【08】おねむ
二人の十代とおぼしき少女がきょとんとした顔をしていた。
「このおじさんはいったい……?」
「さあ……何か捕まっていたみたいだけれど」
小谷内は、そのやりとりを耳にして二人が事情をよく知らない第三者であると反射的に悟る。兎に角、必死になって冷たく湿気ったコンクリートの床で身をよじりながら叫んだ。
「たっ、助けてくれ!! けっ、警察、警察ゥ!!」
もう、なりふり構ってなどいられなかった。この恐ろしい場所から逃げ出したい。その一心で叫び散らした。
しかし、少女たちの態度は……。
「ま、ま、落ち着きなよ」
「しっ。静かに……」
落ち着き過ぎていた。
仰け反って視線をあげると、二人の少女のうしろで未だにぶらさがったままの横村の姿が目に映る。
「あれ! あれッ!」
視線と顎で必死に死体の方を指す。すると、少女たちはきょとんとした表情で顔を見合わせ、ようやく後ろを振り向いた。
「ああ、うん。解ってるけど」
「取り合えず、落ち着きなさい。あまり大声を出さないで欲しいのだけれど……」
二人はあくまでも冷静だった。
アレが本物の死体であると気がついていないのか、それとも……。
そのあまりのリアクションの薄さに、小谷内は次第に恐怖を感じ始める。
「そっ、そうか……お前らも奴の仲間なのか!? そうなんだろ!? オイ!! 畜生っ!! 殺す気か!!」
すると、二人は目配せをしあい……。
「ちょっと、ごめんよ……」
小柄な少女が小谷内を転がし、仰向けにしてから彼の上半身を無理やり起こした。
「おいっ!! 何だっ!! 何をするつもりだっ!! やめろっ!!」
後ろから細い腕が小谷内の頭部と首に絡みついた。
「くっ……うっ……ぐっ……」
そこで、小谷内の記憶は途切れる。
「ふう……やっと静かにしてくれたね」
桜井が立ちあがり、右手の甲で額をぬぐった。
小谷内は裸絞めをくらって、床に転がったまま苦悶の表情で眠りについている。
「それにしても……」
茅野が横村の死体に再び目線を送る。
「これだけ声を立てたのに、なんの反応もないって事は、この家の主は留守中かしら?」
「そうかもねえ……」
「ならば、好機ね。とっとと、全部の部屋を回ってお香を焚きましょう」
そこで茅野は右手首に巻いたミリタリーウォッチに目線を落とす。
「明日は平日だし、あまり遅くなるのもよくないわ」
「じゃあ、このおじさん、いったんしまっておくね」
そう言って、桜井は意識を失ったままの小谷内を箱の中に戻して扉を閉めた。
茅野が再び施錠する。
「取り合えず、この部屋をもう少し調べてみましょう……なかなか、興味深いわ」
「らじゃー」
二人は部屋を物色し始めた。
「梨沙さん、これを見て頂戴……」
それは、シンクの隣だった。
そこには、どす黒く血に染まった布包みが二つ置いてある。 煉瓦の重石が乗せてあり、槍の穂先のような形をしていた。長さは一つ、十五センチぐらいある。
「何だろ……」
そう言った桜井の手には、乾燥した植物が握られていた。
「それは?」
「あっちの棚にあったよ。束になって箱に入ってた」
桜井が壁際の棚を差した。
茅野はその植物を桜井から受け取り間近で観察する。
「……熊葛を乾燥させたものね」
「珍しい草?」
桜井のその問いに、茅野は首を横に振る。
「そこら辺にはえているわ」
「雑草か……」
がっかりした様子の桜井。
しかし、茅野の方は不敵な笑みを浮かべて、あの言葉を吐いた。
「でも、これで、だいたい解ったわね」
「おっ!」
桜井は知っていた。
茅野循がこの言葉を口にしたとき。それは、本当に彼女がだいたいの事を解ったときであるという事を。
「取り合えず、この布包みの中を見てみましょう」
そう言って、茅野は乾燥した熊葛を桜井に返して煉瓦の重石を除けた。
躊躇なく片方の布包みを広げてゆく。
その中から現れたのは、切断された人間の右手首であった。
「ああっ。これ、たぶん、この人の手首じゃん」
桜井が驚いた様子で首吊り死体の方へと目線を向けた。
「ねえ、循……いったい何のためにこんな事を……」
その質問に茅野はもう一つの包みを開きながら答える。
「血抜きをしているところね」
「何で、そんな事を……食べるの?」
「食べはしないけど」
と、茅野は苦笑する。
「これは、“栄光の手”を作っているのよ。さっきの熊葛も、その行程で使うのよ」
「えいこうの……て?」
桜井が首を傾げる。
「栄光の手は、絞首刑台に吊るされたままの罪人の手首を切り取って、特殊な手順で死蝋化させた魔法の燭台の事ね」
「絞首刑……」
桜井は首吊り死体の方に目線を向ける。
「用途は色々だけれど、霊との交信に使ったり、人間を眠らせる効果があったり……」
「つまり、マジックアイテムみたいな……」
その桜井の言葉に茅野は頷く。
「そうよ。英名の“hand of glory”は、フランス語の“main de gloire”の誤訳から取られたらしいのだけれど」
「まんでぐろーれ?」
「マンドレイクの事よ」
「ああ。あのRPGとかによく出てくるヤバい草でしょ?」
「一応、現実にも存在しているけどね」
「そなんだ」
「現実のマンドレイクは、ナス科の植物で、ヒヨスチアミンを始めとした多数の麻薬成分を含むわ。古くは麻酔薬や、幻覚剤としても使われていた。また、伝承の中では絞首刑台の周囲に生える植物だとされているの。男性の罪人が縊死する瞬間に射精した精液からはえるらしいわ」
「ふうん」
桜井が気の抜けた返事をし、茅野は解説を締めくくる。
「……共に絞首刑にされた罪人が元となっている事や、麻薬効果によって引き起こされる幻覚と麻痺、そして、栄光の手の魔法効果……そういった類似点から、両者の混同が起こったのね」
「つまり、ここは、そのマジックアイテムを作るための工房って訳?」
茅野は首肯する。
「何にせよ、ここの主は思った以上にかなり頭のヤバい奴よ」
その瞬間だった。
「あれ……?」
桜井が突然、眠たそうに目を擦り始める。がくり……と、膝をついた。