【10】脳トレ
二〇二〇年五月十九日、都内某所の占いショップ『Hexenladen』にて。
あの二人から古びたクッキー缶の画像が送られてきて、一時間以上経ったあとだった。
九尾は怪しげなスピリチュアルグッズの並ぶ店内奥のカウンターで、退屈そうに頬杖を突いていた。
「あのクッキー缶、何だったのかしら?」
霊的に特におかしなモノは感じなかった。
しかし、あの蓋に書かれた“かんおけ”の文字……。
また、あの二人がおかしな事を始めたのだろうか。
と、不安になり始めたところで、スマホが電子音を奏で始めた。手に取り画面を覗き込むと、桜井からのメッセージだった。
「何これ……」
本文はなく、古ぼけた日本人形の顔がアップで写っている。
不気味ではあるが、特に霊的におかしいところは感じない。
再び電子音が鳴る。
次は茅野からだった。
同じく本文はなく、古ぼけた掛け軸が写っている。
霊的におかしいところは感じない。
「んんん……?」
すかさず電子音が鳴る。
また桜井からだ。
綿のはみ出したちゃんちゃんこの画像。
霊的におかしいところは感じない。
「はい?」
そして、続け様に茅野から。
紐で閉じてある古文書だった。
タイトルは草書体で、読み取れない。
そして、桜井から。
古めかしいオルゴール。バレリーナの人形が片足をあげている。
いずれも霊的におかしいところは感じない。
そのあとも、五月人形、模造刀、壺、皿、等々……次々と訳の解らない画像が送られてくる。
いずれも霊的におかしなところはない。
「まったくもう。何なのよこれ……」
九尾は二人にメッセージを打った。
「あ、九尾センセからだ。『何これ? また変な場所に行ったりしてないでしょうね?』だって」
「取り合えず、脳トレクイズって事にしておきましょう」
「いいね」と言って、桜井は『違うよ。脳トレクイズだよ』と返信を送った。すると、少し間を置いて既読がつき、九尾から返事がくる
『全然、答えが解らないんだけど』
どうやら、真面目に考えているらしい。
二人は顔を見合わせて吹き出す。桜井はすぐさま返信を打った。
「頑張って……っと」
そして、茅野循が黒猫坂屋敷の土蔵の一階を見渡して言う。
「もう、だいたい見たけど怪しい物はないわね」
「センセの反応からしても、全部シロっぽいし。そもそも、この蔵に幽霊はまだいるのかな?」
「土蔵の写真を送ってみましょう」
「らじゃー」
桜井は土蔵の玄関前を映した写真を九尾に送りつける。すぐに既読がついて返信があった。
『今度は土蔵? 共通点を探すとか、そういうクイズ?』
「そうだよ……っと」
すぐさま桜井は返信をする。
「冗談はさておき」と、茅野が思案顔で言う。
「九尾先生が無反応という事は、もうこの蔵には幽霊はいないという事なのかしら?」
「もしかして、成仏しちゃったとか……たまたま、近所を通りかかった浮遊霊だったとか」
「そもそも野添さんの見間違いという可能性もあるのだけれど……」
「うーん。ならば、今回は、ハズレかあ……」
桜井がしょんぼりと眉尻をさげた。
茅野も残念そうに嘆息し……。
「少し疲れたし、休憩しましょう」
「そだね。お腹も空いたし」
二人は適当な箱の上に座る。そして、桜井の作ってきたサンドウイッチを摘まむ。
「久々のスポット飯は美味いねえ……」
「そうね」
と、陰気な土蔵で和む二人だった。
因みに具材は、玉子、ポテトサラダ、ナポリタン、照り焼きチキンの四種類である。
そうして腹も満たされて一息吐くと、桜井は母屋で撮影した写真を、茅野はデジタル一眼カメラで撮影した動画をチェックし始める。
「駄目ね。オーブ一つ撮れてないわ」
と、不機嫌そうに言う茅野。桜井も元気のない様子で声をあげる。
「こっちも、心霊写真はなし」
「もうそろそろ私たち、写真の一枚くらい撮れても、おかしくはないくらい怪異に遭遇していると思うのだけれど……」
「上手くいかないねえ……」
「幽霊というのは、通常の視覚では感知できない……つまり、光を反射しないのかもしれないわね」
茅野が何気なく呟いた言葉に、桜井は首を傾げる。
「どゆこと……?」
「物が見える理屈というのは、光源からの光を物体が反射して、その光を視覚が感知しているからなのだけれど……」
「ふうん……そなんだ」
気のない返事で水筒のカップについだハーブティーをくびりと飲む桜井。
茅野の話は更に続く。
「それで、写真というのは、その反射された光を画像として記録した物なの。つまり、幽霊が光を反射しないならば、心霊写真とはカメラが感知した光以外の何かを、光として感知し画像として記録したものという事に……」
と、言いかけて、茅野は大きく目を見開き突然黙り込む。
「どったの? 循」
すると茅野はその質問に答えず、左側の壁の窓から射し込む光を見つめる。そして、立ちあがった。
桜井は、その相棒を期待の籠った目で見あげて問う。
「もしかして、循……」
茅野は確信に満ちた表情で頷き、その言葉を口にする。
「ええ。だいたい、解ったわ。梨沙さん」
「おおっ……」
茅野循の口からこの言葉が出たとき。
それは、本当に彼女がだいたいの事を解ったときであると、桜井梨沙は知っていた。
「いくわよ、梨沙さん」
茅野が土蔵の入り口へと向かう。
「へっ!? ちょっ、待って……」
桜井は困惑しつつも、彼女のあとを追った。
桜井と茅野は土蔵の左側にある生簀の縁に立つ。
茅野が、その澱んだ水面をスマホで撮影すると、九尾に画像を送った。
すると、すぐに既読がつき彼女から電話がかかってくる。
茅野は電話ボタンを押し、スピーカーフォンにしたスマホを掌に置いた。
すると九尾の声が響き渡る。
『ちょっと! やっぱり脳トレクイズなんて嘘でしょ! またおかしな場所に行って……』
茅野は桜井と顔を見合わせて、ニヤリと笑い合う。
「ビンゴね」
そう言って、電話越しの九尾に話しかける。
「“私たちは心霊スポットにいる” それが脳トレクイズの答えよ」
『ちょっ……そんな問題ズルい!』
受話口の向こうでぷりぷりと怒る九尾を無視して、桜井が首を傾げる。
「でも、どゆことなの……?」
茅野はその質問を受けて悪魔のように微笑む。
「この生簀の底に死体が沈んでいるって事よ」
そして、再び視線を澱んだ水面へと向けた。