【08】新しい価値観
まず佐藤は“かみあがり”と呼ばれる異様な儀式について語り始める。
「儀式は母親が姉妹の子供を作るところから始まります。男児ではいけません。必ず女児でなくてはなりません」
そこで岡田が問う。
「もしも、男児が産まれたとしたら……?」
「その代では、儀式は行われません……」
男児が産まれたあとも、女児の子供が一人はできるまで子作りは行われる。どうしても女児ができない場合は養子を取る事もあるのだそうだ。
そして、家督はその女子が継ぎ、男子は家を出る。
男の家系では儀式は行われない。男には儀式の存在すら伝えられない。徹底的に秘密にされる。女子にのみ、その儀式の詳細を伝えるのだという。
そして、男児が産まれず、姉妹がそろった代でのみ儀式は行われるらしい。
「母親は女子が二人以上産まれた時点で、姉妹の一人を選び“巫女”とします。この“巫女”がのちの家長であり儀式の材料となるのです」
因みに松子、竹子、梅子の三姉妹は三つ子らしい。
「……そして、母親は例の鏡台を用意して“巫女”に真の名前をつけます。その読み方は、母親しか知りません」
「あの鏡台の中にあった紙に書かれていた言葉だね?」
九尾の言葉に佐藤は頷く。
「はい……その通りです」
“襟诟”
岡田の脳裏に、その禍々しい二文字が蘇る。
「……それで、先程も言いましたが“巫女”は物心ついたときから呪術の修行を積まされます」
その修行は常軌を逸しており、大変に厳しいものなのだという。
「一族に伝わる猫や蜘蛛の蠱術から始まり、右道に左道……兎に角、様々な流派の術法をできるだけたくさん……ときには伴天連の妖術の類いまで……」
「魔道の深淵に己の魂を近づけるためだね?」と九尾。
佐藤は首肯を返す。
「一般的な常識や知識は、ほとんど教えられません。ひたすら、あらゆる術法に関する知識と、自らは母親の所有物である事を叩き込まれるのです」
そんな歪んだ教育をほどこされた人間が、どのような人格を形成するのか……岡田は怖気を感じて背筋を震わせた。
更にそのおぞましい話は続く。
「そして、“巫女”が十歳になると、あの鏡台の前で爪を興じるように母親から命令されます。爪の枚数は猫の頭蓋骨を使った骨卜によって決められます。因みに梅子は手の爪を九枚でした。爪は自分で、はがさなければなりません」
あまりの凄惨さに九尾と岡田は顔をしかめた。
「……その爪は、鏡台の櫛箱の一番上の引き出しに、真の名前を記した紙と共に引き出しにいれられます。そして、次は十三歳のとき……今度は鏡台の前で、歯を興じるように言われるのです」
このときの歯の本数もまた、爪のときと同じで骨卜で占われるのだという。
抜いた歯もまた、真の名前を記された紙と一緒に二番目の引き出しにしまわれる。
「そして、十三歳で呪術の修行はいったん終わります。ここから十六まで“巫女”は、選ばれなかった姉妹によって世話をされながら普通の生活を送るのです……」
この三年間は、いくつかの禁忌はあるものの、かなりの自由が与えられる。
しかし、すでに“巫女”は、ほとんど生きたまま人形のようになっている事がほとんどであるのだという。大抵は文字通り、何もせずに過ごすらしい。
そして“巫女”の十六歳の誕生日に、儀式のしあげが行われる。
「“巫女”を鏡台の前に座らせ、母親は“巫女”の髪の毛をすべて食べるのです」
「髪の毛を食べる……」
流石の九尾も驚いた様子で目を丸くする。
あの母親の口の中から引っ張りあげた唾液まみれの髪の毛を思い出したのだ。
「……それから、母親はそこで生まれて初めて、“巫女”の真の名前を呼ぶのです。その瞬間から母親の心は何か別なものと入れ替わり、廃人同然となります。本物の母親の魂は鏡を通じて楽園へ……これで儀式は終了となります」
「廃人となった母親は……?」
岡田の疑問に佐藤が答える。
「その世話も“巫女”に選ばれなかった姉妹に任されます」
そこで九尾は納得した様子で頷く。
「成る程……確かに異端中の異端であり、どの体系にも属していない術であるな……似たような術にすら心当たりはない」
そう言って佐藤へと話を振る。
「……では、その儀式が失敗した具体的な要因は何だ? 貴女は自分のせいであると言ったが……」
佐藤はうつむき記憶を反芻してから、口を開く。
「……私のこれまでの人生は、とても幸せでした。七重叔母様に引き取られ、俗世に触れる事により、一族の価値観とは別の価値観がある事を知ったのです。そして、世間一般からしてみたら、私たちの一族の常識の方がまともではない事を知ってしまいました」
そう言って、佐藤はいとおしげに『痴人の愛』の表紙を撫でる。
「学校で仲のよい友だちもできました。この本も仲のよい宮藤さんがお見舞いのときに持ってきてくれたんですよ……」
そこで、再び佐藤は暗い表情に戻る。
「そんな、毎日を送るうちに、私は次第に実家に残された妹の境遇に同情するようになっていったのです。私はこんなに燦爛と輝く毎日を送っているというのに、妹たちは世界が素晴らしい事も知らず一族のためにその身を捧げ続けている……何と哀れな事かと私は思ってしまったのです。しかし、それはいけない事でした……」
彼女は月に二度ほど、妹たちに手紙を書いたのだという。
ほんの少しでも世界は素晴らしいのだと知ってもらいたくて、日々あった事や感じた事をつらつらと書き記したのだという。
ときおり、叔母に買ってもらい読み飽きた本や雑誌を送ったりもしたそうだ。
次女の竹子はたいへん喜んでくれて、読み終わった本の感想を手紙に書いて返事をくれたらしい。
三女の梅子も修行が行われない十三歳から十六歳までの間は、彼女が送った本を熱心に読んでいたのだという。
「最初、私は自分だけが特別だと勘違いしていました……」
九尾と岡田はこの言葉の意味を図りかね、顔を見合わせた。
そこで、佐藤が自嘲気味に笑う。
「一族のあり方に疑問を抱いてしまった私は、一族にとってみれば異常なのだと。現に七重叔母様は、美術品などの売買で世間と積極的に関わっていました。私を学校へと通わせてくれたのも叔母様です。しかし、それはすべて一族の為なのです」
「成る程……」
九尾は得心して頷く。
そして、儀式が失敗した事を受けて、何の躊躇いもなく、自らの命を捨てた彼女の姿を思い出した。
「……しかし、私だけが異常だった訳ではありませんでした。妹たちもまた新しい価値観が芽生え、ただ楽園を目指すために存在する一族のあり方に疑問を持ち始めたのです」
「じゃあ、次女の竹子さんが、お母さんを殺したのも……」
その岡田の問いに佐藤は頷く。
「恐らくはそうです。梅子に毒を飲ませたのも彼女でしょう」
はっきりと断言したのち、彼女は深々と溜め息を吐いて肩を落とす。
「すべては、私のせいなのです……」