【00】後継者
薄暗い地面を木漏れ日が彩る。
蝉の鳴き声が木立の合間を埋めるかのように響き渡っていた。
その最中、男はボルトを前後させて銃口を獲物に向ける。
彼の真っ白な頭髪や目尻に幾重も刻まれた深いしわを見るに、かなりの老齢である事が窺えた。しかし、体格がよくて背筋も伸びている。
「いいか、坊主……」
獲物が逃げる。
苔むした地面を必死に走る。
「俺が銃で撃ったら、すぐにお前がとどめを刺しにいけ……」
その男の隣で彼の言葉に頷いたのは、まだ八歳の嶽地聖夜であった。
嶽地の小さな右手には、刃渡り二十センチはあろう剣鉈が握られていた。
「お前が殺すんだ。聖夜」
男の言葉に、嶽地は決意の籠った眼差しで頷き返した。
すると、彼は口の端を釣りあげて呟く。
「流石は俺の後継者だ」
その言葉が合図だった。
銃声が蝉の鳴き声を吹き飛ばす。
直後、獲物の右足の脹ら脛が、裏から砕けて血煙が舞う。湿った破壊音と共に、脚がおかしな方向にへし折れた。
獲物は、そのまま前のめりに倒れて動物染みた悲鳴をあげる。
「今だッ! 行けッ!」
男が叫ぶ。それが合図だった。
嶽地は一気に駆けて、数十メートル先の杉の根元で横たわったまま起きあがろうとしない獲物の元へと向かう。
うつ伏せになったまま地面を這う獲物の弓なりに反った腰に小さな尻を落とした。
すぐさま、逆手へと握り直した剣鉈を肩甲骨と肩甲骨の間に突き立てる。
ぐりぐりと剣鉈の石突きを掌で押して、刃を捻り込む。
獲物は、まだ死んでいない。
大きく喉を仰け反らせ、前方の木の根元に虚ろな視線をさ迷わせながら、まるで助けを求めるかのように右手を伸ばした。
男が目を細める。
嶽地の狩りの様子を眺めながら満足げに頷くと、ライフルのボルトを前後させる。足元に落ちた空薬莢がアーミーブーツの爪先に当たって弾んだ。
「おい! まだ、死なんか!?」
嶽地が獲物に腰を落としたまま振り返って頷く。
すると男は父親のような優しい笑顔でアドバイスを送った。
「もう一回刺せ。次は首筋を狙え」
嶽地は再び彼に向かって頷くと、獲物の背中に刺さった剣鉈を両手で抜いて振りかぶる。
その切っ先を獲物の延髄に思い切り突き立てた。
獲物は、奇妙な鳴き声をあげて死んだ。
嶽地は背後から聞こえる男の拍手を聞きながら、返り血まみれの顔を愉悦に歪ませた。
電光掲示板に番号が表示されたあと、静かで暗く長い廊下の先へ案内される。
まるで地獄へと通じる道のようだ。
そのうちに戻ってこれなくなるかもしれない。
いつも、そんな益体もない想像が頭を過る。後から思い返せば、それは何かの予兆であったと言えるのだが、このときの彼には知るよしもない事だった。
ともあれ、貴重品を預けた後に通されたのは、アクリル板で仕切られたカウンターが中央に横たわる、息苦しい部屋だった。
アクリル板の中央には小さな穴がいくつも空いた円形の窓がついている。その窓の正面にはパイプ椅子が置かれていた。
彼が腰をおろして待っていると、刑務官に連れられた背の高い男が向こう側に姿を表した。
男はアクリル板越しにうっすらと微笑んで目礼をした――。
それは、二〇一八年の二月初旬だった。
フリーライターの片山知己は東京拘置所の面会室で、二十六歳になった嶽地聖夜に「これで、三十三回目ですね」と言われた。
始めは何の話か解らなかったがすぐに気がつく。
これは自分が嶽地の元に訪れた回数なのだと……。
はっ、として視線をあげる片山。
すると、嶽地はまるで心でも読んだかのように、にっこりと微笑む。
「それで、正解です」
片山は生唾を飲み込んだ。
そして自分が、この目の前の男を恐れていると同時に、どうしようもなく惹かれている事を再認識させられた。
彼には初見の人を惹きつけるような、ある種の魅力がある。
ユニセックスな整った顔立ちと、モデルのようなスレンダーな体型。
そうした外見的な部分ばかりではなく、少し言葉を交わせば、彼が人当たりのよい温和な人物であると誰もが勘違いする事であろう。
しかし、それは、あくまで表向きの顔である。
嶽地聖夜。
このアクリル板を隔てて向き合う男は、四年前に都心近郊で六名の女性を強姦して殺害した連続殺人鬼であった。
「……それで、今日は何を訊きにきたのですか?」
そう言って、彼は惚けた表情で肩を竦める。
「もう、話せる事って、ほとんどないと思いますけど……」
「いや……」
片山はアクリル越しの彼を見据えたまま首を横に振る。
「一つだけ、どうしても解らない事がありまして……」
「はい。何でしょう?」
まるで、無垢な少年のような……あるいは少女のような表情で首を傾げる嶽地であった。
「貴方は、なぜ被害者に外国人の女性ばかりを選んだのでしょうか?」
嶽地の被害にあったのは、十三歳から二十一歳の東南アジア系やインド系の女性ばかりであった。
幼少期の彼は実母と上手い関係を築けておらず、その事が女性への憎悪と加害意識を育んだであろう事は、片山も理解していた。
その辺りは彼も自覚があるらしく、これまでのインタビューでも本人の方から何度か言及があった。
しかし、なぜ外国人の女性ばかりを狙うのか……という疑問に関しては、ずっとはぐらかされ続けていた。
既に他界している彼の実母は、いかにも日本人的な外見で、嶽地の毒牙にかかった六人の女性たちの誰とも似ていない。
どうやら、彼は被害者に亡き母親の姿を見ていた訳ではないようだ。
嶽地聖夜の生い立ちや、その性格、周囲を取り巻く人々に至るまで、ありとあらゆる事を調べあげてきた片山であったが、そこだけがすっぽりと抜け落ちて繋がらない。
なぜ特定の人種の女性ばかりを狙ったのか。
その疑問に嶽地は表情を変えずに答える。
「……その質問は、前にもされたと思いますが」
そこで片山は、以前に彼の口から聞いた答えを諳じた。
「確か『人間で我慢しようと思ったから』でしたっけ?」
率直に意味が解らない。
人間で我慢……。
それが本音ならば、彼が本当に殺したかったのは、人間ではないのだろうか。
嶽地はうっすらと微笑んだまま、ゆっくりと首肯して口を開く。
「それで、あってますよ」
取調べでも裁判でも彼は一貫して、この供述を繰り返している。
「では、貴方は犬や猫の代わりに被害者を殺したというのですか?」
嶽地は視線を上に向けて思案すると、その片山の疑問に答えた。
「その理解であってます」
そして、やんわりと微笑むと、彼は言葉をつけ足す。
「ボクは子供だったから、我慢できなかったんです。残念ながら」
連続殺人鬼の兆候の一つとして、幼少期の動物虐待があげられる。
犬や猫などの動物から、ターゲットをより大きな人間へと移してゆく。
こうした傾向は、連続殺人鬼のおよそ九割に見られるものなのだという。
彼らにとって動物とは殺人へ至るまでの練習台であり、人間の代替品なのだ。
しかし、動物の代わりに人間を殺した連続殺人鬼など、片山は聞いた事もなかった。
質問の答えの意味を図り損ねて困惑していると、嶽地は意味深な笑みを浮かべ、おもむろに言葉を発した。
「……北方清十郎」
「は?」
「あの人は、どうされていますか?」
北方清十郎とは、嶽地が幼い頃に懇意にしていたという男だ。
嶽地との血の繋がりはなく、同じ町に住む知り合いでしかなかった関係だ。
しかし、以前のインタビューで、北方の事を“実の父親のようだった”と語っている通り、ずいぶんと慕っていたらしい。
片山も幾度か面識があった。
手紙を送った事もあるそうだが返事は来なかったとの事だ。
「僕も取材で知り合った人から聞いたのですが……彼は、北方さんは先日、亡くなったそうです」
片山が、そう告げると嶽地は大きく目を見開いて凍りついてから、すべてを諦めたかのように大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
「じゃあ、後継者を探さないと……」
「は?」
言葉の意味が解らずに、片山が聞き返すと嶽地が何かを言う前に刑務官が面会時間の終わりを告げた。




