【05】断罪
噎せ返りそうな暗闇の中、小谷内誠は目を覚ます。
そこは、腰をおろす事もできないほど狭い空間だった。高さも奥行きも横幅も余裕がない。
まるで学校の掃除用具入れの中のような、その空間で立ったまま目覚めた小谷内は、大声で叫び散らす。
「おいッ! 何だ、これは……!」
両手を動かそうとして、後ろ手に縛られていた事に気がつく。
よろけて肩が左右の壁にぶつかり、ごわん……という銅鑼を叩いたような耳障りな音が反響した。小谷内は顔をしかめる。
「糞、畜生、何だっていうんだよ」
全身が汗で滑っていた。蒸し暑く息苦しい。不快感が胸を圧迫する。
「おいッ! こっから出せよッ!! 出せええええ……」
しばらくの間、叫び散らしながら暴れようとするが何も状況は変わらない。
やがて、少しだけ冷静になると……。
「畜生……」
小谷内は荒い息を暗闇に吐き出しながら呼吸を落ち着けようとした。すると、そのとき、彼の聴覚は自分以外の誰かの息使いを微かに感じ取る。
「……誰だ?」
返事はない。
「おい! おい! 誰かいるのかッ!」
やはり返事はない。更に大きな声で叫ぶ。
「おいッ!! おいッ!! 誰かッ!!」
その数秒後だった。
「……マコさん?」
それは、横村祐希の声だった。
恐怖に震えた彼の声が外から聞こえてくるではないか。
「おいッ!! 横村!! こりゃ何だよ!!」
「マコさん! マコさんっ!」
「俺はここにいるッ!! どうした!!」
「助けてッ!! ……ああ、ちょっ、やめろ!!」
がらん……と、何かが床に転がるような音がした。
「うっう……うぅ……」
ぐもった呻き声。不安にかられ、小谷内は大声で呼びかける。
「どうした!? おい! 横村ッ!! 返事をしろッ!!」
その直後、突然、しゃっ……と音がして、光が射し込む。
「うっ……」
眩しさに顔をしかめて咄嗟に目を閉じる。
数秒後、恐る恐る目蓋を押し上げる。
すると、ほんの鼻先に誰かの目元だけが浮かんでいた。
「ひっ……」
どうやら、正面に文庫本の背表紙程度の小窓があって、そこから誰かが覗いているらしい。
因みにさっき聞こえたのは、その窓の蓋が開いたときの音であった。
「何だよ、誰だ、お前?」
答えはない。
粘りのある視線が小谷内に絡みつく。
男なのか、女なのか、若いのか、年老いているのか……まったく解らない。
「てめぇ……いったい何が目的なんだよ……」
泥棒を拘束した場合、言うまでもなく警察に通報するのが普通である。
こんな狭い空間に閉じ込めたままで、何をしようというのか。小谷内にはさっぱり解らなかった。
間断なく感じていた恐怖と不安が、強い怒りへと裏返る。
「おいッ!! ふざけんなッ!! 出せよ!! 出せッ!!」
怒鳴りつけると、じっと覗いていた何者かが姿を消した。
すると、窓の向こうの少し離れた場所の床に木製の椅子が転がっているのが見えた。その真上に人間の両足が浮かんでいる。
両足は、まるで陸地に打ちあげられた魚のようにバタバタと苦しそうにもがいていた。
どうやら両手を背中で拘束された何者かが、天井から吊るされているらしい。
そして、身につけていた着衣と靴から、それが横村のものである事に小谷内は気がつく。
「おい! 横村! 横村ッ!! おいぃッ!!」
この尋常じゃない苦しみ方は、恐らく首を縊られている。
その小谷内の推測を裏付けるように、横内の足の動きは次第に緩慢になり、びくん……びくん……と痙攣しながら、その動きを静かに止めた。
「横村……ああぁ……」
完全に脱力した横村の足。
小谷内は嗚咽を漏らしながら、この狭い空間の中で意識を取り戻す前の記憶を思いだそうとする――
『ACEランド』を出たあと二人は車で来津駅へと向かい、駅裏にある旗竿地の入り口前に辿り着く。
「この奥です」
ハンドルを握る横村が旗竿地の入り口に向かって顎をしゃくる。
「mandrakeによると、この近くに団地があって、そこの駐車場なら黙って車停めても問題ないらしいです。まずはそこにいきましょう」
そう言って横村は車を走らせた。
それから数分後、二人は車を停めて再び旗竿地の入り口へと戻ってくる。
何食わぬ顔で堂々と旗竿地の中へ侵入した。
そして、玄関の左側にあるインターフォンにうっすらと刻まれた引っ掻き傷のようなマーキングを確認する。
奇妙な図形だった。
専門的な魔術の知識を持つ者なら、それが人払いの呪いであると解っただろうが、二人にとっては単なる標的の目印という意味合いしかなかった。
ともあれ、二人は隣家の敷地との狭い隙間を通って、裏口へと向かった。
その扉の前に着くと、小谷内は鞄から解錠道具を取り出して、あっさりと扉を開ける。
二人は家の中へと侵入してペンライトをつける。
屋内には人の気配はない。無機質な沈黙が薄暗闇と共に漂っていた。
小谷内と横村は慎重かつ素早い足取りで左手の扉を開けて、台所を横切り、反対側の壁の扉を開ける。
そこは古めかしい洋間だった。
地味な花柄のカーテンと木製の一本脚のナイトスタンド。立派な仕事机に、硝子戸のついた書架と箪笥……。
どうやら書斎のようだった。
二人は目配せをしあい、手分けをして物色する。
すると、小谷内は箪笥の引き出しの中から、現金五十万円の入った封筒を見つけた。
それを目にした瞬間、小谷内はそこはかとない怖気を感じる。
これは、いつもの事なのだが、mandrakeが指定する家は拍子抜けするほど仕事が簡単だった。
まるで、盗んでくれと言わんばかりに……。
「……どうしたんすか、マコさん。とっとと、ズラかりましょうよ。もうすぐ時間ですよ?」
気がつくと、隣で横村が腕時計を見ながら訝しげな顔をしていた。
「ああ……すまない。ちょっと、考え事をしていた」
犯行時間は十分間……これが二人の決めたルールだった。
短いようにも思えるが小谷内ほどのベテランになると、侵入から逃走までの時間はこの程度で充分であった。
彼は普通の民家ならば、だいたい数分で侵入する事ができるし、家のどこに金目のものがあるのかも何となく解ったりする。
「疲れてますか? マコさん」
「いや。出よう」
他の部屋を回ったりはしない。ある程度の成果があがった時点ですぐに現場から離れる。欲をかいて長居はしない。
空き巣を成功させるうえで重要なポイントは、時間をかけない事である。
二人はそのセオリーにしたがって、足早に書斎をあとにしようとした。
小谷内が書斎の扉を開ける。
すると、二人は思わず息を飲んで目を大きく見開く。
なぜなら、その開かれた扉口の向こうに人影が立っていたからだ。
白いフードつきのマントをすっぽりと被っており、男なのか女なのかよく解らない。
「糞っ!」
小谷内が、その人物に掴みかかろうとした。
すると、まるで亡霊のような囁き声が耳をつく。
「罪人は縛り首だ」
マントの裾がはためき、二本の腕が伸びる。
そこで、小谷内の意識は途切れてしまった。