【03】死神
b/headが、まるで台詞を読みあげるかのような調子で言った。
「フジミシは、城塞都市フールから西にあるアルハントン高原の祠の中の転移魔法陣から行ける」
次にセント・ジョージが、でかい海老の背中を、ぼきり……と、折り曲げて言った。
「フジミシに着けば、モンスターは出てこないよ。駅裏に行けば、六月と会えるはず」
そこで黒騎士アレスは気がつく。これまでセント・ジョージは海老の背中を折るだけで、まだ一匹も食べていない事に。目の前の皿には、背中の折れた海老が山積みになっている。
思わず海老の山とセント・ジョージの顔を交互に見る。
彼は満面の微笑みで白い歯を見せていた。
「お前……」
と、口を開きかけたところで、カエデが言葉を被せてきた。
「このクエストにボスはいないけれど、死神が常に貴方を追尾してくる」
「死神?」
新しいモンスターだろうか。
カエデは、鮮血のような真っ赤なワインを呷ってから死神について答える。
「死神からは逃れられない。その正体を知る事もできない。知ってしまえば、貴方は向こう側に連れていかれてしまう」
「じゃあ、どうやって倒せば……」
黒騎士アレスの質問に、カエデはゆっくりと首を振る。
「倒せない。だから、見ないようにするしかない。気がつかない振りをするしかない……」
謎かけのヒントだろうか。
彼女の言葉を頭の中で反芻し、記憶に刻み込もうとする。
すると、それを邪魔するかのようにb/headが、ぱん、と両手を叩いた。
「さあ、もう行くんだ。六月を我々の元へと連れてくるんだ。この世界が終わってしまう前に……」
気がつくと『酔いどれ火竜亭』にいた他の客も、店員も、ドワーフの楽団も、獣人の軽業師も、全員が動くの止めて、黒騎士アレスの方へと視線を向けていた。
異様な雰囲気の沈黙が続き、彼はやっとの事で口を開く。
「ああ……解った」
それだけ言うと椅子から立ちあがり、静まり返った店内を見渡した。
そんな中、それは店の最奥の壁際だった。
白っぽい服を着たその存在の姿が視界の端に引っ掛かる。
それは、痩せぎすの青白い顔をした髑髏のような、不気味な顔の男だった。
はっとして、そちらに視線を合わせた。
しかし、どこにも見当たらない。
テーブルに頬杖をついたカエデが上目使いでほくそ笑む。
「今のが死神よ」
「今のが……」
「見たら駄目。正体を知っても駄目よ。気をつけて」
「ああ、わ、解った……」
黒騎士アレスは、頷くしかなかった。
そのまま、逃げ去るように『酔いどれ火竜亭』を後にして、城塞都市フールから西のアルハントン高原を目指した。
照りつける太陽。
微風にそよぐ草花と低木の枝。奇妙な形にねじれた奇岩が立ち並ぶ。
空の彼方の雲間には、未実装のまま放置された空中庭園が浮かんでいた。
そんな風景の中を黒騎士アレスは駆ける。
かつての仲間である六月の元へと向かう為に。
やがて、前方に石造りの簡素な祠が見えてきた。
あと一息……と、いうところで、頭上に禍々しい影が射す。
黒騎士アレスは、すぐに後方へ飛び退いた。
その刹那だった。轟音と土煙。
つい一瞬前まで彼が立っていた地面が、上空から訪れた何かによって爆散した。
黒騎士アレスは腰の片手剣を抜き構える。
すると、舞いあがった塵のベールを突き破り、鋭い牙の並んだ大腮が彼を襲う。
再び大きく飛び退く黒騎士アレス。
大腮の主は、巨大な蝙蝠の翼をはためかせ、ゆっくりと上昇し始めた。そして、縦に割れた爬虫類の瞳で、眼下の獲物を睥睨する。
黒騎士アレスは、その正体を知ると苦々しい顔で舌を打った。
それは、緑色の鱗に覆われた飛竜であった。
鋭い牙に鉤爪。
素早く動き回り、尻尾の先の針には毒を持つ。
このアルハントン高原では、もっとも危険なモンスターである。
「ワイバーンか……。ソロで、やれるか……?」
黒騎士アレスは半身で大きく足を開き、左腕を前に突き出す構えを取った。
ワイバーンが吠え声をあげてから、猛スピードで滑空する。
「うおおおおッ!!」
黒騎士アレスは、もっとも威力の高いスキルで迎え打った。
黒騎士アレスとワイバーンの戦いは長きに渡った。
その激闘の末に勝利を収める事ができたのは、黒騎士アレスであったが、無傷という訳にはいかなかった。
アイテムボックスからHPを回復させるハイポーションを取り出す。
硝子瓶に入った青い液体を飲み干すと、彼の全身が白く輝き、みるみるうちに傷が癒えてゆく。
「うむ。先を急ぐか……」
と、歩き出そうとしたところだった。
黒騎士アレスは気がつく。
空になったポーションの瓶のラベルに記された文字……。
『大宮中央総合病院』
「は?」
思わず目を瞬かせる。
すると、その硝子瓶の口の根本の部分だった。
何かが映り込んでいる。
それは、落ち窪んだ眼窩の奥にある洞穴のような闇深い瞳。潰れた鼻。痩けた頬。ひび割れた唇から覗く不揃いな歯と紫色の歯茎。
あまりにも不吉で禍々しい……。
思わず悲鳴が漏れそうになった。
背後に誰かがいる。肩越しに覗き見られている。そう思った黒騎士アレスは腰の片手剣を抜きながら、振り向き様に背後の空間を切りつけた。しかし……。
「何だと?」
彼の必殺の一太刀は虚空を切り裂いただけに過ぎなかった。
照りつける太陽。
風にそよぐ草木と低木の枝。
奇妙な形の岩。
そして、遥か遠くの雲間に見える空中庭園。
そこには誰もいない。
「これが、死神か……」
黒騎士アレスは片手剣を鞘に納めながら、カエデの言葉を反芻する。
『死神からは逃れられない。その正体を知る事もできない。知ってしまえば、貴方は向こう側に連れていかれてしまう』
その場に残された濃厚な死の香が、彼女の言葉は事実であると物語っているような気がした。
しかし、臆する訳にはいかない。
何としても、このクエストを達成しなくては……。
再び黒騎士アレスは決意を堅めて、転移魔法陣のある石造りの祠へと歩みを進めた。