【08】妻の名前
桜井と茅野は、自分たちが藤見女子高校のオカルト研究会に所属している事をあっさりと明かす。
当然ながら鈴木は訝しんだ。
高校のオカルト研究会……そんな漫画みたいな存在が本当にあるとは思えなかったからだ。
しかし、落ち着いた茅野の喋りと口八丁であっさりと言いくるめられる。
最終的には、学術的にオカルトを扱う真面目な部活なのだな……と印象を改めた。更に、この子たちならば妻の死の謎について、何かを知っているかもしれないとも考えた。
ともあれ、場所を変えて話そうという事になり、鈴木、桜井と茅野の三人は近くのスーパーのフードコートへと移る事にした。
この近辺の土地では、まだコロナウィルスの感染者が一人も出ていない事もあってか、フードコート内は行き場をなくした高校生らしき集団と、近所の老人たちで賑わいを見せていた。
対岸の火事とは言わないまでも、さして深刻な状況にない田舎の風景などこんなものである。
ただし、影響がまったく無いわけではなく、席はいくつか間引かれ、テーブルの上には“三十分以上の利用は原則ご遠慮ください”の注意喚起のポップが置かれている。
利用者のほとんどがマスクをしており、どこかその表情も落ち着かない様子だった。
その一角で、桜井、茅野はテーブルを挟んで鈴木と顔を合わせる。
「……それで、けっきょく君たちはいったい、なぜ、あの家に……」
各々が給茶器から紙コップでお茶を汲んだあと、鈴木は話を切り出した。
「私たちは、あの家に出現する幽霊について調査しているの」
茅野の返答に眉をひそめる鈴木。
「幽霊だって……?」
「ええ」
茅野は頷くと、鈴木に事の経緯を差し支えない範囲で明かした。
すると、鈴木は驚いた様子で「やっぱり」と呟く。
「あの家には、何かあるんだね? 呪いとか……怨念とか、そういったものが……」
「恐らくは」と茅野が答える。
「おじさんも、何か心当たりがあるの? だから、たったの四ヶ月で引っ越したの?」
桜井に促され、鈴木は自分と妻があの家から退居するまでの顛末を二人に語った。
すべて聞き終えると、茅野は鈴木に質問を開始する。
「……それでは、あの家から引っ越したあとも奥さんの調子はいっこうによくならなかったという訳ですね?」
「そうだね」
「では、それ以外に何かおかしな事はありませんでしたか?」
「おかしな事……?」
「例えば、鈴木さん自身が何かおかしなモノを目撃したとか……」
鈴木は思案顔で当時の記憶を反芻し、首を横に振る。
「なかった。でも……」
「でも?」
「妻が……その、死ぬ間際、おかしな事を……あの頃は、妻の状態もかなり悪くて、そのせいでおかしな事を言っているのだと思っていたけど……」
「差し支え、なければ教えてください」
鈴木は思い出したくないのだろう。たっぷりと逡巡して口を開いた。
「妻が……青白い腕が手招きをしているって」
真夜中、酷い汗をかいてうなされていたので、鈴木が起こしてみたところ、彼の妻がそう言ったのだという。
その翌日の昼間、交通事故で彼女は帰らぬ人となった。
「俺が仕事に出てるときだったよ。近所まで、歩いて買い物に行く途中だったらしい。歩道にダンプが突っ込んできて……ダンプの運転手も、よく解らないけど、突然ハンドルを取られたとかそんな事を……けっこう大きなニュースにもなったんだ」
「何時頃の話?」
という桜井の問いに、うっそりと顔をしかめて鈴木は答える。
「二年前だ。二〇一八年の年末だよ。けっこう大勢の人が巻き込まれた事故だったけど、死んだのは妻だけだった」
その事件の概要を聞くうちに、茅野の双眸が大きく見開かれてゆく。
そして、彼女は突然、鈴木要の顔をじっと見つめ直した。
桜井と鈴木は首を傾げる。
鈴木が己の頬っぺたをぬぐいながら問う。
「俺の顔に何かついてる……?」
茅野はゆっくりと首を振った。そして……。
「梨沙さん」
「どしたの?」
「あの家の裏庭を、どこで見たのか思い出したわ」
「じゃあ、循……」
茅野は確信に満ちた表情で頷き、その言葉を言い放つ。
「何が起こったのか、だいたい解った」
桜井梨沙は知っていた。
茅野循がこの言葉を口にしたときは、本当に彼女がだいたいの事を解ったのだという事を……。
それを知らない鈴木は、怪訝な表情のまま二人の顔を交互に見渡す。
「だいたい、解った? 何を……」
すると、茅野は鈴木に向かって確認する。
「もしかして、鈴木さんの奥さんの名前って……」
「……ああ」
彼女の口から紡がれたその名前は、まさに鈴木要の妻であり、最愛であった人物の名前であった。
悲しさのあまり、彼がずっと口にしようとしてもできなかった名前……。
「……俺、君に教えたっけ? あ、事件のニュースを思い出して……」
「それもあるけど、違うわ。私は貴方の奥さんの名前を別な場所で知っていたの」
「別な場所……?」
訳が解らないといった様子で眉間にしわを寄せる鈴木に向かって、茅野は申し出る。
「ここで、それを説明してもいいけれど、できれば、あと数日、待ってくださらないかしら? たぶん、そんなに長くはかからないわ」
「あ、ああ……いや、うん。よく解らないけど」と、曖昧に頷く鈴木。
そして茅野は、自信に溢れた表情で宣言する。
「あと数日、お待ちいただければ、貴女の奥さんを死に至らしめたモノが何なのか、貴方の納得のゆく形で説明してさしあげます」
……こうして鈴木は茅野と連絡先を交換し、この日は帰路に着いた。
藤見市にあるアパートの自室の前に着くと換気口から味噌汁の匂いがした。
玄関のドアは開いており、三和土には女物の靴が一足……。
鈴木は胸の中で、ほんのわずかな奇跡を祈ると共に「ただいま」も言わず、靴を脱ぐとキッチンへと向かった。
すると、そこにはエプロン姿の赤坂友利が夕食の準備をしていた。
彼女の後ろ姿を見た途端、鈴木は大きく落胆して溜め息を吐く。
すると、赤坂が背筋を震わせて振り向いた。
「びっくりしたあ……いるなら、一声かけてよ」
「ああ……」
暗い顔で生返事をした。
すると赤坂は負けじと明るい笑顔を見せる。
彼女の住居は車で二十分ほどの近場にある。
コロナ禍を理由になるべく顔を会わせないようにしようと提案しているのだが、何かと口実をもうけては、こうして鈴木の様子を見に押しかけてくる。
「昨日、電話で話したとき、鼻声だったでしょう? 体調悪いのかなって、心配できちゃった」
「こんな、ご時世なのに、わざわざ……」
もごもごと言いかけた言葉を引っ込める。彼女の好意は嬉しい。しかし、素直に喜べない。どうしても妻の顔が頭を過ってしまう。赤坂にも申し訳なくなってしまう。それが辛かった。
そんな彼の心情など察した様子もなく、友利はお玉でダイニングのテーブルを指した。
「もうすぐできるから、早く座って! 今日は肉じゃがだよ」
妻が初めて作ってくれた思い出深い料理だった。
鈴木は盛大に顔をしかめ、どっと疲れた様子でテーブルに着いた。