【07】ピンチ
「あ、はい、はい……すいません。あと三十分くらいで向かいます」
雨の中をひた走る銀のミラジーノの後部座席で、スマホを耳に当てて、ぺこぺこと頭をさげるのは渋谷円香であった。
「……十八時までに……はい。大丈夫だと思います。お手数をかけます。では」
因みに現在の時刻は十七時十七分。
「まだ先生いるって。教室の鍵、開けてくれるみたい」
「それは重畳」
と、茅野がルームミラーに目線をやりながらほくそ笑む。
すると、渋谷が表情を曇らせて懸念を顕にする。
「でも、職員玄関しか開いてなくて、そこから学校の中に入ると事務局カウンターの前を必ず通らなければならないわ。事務局にはまだ人がいる」
しかし、茅野はあくまでも余裕のある態度を崩さない。
「それも、何とかなる」
これから、渋谷が忘れ物を教室に取りに行く振りをしてもらい、そのどさくさに紛れて不法侵入をきめるという作戦だった。
そのため、渋谷は制服に着替えてもらわなければならないので、まずはいったん彼女の家へと向かっているところであった。
「たぶん、手紙が置かれていた下駄箱が本命だろうけど、渋谷さんの使ってる教室や机、ロッカーなんかも片っ端から写真撮影して、九尾先生に全部送りつけましょう。まずは呪いの根元を突き止める」
と、茅野。
そこで、渋谷はふと同級生から聞いた話を思い出す。
「……呪いといえば、これは、友だちから聞いた話なんだけど」
「お、怖い話?」
ハンドルを握る桜井が興味を示す。
渋谷はルームミラー越しに頷き返し、話を続けた。
「学校のすぐ近くに、異次元屋敷と呼ばれる……」
「あ、それ関係ないから」
桜井が渋谷の言葉をぴしゃりと遮る。
「でも、この辺りじゃ、凄く有名な心霊スポットで、確かウチの学校の先生が住んでたらしくって……」
「心配ないわ。あそこには、もう何もない」
遠い目をする茅野。
「えっ、でも……」
二人の意味深な態度に戸惑う渋谷だった。
黙って話を聞いていた西木は、その異次元屋敷の事を二人に話したのは自分だった事を思い出して苦笑した。
渋谷の家へと寄ったあと、来津高校へと向かう。
正面門から右手にある駐車場にミラジーノを停めた。
それから、彼女らのとった作戦は以下の通りとなる。
まず近くの女子トイレの窓の下で桜井、茅野、西木の三人が待機する。
その間に渋谷が「忘れ物を取りにきた」と事情を説明して、職員玄関の奥にある事務局のカウンターを突破。そのまま教務員室へと行って教室の鍵を借りる。それから、外で三人が待機している女子トイレへと向かい、窓の鍵を開けて招き入れる。
結果、特に何のトラブルもなく、桜井、茅野、西木の三人は来津高校の校舎へと侵入を果たす事ができた。
そこから、まずはいちばん距離的に近い生徒玄関へ向かう。
「それで、まどっちの下駄箱はどこなの?」
西木に尋ねられ、渋谷が案内する。
「こっち」
そして、彼女が自らの下駄箱の蓋を開けた瞬間だった。
四人は目を大きく見開く。
なぜなら、下駄箱の中に四つ折りになった紙が入っていたからだ。
渋谷は震える指先で、その紙を摘まみ、ゆっくりと開く。
固唾を飲んで見守る他の三人。
その紙は端が黄ばんでおり、右下にクローバーのイラストがプリントされている……例の便箋と同じ物だった。
そこには、こう記してあった。
君は僕を裏切らないよね?
このまま、ずっと一緒だよね?
絶句する渋谷と西木。
桜井は「キモ……」と吐き捨てて、ネックストラップに吊るされたスマホを手に取り下駄箱の写真を取った。
次の瞬間だった。
「ちょっと! あなたたち……」
その声に四人が一斉に振り向くと、ジャージを着た女教師が立っていた。四十代でいかにも口煩さそうな顔つきである。
「何か声がすると思って見にきてみれば、何をしているの!?」
渋谷が咄嗟に言い訳する。
「あの……忘れ物をして取りに来たんですけど」
しかし、女教師は険しい表情を崩さない。
桜井、茅野、西木の三人を見渡し……。
「その三人は何で私服なの? 駄目でしょう、夏休みだからって学校に来るときはちゃんと制服を着てこないと」
「あ、苅田先生、この三人は私の付き添いで……」
渋谷は三人を庇うように前へと出て、苅田と呼ばわった女教師の言葉に答える。
続けて茅野が「制服はクリーニング中なんです」などと、飄々と言ってのけた。
教師に遭遇しても制服を着た渋谷が一人いれば、どうにか誤魔化せると考えていたが、苅田に聞く耳を持った様子は見られない。
つかつかと、四人に詰め寄ってくる。
「いいから、名前と学年とクラスを言いなさい!」
さしもの桜井と茅野も、これは少々面倒な事になったと内心で臍を噛む。西木の方は、何でこの二人について来たんだろう、自分は別について来なくてもよかったのでは……と、少し後悔した。
そして、茅野が更なる出任せを口にしようとした、そのときであった。
唐突に苅田の顔から表情が消え失せる。
「この香は……」
桜井と茅野、西木は怪訝そうに顔を見合わせた。
渋谷が苅田に尋ねる。
「どうしたんですか? 先生」
そこで、苅田のぼんやりとした眼差しが、渋谷の右手に持たれたままだった便箋へと向いた。
「その便箋……」
はっとして苅田は渋谷から便箋を引ったくる。
そして、その右隅にプリントされたクローバーのイラストを目にした瞬間、彼女は大きく目を見開き唇を震わせる。
「杉川くん……」
苅田美園が、その名前を口にしたのは、ずいぶんと久し振りの事だった。
丁度、その頃だった。
九尾天全はチェックインを済ませ二階の客室へと通される。
室内はシックな木目調で整えられており、落ち着いた雰囲気だった。
そのソファーに腰を落ち着け、さっそく桜井から送られてきた橘と渋谷の写真を霊視した。
すると、彼女の脳裏に一つの画像が浮かびあがる。
「何かしら? これ、女の子……?」
九尾は眉間に皺を寄せる。
その視えた物が何なのか、何を意味するのか解らない。とうぜんながら、頭の中に浮かんだ画像をスマホに移す事などできはしない。
こういうときに霊能力は不便だといつも思う。
仕方がないので、九尾は気を取り直し、ライダー版のタロットカードを鞄から取り出した。
精神を集中させて三枚めくる。
すると……。
『女帝』
『皇帝』
『運命の輪』
この三枚だった。
しばらく、座卓の上のカードをためつすがめつ睨みつけて、プロの占い師として九尾のくだした結論は――。
「ま、まあ、循ちゃんなら、きっとこれで解るよね」
と、解釈は茅野に丸投げする事にした。
そして、ついでに、備えつけのボールペンとメモ用紙で、さっき頭に浮かんだ画像をできるだけ忠実に描いて撮影し、タロットカードの写真と一緒に送りつけた。