【10】このあとスタッフが美味しくいただきました。
「私が棧俵を編むから、梨沙さんは他の部分を頼むわ。こんな感じでお願い」
茅野はそう言って、ブルーシートの上に置いたタブレットの画面を指でなぞった。
そこには、見本となる通常の棧俵神楽が写し出されていた。
桜井はそれを覗き込みながら頷く。
「うん。基本はこんな感じで、角とかは、適当につけちゃうけどいいかな?」
「そこは、梨沙さんのインスピレーションの赴くままに……」
「らじゃー」
と、元気よく答え、作業に移る桜井。鉈を手に取る。
茅野も束ねた藁を棧俵編機の上にセットした。
いつの間にか彼女たちの頭上には、重たい黒雲が垂れ込めていた。
湿った風が吹き、境内の木々がざわめく。
神社を取り囲んでいた巨頭たちは、知らぬ間に姿を消していた。
それは神社裏手にある実松の家の庭先だった。
師崎康史は、植え込みの影にそっとしゃがみ込む。肩に担いでいた長細いバッグを地面に置くと、ファスナーを開く。
レインストームを取りだし、安全装置を外すとコッキングレバーを素早く動かした。
銃を構えてスコープ越しに神社の境内の様子を窺う。
すると、見た事のない顔の少女たちが、ゲートボール場の付近で何かをやっている。
彼女らの足元には何やら名状しがたき物体があった。
獣の首のような、単なる野菜の塊のような……。
あまりにも独創的で、その奇妙な造型は、ありとあらゆる文化や文明を超越した意匠であるかに思えた。少なくとも師崎には、そう感じられた。
「何をやっているんだ……」
師崎はスコープを覗き見たまま、独り言ちる。
すると、おもむろに現れた実松が背後から囁く。
「また、バチ当たりな事をしようとしているに決まってる……」
「ああ……」
師崎はスコープを覗き込んだまま答える。
実松が更に囁く。
「あいつらのせいで巨頭さんは力を取り戻した……」
スコープに描かれた十字の中心が、茅野循の顔を捉えようとする。
「一発ずつ、確実に仕留めろ……」
師崎は唾を飲み込むと、トリガーに人差し指をかけた。
その瞬間、ぽつりと彼の鼻の頭に雨粒が当たった。
「ふう」
桜井が手の甲で額に滲んだ汗をぬぐった。
棧俵神楽製作は急ピッチで進められ、小一時間程度で完成した。
茅野は持ち前の器用さと要領のよさを発揮し、初めてとは思えないスピードで棧俵を編んでいった。
一方の桜井もまた手先の器用さにおいてはひけを取らない。何より料理を趣味とする彼女にとって、材料となる野菜の取り扱いは慣れたものであった。
みるみる間に、桜井の感性の赴くままに“強そうな棧俵神楽”が出来あがってゆく。
そうやって頭部が完成してからは、ホームセンターに売っていた手芸用の赤い布をダクトテープで繋いで胴体部分を作る。
かくして、藤見女子オカルト研究会製作、対疫病神用決戦兵器がここに完成した。
「……中々のできだわ」
茅野はご満悦な様子で、ブルーシートの上に置かれた棧俵神楽の頭部を見おろす。
人参だけではなく、林檎やプチトマト、鷹の爪などで過剰にデコレーションされたそれは、棧俵神楽の枠を越えた禍々しさがあった。
もう獅子舞などとは形容する事はできない。逆にこれが疫病神だと言っても、信じる人は多いであろう。
「これは、強い」
確信に満ちた表情で胸を張る桜井。
「それじゃあ、とっとと、道具を片付けて、始めましょう」
茅野が棧俵編機を持ちあげる。
「そだね」
と、桜井が答えた瞬間だった。
「ん……?」
きょとんとした表情で頭上を見あげる桜井。
「どうしたのかしら……?」
茅野の問いに桜井は両掌を空に向けて答える。
「雨だ……」
その直後だった。
エアライフルの銃声が鳴り響いた。
……康史の鼻の頭に雨が当たる。
すると、唐突に「わんっ」という犬の鳴き声が耳を突いた。
康史は驚いて、思わずトリガーを引いてしまう。
ばすん、という銃声が轟いた。
狙いは大きく外れ、放たれた弾丸は二人の少女から二メートルほど前方の地面を穿っただけであった。
康史は鳴き声の聞こえた方を向く。
すると、実松宅の軒下に太郎を連れた勝江が立っていた。
「勝江……!!」
立ちあがり叫ぶ康史。
すると、勝江は悲しそうな顔で首を横に振る。次の瞬間、太郎と共に跡形もなく消え失せた。
「勝江……」
呆然としていると、神社の境内の方から、
「ていりゃー!」
という若干、気の抜けたかけ声が聞こえてきた。
康史がそちらを見ると、凄まじいスピードで顔面に迫りくる林檎が、視界いっぱいに広がった。
……師崎康史の意識はそこで途切れた。
天気は崩れ、酷いどしゃ降りとなった。
稲妻の閃きが、薄暗闇に沈んだ住宅街を蒼く照らしあげる。
本物の実松茂親は雨合羽をまとい、スクーターに跨って自宅を目指していた。
この日は昼前から、隣町の知人の家で将棋を指していた。しかし、妙な胸騒ぎがしたので帰路へとついた。すると、酷い豪雨に見舞われたという訳であった。
何とか帰宅を果たし、ガレージにスクーターを突っ込んで玄関に駆け込むと、庇の下に誰かが倒れており驚く。
師崎康史であった。
なぜか近くにエアライフルの入ったバッグまで落ちていた。
「お、おい……師崎のぉ……大丈夫かぁ!?」
「んん……」
慌てて身体を揺すると、康史は目を覚ました。
どういう訳か、両手を結束バンドで後ろ手に縛られているらしい。もぞもぞと身じろぎながら、上半身を起こすと一言。
「……林檎」
「何を言ってる、師崎のぉ……おめさんもついにボケたか?」
「……いんや」
憑き物が落ちたような顔で答える康史。
「と、ともかく、今、救急車を呼んでやるから……」
と、言って、実松は雨合羽の下の上着のポケットから携帯電話を取り出そうとする。
しかし、康史は首を横に振る。
「大丈夫……何ともねえから」
「本当に、おめさん大丈夫か?」
「ああ。何ともねえ。それより、あの余所者はどうした?」
「余所者……?」
眉をひそめる実松。
このあと、康史は実松と話をするうちに、どうにも話が噛み合わない事に気がつく。
そして、自分はまたしても巨頭さんに騙されていた事を悟るのだった。
受話器を置くと、テレフォンカードが排出された。
それを抜き取ると茅野循は電話ボックスをあとにして銀のミラジーノの助手席へと駆け戻る。
「お疲れ」
と、運転席から桜井梨沙が微笑む。
突然の悪天候の雨足は強く、二人ともずぶ濡れであった。
あの師崎康史の襲撃を退けたあと、どしゃ降りの中、例の棧俵神楽で犬塚地区町内を練り歩き、巨頭地蔵の祠へと向かった。
すると、祠の前で腐乱死体を見つけたので、棧俵神楽で巨頭地蔵の頭に噛みついたあと、農協の電話ボックスで警察に通報したのだった。
「最近、死体が多いねえ……」
「本当ね」
二人にとって腐乱死体など、最早この程度である。
「そういえば、あのお爺さん、だいじょうぶだったかなあ……」
桜井が不安そうに眉をひそめた。
しかし、茅野は特に気にした様子もなけ言う。
「まあ、脈拍も呼吸も正常だったし、外傷もなかった。単に脳震盪で気絶していただけだと思うわ」
「なら、いいけど。あの人も疫病神に操られていたのかな?」
「間違いないと思うわ。何にしろ正気ではないもの。いきなりエアライフルをぶっ放すなんて……」
「そだね」
「それより、早く帰りましょう。途中でどこかの銭湯にでも寄ってくれると嬉しいのだけれど」
「いいねえ……」
桜井はにんまりと笑って車を走らせた。
……因みに、棧俵神楽で使った野菜はカレーやグラタン、南瓜プリンと化して、数日がかりで二人の胃袋へと収まった。