【04】かの一族
大正十五年――。
九尾と岡田は汽車と馬車を乗り継ぎ、福井市の郊外にあるアールデコを基調とした擬洋風の館の前に立つ。
「ここか……」
九尾天全は門前から、その白亜の邸宅を見あげて呟いた。
その横で岡田が訝しげな声をあげる。
「ずいぶんと裕福な暮らしをしているようですね……あの家とは大違いだ」
因みに、ここに住まうのは、あの生き残った長女の叔母に当たる人物なのだという。
「あの死んでいた母親の妹という事は、ここに住む者も、かの一族に連なる者であるという事だ。用心を怠るなよ」
「はっ」
二人は何か只ならぬ雰囲気を感じながらも玄関前に立った。九尾がノッカーを鳴らして声をあげる。
「ごめんください……」
しばらく経ってから着物を羽織った女性が姿を現す。
年頃は九尾より上であろう事は解るが、若いのか老いているのかいまいちよく解らない。
「どちら様かしら……?」
きょとん、と首を傾げるその仕草は、どこか幼い童女めいている。
彼女こそ、この館に住まう本郷七重であった。
九尾と岡田が通されたのは、随所に幾何学模様や色硝子の装飾がなされた和洋折衷の居間だった。
「ごめんなさいねえ……何もお構いできずに。さあ、そこにお座りになって?」
二人は本郷に促されるまま、英国風のローチェアに腰をおろした。本郷は座卓を挟んで反対側に座る。
「それで、ご用件とは……もしかして姉と姪たちの事ですの?」
「ええ。既にご存じでしたか」
その九尾の言葉に、本郷は伏し目がちになり寂しそうに笑う。
「今朝、連絡をいただきました」
「恐らくは“かみあがり”の儀式が失敗し、何らかの被害が起こったものと思われます」
神妙な表情の九尾。その言葉に本郷は目を丸くする。
「あら。詳しい事情をご存じなのね……」
「ある程度は」と、九尾は頷いた。
そして、本郷に問う。
「ここで暮らしていた姪御さんも、儀式のために実家へ?」
「ええ。あの子には大事なお役目がありますので……」
と、九尾の質問に答えた本郷は、物憂げな溜め息を一つ。
「姉ならば、きっとやりとげると思ってましたのに、残念ですわね」
その他人事のような言い方に、黙って話を聞いていた岡田は怖気を感じる。
まるで姉たちの死よりも、儀式が失敗に終わった事を悲しんでいるかのように思えた。
それほどまでに、その楽園へと向かう事が重要なのだろうか……岡田にはいまいちピンとこなかった。
九尾の方は考えても埒が明かないと思ったようだ。ここにきた本題を切り出す。
「……それで、尋ねたい事があるのですが」
「何かしら?」
……九尾は自分たちが、さる大学教授の不審死事件の調査にあたっている事を正直に明かした。
更にその犯人が“かの一族”に連なる者である可能性が高い事を指摘する。
その話を聞いた本郷は、小馬鹿にしているかのような笑い声をあげて、九尾たちに問い返す。
「もしかすると、私や姉の家族を疑っておいででしょうか?」
「ええ」
鹿爪らしい顔で返事をする九尾。
すると、それを本郷は鼻で笑う。
「……我々の氏族は、朝廷により滅ぼされたという事になっていますが、それはあくまで表向きの事。日本の各地に散らばり、今の世まで密やかに生き延びてきたのです」
「つまり、“かの一族”に属する者たちは、貴女たちだけではないと言いたいのでしょうか?」
九尾の問いに首肯を返す本郷。
「貴女がなぜ我々の氏族の事をお疑いなのかは解りませんが、例えその推測が正しかったとしても犯人の候補は私たちだけではありません。いたるところに我々は存在します」
「では……」と九尾が言葉を発しかけたところで本郷は右手をかざす。
「我々の氏族に連なる他の者を教えろというのでしょう? それは、できません」
きっぱりと言い切る。
「やはり、同胞は裏切れないという事ですか?」
その九尾の言葉に本郷は首を横に振る。
「そもそも、知らないのです」
「知らない……?」
九尾が眉をひそめる。
「他の氏族に連なる者がどこにいるかなど知る必要がないからです。田んぼの稲が穂を実らせる以外の事を気にするでしょうか? そして、その稲が隣の稲の存在を気にするでしょうか? それと同じ事です」
「あんたは……何を……」
岡田が声をあげた。
すると、本郷は妖しく微笑み、おもむろに腰を浮かせる。
「田んぼの稲の中にも、枯れてしまうものや、病気になってしまうもの、虫に食べられてしまうもの、様々にあるでしょう。しかし、それでも他の稲が実れば田んぼとして、それで構わないではないですか」
本郷は箪笥の前へと移動し、九尾らに背を向ける。
「だから、我々も他の一族がどこにいるかなど気にしなくてもよい。私たちは失敗しました。しかし、他の一族が我々の知らぬ場所で大願を果たす事でしょう。それでよいのです」
浪々と語りながら引き出しを開ける。
中から取り出したのは、モーゼルピストルであった。
「止めないでくださいまし。どの道、あなた方が来なくとも、穂を実らせる事のなかった稲はこうするつもりでしたので」
本郷はその銃口を自らの右のこめかみに当てた。
「岡田ッ!!」
九尾が叫ぶ前に岡田は動き出していた。しかし……。
「さようなら」
間に合わず銃声が鳴る。
硝煙と血飛沫――。
本郷の頭が左に大きく弾かれた。彼女の身体が斬り倒された大樹のように床へと倒れ込む。
唖然と立ち尽くす二人。
「狂っている……」
流石の九尾天全も、その表情を青ざめさせていた。
岡田は本郷の脈を取り、九尾の方へと向かって首を振った。
それを目にした九尾は思案顔でうつむく。
「“かの一族”は、個という概念が薄いのかもしれないな……」
「お嬢、取り合えず、警察に……」
「ああ。そうだな……」
九尾はやっとの事で、その言葉を震える唇の隙間から吐き出した。