【04】存在しない世界
画面の中で【六月】が両手をあげた。魔法のエフェクトが表示され、目の前にいる緑色の悪鬼たちが次々とモノトーンに染まって砕け散る。
【石化の呪い】だった。
「……で、そのオフ会で、何かあった訳だ?」
すると、茅野がマウスから手を放して机の引き出しを開けた。
その中から一枚の新聞の切り抜きを取り出し、桜井に渡した。
そこには……。
『埼玉県大宮で雑居ビル火災 5名搬送、3名死亡』
26日午後14時過ぎ、埼玉県大宮駅東口周辺にある5階建て雑居ビルから出火。風に煽られ火元と見られる3階のカラオケ店を中心に、広範囲に延焼した。
消防当局の発表によると病院に搬送された8名のうち4名が軽傷、1名が全身に火傷を負い意識不明の重体となった。
消火活動は26日の深夜にまで渡り、現在は完全に鎮火している。
消防当局は出火原因を突き止める為に、建物内の捜索を開始。焼け跡からは3名の遺体が発見された。
「循……これは……」
桜井の言葉に、茅野は画面を見つめたまま答える。
「ニュースの続報やネット界隈の噂による情報になるのだけれど、三階のカラオケ店『サフラン』のルーム07で、客の一人が携行缶に入れられた可燃物を撒いて火をつけた事が出火原因だと判明したらしいわ。そして、逃げ延びたカラオケの店員の証言によれば、当日のその時間帯、火元となったルーム07、そして08、09を利用していたのが『火吹き山連合』という団体客だった」
「循の所属していたギルドだ!」
「ええ……」と、頷く茅野。
更に画面の中の【六月】を操作しながら言葉を紡ぐ。
「そして、出火前にルーム07にいたのが、私を除いた『虎猫遊撃隊』の四名だった。火を放ったのは、その中の一人よ」
「ええ、何で……?」
流石の桜井も顔をしかめる。
すると、茅野が悪魔のように微笑みながら、さらりと答える。
「さあ? 世界が終わるとでも、思ったのではないかしら?」
「世界が……終わる?」
「ええ。あの私がインしなくなったあとの直後に行われた定期メンテナンスで、運営からサービス終了の知らせがあったわ」
「サービス終了……じゃあ……」
桜井は目を白黒させて、茅野の横顔とゲーム画面を交互に見た。
茅野が神妙な表情で頷く。
「このAWOは二〇一四年の四月一日に、既にサービスを終えているの」
「じゃあ、これって、ネトゲの幽霊って事?」
「まあ、そういう言い方もできるわね。前に公式の鯖で使っていたキャラが、そのまま使えるエミュ鯖なんておかしいもの」
「えみゅ……さば……?」
桜井が首を傾げ、茅野が解説する。
「エミュレーションサーバの略よ。簡単に言うと、ゲーム運営を通さずにゲームをプレイできるサーバの事ね。要するにネットゲームの海賊版っていう訳」
「そんな事ができるの?」
「ええ。MMORPGのような、運営のサーバが必要なゲームと同じ動作をするサーバプログラムを一から制作し、ゲームアプリケーションを実行する事は技術上可能で、この手のエミュ鯖は様々なゲームのものが無数にあるわ」
「それって、いいの? そんな事をして」
その桜井の疑問に茅野は数秒だけ思案して答える。
「うーん。セーフよりのアウト、もしくは、アウトよりのセーフ……この辺りは、どこまでが著作権侵害に当たるのかは、なかなか難しい問題よ。一言では言えないわね」
「つまりセウト、もしくは、アウフか……」
「そうね。ただ、サービス終了していないゲームのエミュ鯖は、アウトよりのアウト」
「つまり、アウアウ」
「そうなるわね」
「じゃあ、このゲームができる事自体は、別に不思議じゃないんだ?」
「まあ、そうね。ただし、当然ながらサーバが違う訳だから、公式で使っていたキャラアカウントなんか、普通だったら引き継げないはずなんだけど……」
画面の中では【六月】が、暗黒魔法を使って敵を一掃していた。
「引き継げちゃってる訳だ」
「そういう事よ」
茅野がその噂を耳にしたのは、つい先日の事だった。
それによると、あるAWOのエミュ鯖で、公式で使っていたキャラアカウントがそのまま使えるのだという。
それだけなら、特に彼女の心霊的な食指は動かなかった。
信憑性の極めて薄い眉唾な噂話に過ぎなかったからだ。しかし……。
「このエミュ鯖内で、例の二〇一三年
十二月二十六日にあった火災で死んだ三人のキャラが動いているのを見たという話が、MMO関連の掲示板に投稿されていたわ」
「それじゃあ……やっぱり……」
桜井の言葉に首を振る茅野。
「まだ、それだけじゃ何とも言えない。誰かの悪戯かもしれない。公式サーバのキャラが使えるのも、何らかの方法で不正に入手したデータが使われているだけかもしれない。そんな事が現実的にできるかどうかは知らないけれど」
「なるほど。その真偽を確かめようっていう訳だね?」
「そうね。それに、もしも、本当に死んだ三人に会えるのだったら……」
そこで、茅野は言葉を詰まらせる。
しばらく画面の【六月】が廃墟の町並みを駆ける後ろ姿を見つめ、口を開く。
「お別れの挨拶をしたいわ」
大宮の火災のあと、事件を起こしたプレイヤーと同じパーティだった者として、茅野のSNSのゲーム用アカウントにはたくさんのDMが届いていた。
大抵は野次馬や趣味の悪い悪戯で、中には週刊誌などからの取材依頼もあった。
そうした世間の好奇の目に辟易した茅野の心は、ますますゲームから遠ざかる。
そして、そのまま彼女の分身である【六月】は、一回も目覚める事なく世界の終わりを迎えたという訳だった。
「……一応は、仲間だったから。それだけは、ほんの少しだけ、心残りだった」
「うん。そだね」
と、桜井がさりげない相づちを打った瞬間だった。
画面の上部に『メッセージが届きました』のテロップが流れる。
茅野は大きく目を見開いて【六月】の動きを止めた。
桜井も驚いた様子で、そのテロップを見つめる。
茅野がマウスを操作し、送られてきたメッセージを開く。
『久し振り。今、どこにいるの?』
それは、例の火災で未だに意識が戻らぬまま、大宮中央総合病院にて入院中の桐場秋人こと黒騎士アレスからのメッセージであった。