【08】アマビエ
「杉川くん……」
呆然とする苅田美園に渋谷が言い寄る。
「先生! その手紙について、何か知ってるんですか!?」
「いや……その……」と、しどろもどろになり、明らかに動揺を隠せない様子の苅田。
「その手紙は三通目です。全部、同じ便箋でした……」
茅野が声をあげる。
「その手紙が渋谷さんの元に届き始めてから、彼女の身に不可解な事が起こり始めました」
「不可解な……事……?」
茅野は神妙な顔つきで頷き、これまでの経緯をかい摘まんで語る。
渋谷が感じていた奇妙な視線についてや、無言電話、甘い花の香、彼女の交際相手が交通事故にあった事、等々……。
心霊的な要素については、突飛過ぎて話が嘘臭くなると考え、あえて伏せる。
「……因みに手紙は三通とも、渋谷さんの下駄箱に置かれていたそうです」
「下駄箱に……」
と、呟くと、苅田は渋谷に向き直る。
「……渋谷さん」
「はい?」
「貴女の下駄箱って……」
その苅田の言葉に、自らの下駄箱を指差して答える渋谷。
「あそこです」
すると、苅田の顔色は更に青ざめてゆく。唇を戦慄かせ、後退りする。
「私の下駄箱と同じ場所……」
そんな彼女に追い討ちをかけるように、茅野は言った。
「先生は、この便箋の送り主に、心当たりがあるのですね?」
「でも……でも……杉川くんは、もう……」
渋谷が懇願する。
「お願いします、先生! 知ってる事があったら、教えてください!」
苅田は一つ大きな深呼吸をすると、真っ直ぐに渋谷を見据えて答える。
「解ったわ」
と、言って近くにあった大きな壁掛け時計を見あげる。
「……ただ、もうすぐで学校を閉めなければならないの。場所を変えましょう」
この申し出に、桜井、茅野、西木、渋谷は頷いて了承した。
けっきょく、苅田とは来津市郊外にあるファミリーレストランで十九時に待ち合わせする事になった。
四人は来津高校の校舎をあとにすると、再び銀のミラジーノに乗り込み、待ち合わせ場所へと向かう。
その最中であった。
車が信号に引っ掛かり、減速し始めた直後に、茅野が手にしていたスマホがメッセージの着信を告げた。
「九尾先生からだわ」
スマホを指でなぞる茅野。ハンドルを握る桜井が前方に目線を置いたまま尋ねる。
「センセ、何だって?」
「えっと、あの梨沙さんが送った画像から、何か視えたらしいわ」
「どんな?」
と、桜井が訊くと、茅野はスマホの画面を運転席に向かって掲げた。
「アマビエ……?」
「梨沙さんにも、そう見えるかしら? でも、ツーサイドアップのアマビエなんて、珍しいわね」
「どれ?」
と、西木が後部座席から顔を出して、茅野からスマホを受け取る。
そして、画面を見て納得した様子で頷く。
「確かにアマビエね」
次に渋谷が西木からスマホを受け取り、画面を覗く。
「確かに、アマビエだけど……」
そう言って、助手席の茅野にスマホを返す。
「えっと、この九尾さんっていう人は、霊能者なんだよね?」
その渋谷の質問に茅野が答える。
「ええ。かなりの腕利きよ。きっと、このアマビエにも何か深い意味があるに違いないわ」
「アマビエって、確か疫病を退治する妖怪なんだよね?」
と、桜井。
茅野が首肯する。
「元々は、豊作や疫病を予言する妖怪らしいけれど……」
「九尾センセは、その絵について何て?」
「特にコメントはないわね。それからタロットカードの画像もあるわ。『女帝』『皇帝』『運命の輪』 すべて正位置ね」
「タロットの意味するところは?」
「まだ、何とも言えないわ」
「そか。まだか」
「……あと『お風呂に入ってくる』だそうよ」
「センセ、長風呂だからなあ……」と桜井が苦笑したところで信号が青になった。
車が動き出す。
「何はともあれ、九尾センセは心霊関係だけは優秀な人だから、このヒントは重要なものだよ」
その桜井の言葉に、渋谷は「う、うん……」 と曖昧な返事をするしかなかった。
ファミレスで適当に食事をしながら待っていると、苅田は約束の時間通りにやってきた。
来て早々に、さっそく本題に移る。
「……杉川くんは、私の幼馴染みだったの。実家が近くて、幼稚園からずっと一緒で……」
その苅田の表情は、思い出話を語るときのものにしては、あまりにも沈痛だった。
「小さい頃は、彼の事を『好き』とか言っていたような気がする……」
そう言って、苅田は寂しそうに微笑む。
しかし、その当時の彼への想いは、恋慕の情と呼ぶには幼すぎるものだった。
けっきょく、苅田にとっての杉川の存在は“もっとも距離の近かった男の子”という域を出る事がなかったのだという。
しかし、杉川の方は違っていた。
「……確か高三の春先だったわ。彼に手紙で呼び出されて、告白されたの」
「そのときの手紙に使われていたのが、この便箋だったという訳ですか……」
茅野が三通目の手紙をテーブルの上に置くと、苅田は頷く。
「ええ。彼の手紙は渋谷さんの手紙と同じように、私の下駄箱に入っていた。そして、今の渋谷さんの使っている下駄箱の位置は、当時の私が使っていた場所と一緒なの。だからびっくりしたわ。書かれていた文字の筆跡も見覚えがあった。それに、一瞬だけ、あの香がしたような気がしたの」
「香って、甘い花の香の事ですか?」
と、渋谷が尋ねると、苅田はこれにも頷き返す。
「そう。あの花の匂い……夏になると、杉川くんの家の庭先にたくさん咲く花……」
そこで、二皿目のミートソースをズビズバと啜っていた桜井が、顔をあげた。
「その花って、何て言う花?」
「確か、矢車菊とか言ったかな……」
その苅田の返答に茅野は「なるほど……」と得心した様子で頷いた。
そして、西木が話を再び本筋に戻す。
「それで、彼の告白の方は、どうされたんですか?」
「断ったわ。私、当時、つき合っている人がいたから」
因みに今の旦那ではないらしい。
そして、茅野がたっぷりとガムシロップを入れたアイス珈琲で喉を潤してから口を開いた。
「では、杉川さんは、その事を知らずに告白してしまったと?」
「ええ。当時はクラスも別々で、疎遠になっていたから。それに当時の彼は内向的で、あまり友だちもいなかったみたいだから、そういった同級生たちの恋愛事情にも詳しくなかったのだろうけど。でも……」
どこか奥歯に物が挟まったかのように言い淀む苅田。
そして、たっぷりと言葉を溜め込んでから、悔恨の念を滲ませた表情で言葉を吐き出す。
「実は、杉川くんを告白するように焚きつけたのが、当時の彼の数少ない友人だった島舘という男の子だったんだけど、その島舘くんは、私につき合っている人がいると知って、あえて杉川くんに告白させたみたいなの……」
「何で、そんな事を……」
西木の表情が不愉快そうに歪む。
苅田は悲しげに微笑んで首を横に振った。
「解らない。単なる悪戯、嫌がらせ、虐め……何にしろ、杉川くんを笑い者にしようという悪意からだったのは間違いないわ」
その一件以来、杉川は学校に来なくなってしまったのだという。
いたたまれない気持ちになり、四人の表情が一気に沈み込む。
そんな中、桜井が口元を紙ナプキンでぬぐって、質問を発した。
「その杉川って人は今は……」
「死んだわ。十四年前に。自宅で首を吊って」
その淡々と発せられた一人の男の人生の末路は、重苦しい沈黙を四人にもたらした。