髪も口髭も白い。

 身につけた宝飾品からは、彼の金満ぶりが見て取れる。

 名をセーンサクと言った。

 この界隈ではよく知られた金貸しであったが、既に引退している。

「あれは元々、メーホンソーン生まれの華人から借金の形にもらったものね」

 そう言って、いったん葉巻を吹かす。

「……その華人は、チベットの僧侶から譲り受けたらしいのよ」

 テーブルを挟んで向かい合う、もう一人の男が質問を発する。

「で、けっきょく、今はどこに?」

 ボーダーのシャツとジーンズを着ており、ぱっと見は地味な印象であった。しかし、その眼光は鋭く抜け目ない気質が(うかが)えた。

 名前をダーオルングという。呪物を専門に取り扱う裏の古物商であった。

 彼はさるやんごとなき身分の客の依頼で、あるもの(・・・・)を探していた。

 そのダーオルングの質問にセーンサクは答える。

「二つはシンブリに……」

 三本立てた芋虫のような指のうち二本が折れる。

「それは、知っている。有名だ」とダーオルング。

 そして、セーンサクは最後の指を折った。

「最後の一つは日本人に売ったよ」

「名前は?」

キタカタ(・・・・)セイジュウロウ(・・・・・・・)

 そこで、セーンサクはグラスの中ですっかりと温くなっていたシンハービールを飲み干す。

「今からもう三十五年前……いや……三十六年前だったかな? 兎に角、それぐらいは昔の話よ」

 再び葉巻を吹かす。

「そのキタカタは、どこに住んでいるか解るか?」

 ダーオルングの問いに、セーンサクは薄暗い天井へと目線をあげて記憶を辿り始める。

「確か……雪の降るところだった事は、覚えているけど……雑談で、そんな話をしたような……」

 そこまで口にすると、彼は肩を(すく)めて首を横に振った。

「申し訳ない。覚えてないよ」

 ダーオルングは「そうか」と、一言呟くと、まったく手付かずだったグラスを一気に空けた。

 そして、千バーツ紙幣をテーブルの上に出し、椅子から腰を浮かせる。

「では、失礼する」

「ちょっと……」

 立ち去ろうとするダーオルングをセーンサクが引き留める。

「何か?」

「もしかして、あんなもの(・・・・・)のために日本まで行くのか?」

 怪訝(けげん)そうな顔のセーンサク。

 彼は知らないのだ。

 自らが手放した“あんなもの”が正真正銘の本物であるという事を。

 あれが巨万の富をもたらすものである事に、気がついていないのだ。

 ダーオルングは何も答えずに店を出た。




 そして、年が明けてしばらく経ったあとの事であった。

 ダーオルングは手下を二人連れて日本へと向かった。

 しかし、キタカタセイジュウロウの所在は掴めず、そうこうするうちにコロナ禍となり、大きな足止めを喰らう。

 それでも、彼が日本海側の田舎町で暮らしていた事を突き止める事ができたのは、二〇二〇年の八月に入ってからだった。

 ダーオルングは二人の手下と共に、その町へと向かった。




 コンビニを出たあと、桜井と茅野は山沿いへ向かって歩みを進めた。

 じきに沿道から建物は姿を消して、代わりに青々とした稲穂が生え揃う田園風景が姿を現す。

 そして、しばらくすると、そんな風景には似つかわしくない緑色の三角屋根が姿を見せた。

 大きな割れた看板があり、そこには『スナック・みゆき』の文字が読み取れる。

「見て、梨沙さん」

「ん?」

「あの『スナック・みゆき』に、嶽地聖夜の実母である長谷愛結(ながたにあゆ)が、勤めていたらしいわ」

「ふうん……」

 と、気のない返事をして看板を一瞥(いちべつ)する桜井。

 既に閉店しており、砂埃で汚れた窓の内側には分厚いベージュのカーテンが掛かっていた。

 店舗裏手には住居らしい平屋があったが、こちらも人の住んでいる気配はない。

 そして、店の前面には荒れ果てた駐車場があり、至るところから突き出た春紫菀(ハルジオン)が白い花を元気よく咲かせていた。

 その駐車場の入り口前に立つ桜井と茅野。

「でも、長谷? 嶽地じゃなくて?」

「元々は長谷聖夜よ。九歳のときに母親が死んで、遠縁の嶽地家に引き取られたの」

「へえ。お母さんは何で死んだの?」

「火事ね。自宅で泥酔中に出火して逃げ遅れたみたい。直接の死因は一酸化中毒だった。当時の交際相手共々ね」

 どちらともなく、二人は歩き始める。

 茅野は解説を続けた。

「かなり男性関係は奔放(ほんぽう)だったらしいわ。片山知己の書籍によると、聖夜は『自分の父親については、誰か解らないという事しか知らない』と述べているそうよ」

「ふうん……」と、桜井。

「……長谷愛結は、たまに男を自宅アパートに連れ込む事があって、そんなとき聖夜は真夜中でも家を追い出されたらしいわ。その日も、聖夜は家を追い出されて、北方の元にいたと片山との面会の際に述べている」

「そいつはクソだね」

 桜井が吐き捨てる。すると茅野は(かぶり)を振り、

「……それだけならマシなのだけれど、長谷愛結は自分の息子である聖夜の事を虐待していたらしいの」

「それは、腹パン……じゃ済まない」

 桜井がそう言って、左、左、右、右回し蹴りの見事なコンビネーションを見せた。

 しかし、何かに気がついた様子で、桜井は両手を打ち合わせる。

「……もしかして、嶽地聖夜がお母さんを殺したとか。お酒の瓶とかに薬を盛って、火をつけて、いつものように家を追い出された振りをして……」

「梨沙さんにしては、中々の鋭さね。でも本人は否定しているわ。もちろん、真実は既に(やぶ)の中なのだけれど」

「ふうん……」

 とうぜんながら、片山も桜井と同じ疑念を抱いた。

 そこで彼は思いきって、面会の折に、この考えを本人に向かってぶつけてみたのだという。

 すると嶽地は、これを強く否定し次のように述べた。


 『そんな事をすれば北方さんと離れ離れになってしまう。だから母親が死んだ事については、本当に悲しかったです』


 事実、彼は遠縁の親戚に引き取られ、この高洗町を離れざるを得なくなった。

「嶽地は『この一件がなければ、自分は殺人鬼になる事はなかった』と片山知己に語ったそうよ」

「どゆこと?」

「さあ。まだ何とも言えないわ」 

 茅野は肩を(すく)め、この話題を締め括った。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 巨万の富をもたらす呪物ねぇ…タイだから古曼童とかかな?タイとか東南アジアって以外と呪物とか呪術のメッカだよね…おぉ怖い怖い、くわばら…くわばら…… [一言] タイのアウトローって聞くと…
[一言] やんごとなき身分の客に入れ知恵したのってhogっぽいですね。 都合の悪いことは全てhogのせいにしてしまおう(提案)
[一言] やんごとなき身分の客が探しているもの。 はたして殺人鬼の隠れ家に眠るお宝はいったい何なのか。 絵画か美術品か不老不死をもたらす人魚の肉か はたまた呪いの壺なのかヽ(´ー`)ノ
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