【05】パートナー
四人は堤川の名前を呼びながら、いったん来た道を戻る。しかし、彼の行方はようとして知れなかった。
陽射しが徐々に傾きつつあった。もう少しで、黄昏時がやってくる。
それは人の心が乱れ、魔が蠢き出す時間帯だ。
「……どうしたんですかね? 堤川氏」
池田が眉間にしわを寄せながら言った。
蔦に覆われた雨水タンクや、ハンドルのない錆びた蛇口、傾きかけた物置小屋……そこは、かつて畑だった藪の手前だった。
砂利敷きの広場になっており、三方向へと道が延びている。
もちろん、物置小屋の中は確認済みである。古びた農具や肥料の袋が乱雑に積まれているだけで、堤川の姿は見当たらなかった。
「た、たぶん、この藪を出た辺りまでは、堤川くん、いたと思うっすけど……」
森山が自信なさげな顔つきで、藪の向こうの森へと続く池田が切り開いた道へと目線をやった。
すると、その瞬間、冷たい風が吹き抜け、周囲の草木が音を立てて揺れ動く。
まるで、何も知らずに巣穴へと飛び込んできた餌を嘲る怪物の笑い声のように聞こえ、柊は顔をしかめた。
そこで前沢が声をあげる。
「じゃあさ、二対二に別れて探そうよ」
池田と森山が、何か言いたげな表情で顔を見合わせた。
すると、前沢が突然、柊の右腕をつかんで彼女の身体を手繰り寄せる。
「俺と明日菜ちゃんは向こう側を探すから、お前らはあっちな?」
そう言って、三方に延びた道の一つに向かって顎をしゃくった。
柊は即座に彼の意図を理解する。
前沢は自分と二人きりになりたいだけなのだと。彼にとって堤川の安否など、どうでもいいのだ。
何という危機感のなさ。この村は、かつて人の死に関わる出来事があった場所だというのに。柊は呆れる他なかった。
それとも、どうせ堤川の悪戯だと決めつけているのだろうか。自分が大袈裟に考えすぎなのだろうか。
柊はよく解らなくなりかけたが、取り合えず今の状況で前沢と二人きりになりたくなかった。何をされるか、解ったものではない。
そもそも柊は、野島という恋人がいるにも関わらず、彼女を蔑ろにして自分との距離を詰めようとしてくる前沢が大嫌いだった。
野島との仲が険悪になったのも、彼の軽薄な言動が原因である。
せっかく、生まれて初めて、同性の趣味仲間ができるはずだったのに……。
ともあれ、柊は前沢の二の腕を振り払って彼から距離を取る。
「二対二なら、あなたじゃなくて池田くんと組ませて」
「は!?」
前沢が、ぽかんと口を開ける。
当の池田も「拙者でありますか?」と、意外そうな顔で自らを指差す。
柊が池田を選んだのには理由があった。
三人の中からパートナーを選ぶとなると、前沢は論外として、土地勘のある池田が最善であるという判断であった。
そこに恋愛的な理由などないのだが、前沢はそうは取らなかったようだ。
「明日菜ちゃん、俺より、こんな男を選ぶなんて……」
池田は「ふふん」と鼻を慣らし、見くだした笑みで銀縁眼鏡のブリッジを押しあげる。
すると、前沢の表情が怒りに歪む。
「てめえ、調子にのりやがって……」
そのまま、池田に詰め寄ろうとした。
そこで、咄嗟に巨漢の森山が二人の間へと割って入る。
「まあまあ、前沢くん」
「ちょっ、どけ! 森山ぁッ!」
森山が前沢の両肩に手を突いて抑える。そして、何やら池田と目配せを交わしあった。
池田はどこ吹く風といった様子で、腕時計の文字盤に目線を落とす。
「それじゃ、今からまた三十分後の十六時四十七分にこの場所で。もしも、堤川くんが見つからなかったら、スマホの電波が届くところまで戻って通報しましょう」
冷静な判断であると柊は思った。
「てめ、ゴラ、勝手にしきってんじゃねえぞッ! 童貞の癖に!」
その一方で、なおも憤懣やる方ない様子の前沢は、あまりにも子供染みて見えた。
しかし、そんな彼も森山に何事かを耳打ちされた途端、急におとなしくなる。
すると、池田がくるりと背を向けた。
「行きましょう。もうじき暗くなる」
淡々とそう言い残し、ついさっき、前沢が顎でしゃくった道の先へと歩いて行く。
柊もその後ろを追った。
「……姫が見てるっすよ。冷静になりましょ?」
その森山の言葉で、前沢の頭は一気に冷える。
「行きましょう。もうじき暗くなる」
池田が淡々とそう言って背を向けた。その後ろを柊が追いかける。
畜生、格好つけやがって……前沢は内心でほぞを噛んだ。
柊と池田の後ろ姿が遠ざかって行く。
前沢は大きく息を吐き出して、森山に向かって小声で言った。
「わりぃ。ちょっと、あの池田の面を見たら苛ついた」
「ああ。あははは……確かに……あはは……」
森山も曖昧に笑う。
「てかさ、堤川のやつ何なんだよ! つまんねー事しやがって」
柊の予想通り、前沢は堤川の失踪を彼の自作自演であると考えていた。
だから、これを機会に柊と二人きりになりたかった訳だが、柊の気紛れにより――あくまでも前沢にとっては――当てが外れてしまった。
なので、森山と一緒に、わざわざ堤川を探し回るつもりなど毛頭にもなかった。
「……ここで、待ってようよ。どうせ、あの童貞のヘタレに何かできる訳がないし」
「え、でも……堤川くんは……」
森山が異を唱える。すると、前沢は鼻を鳴らした。
「けっ。そろそろ退屈になって出てくるよ。たぶん」
そう言って、肩かけ袋からスマホを取り出し、指でなぞると忌々しげに舌打ちをした。
「ここスマホが使えねーんだった。畜生!」
すると、森山が恐る恐る前沢に向かって言った。
「あ、あの前沢くん……」
「何だ?」
「ちょっと、お腹、痛くて……そのトイレ」
前沢はうんざりした様子で溜め息を吐いた。
「離れたところでやれよ? あとすぐに戻って来い」
「ああ、うん……ごめん」
森山は大きな背中を丸めて、荒れた畑の藪の中へと分け入っていった。
八月二日八時四十二分――。
桜井梨沙と茅野循は森を抜けて、村の端にあるかつて畑だった藪を抜け、村の中央へと延びた道を行く。
「……にしても、あの猿の足跡は何なんだろうね?」
桜井のふわっとした疑問に、隣を歩く茅野が答える。
「まだ何とも言えないわね。あくまでも現実的な解釈にこだわるなら、昔この村の誰かが飼育していた大型の猿が野生化したという可能性も考えられなくはないけれど……でも、廃村になって何十年も生きていけるものなのかしら?」
思案顔を浮かべる茅野。
「日本猿ではないんだよね?」
「ええ。足跡の大きさから、身長は私と梨沙さんの間ぐらい。平均的な日本猿の三倍はあるわ」
「なるほど……」と呟く桜井。既に相手の姿をイメージし始めたらしい。
「一応、天和三年に、この県で捕られたという狒々の大きさが、百四十四センチぐらいだと言われているから、それよりも大型ね」
「ひひって、猿の妖怪だっけ?」
桜井の質問に茅野が頷く。
「そうよ。この手の大猿に関する伝承は、古来から日本のいたるところで伝えられているわ」
「今回は妖怪案件か……」
「どうかしらね。明治時代に東京の大森貝塚から大型の猿らしき骨が見つかったなんていう話もあるし、一九七〇年代に、広島県の比婆郡や、庄原市の比婆山連峰において目撃されたヒバゴンなどの例を考えると、日本には、そういった大型の猿に類する何かが生息していた可能性もなきにしもあらずよ。今回の大猿も、その手合いかもしれない」
「UMA案件はレアだね」
「そうね」
「まあ、正体が何にしろ、やっぱり、とつぜん襲われたら怖いよね……」
「梨沙さん、頬が弛んでいるわ」
「えー、そかなー?」
などと、話し込むうちに『廃村の屋根の上に』で語り部たちが怪しい人影を見たという広場に辿り着く。
そこは二人がやって来た方向から見て、真横に長い楕円で正面には大きな屋敷があった。
二メートルくらいの板張りの塀と棟門があり、その向こう側から手入れのされていない檜葉の枝葉がはみ出していた。
門扉は開かれており、そこから続く石畳の先に庇を支える柱と、玄関の格子戸が窺えた。
その真ん前に、乳白色と赤色の丸いものが落ちている。大きさは西瓜ぐらい。まるで、熟れて地面に落ちた果実のようにも見えた。
二人は慎重な足取りで広場を横切り、屋敷の門の前に立つ。落ちていた物体を確認した。
「循、あれって……」
「ええ。梨沙さん」
それは、大きく目を見開いた人間の生首であった。