【06】現地調査
戸田一家がログアウトしたあとだった。
『循は、牛頭町には行った事があるの?』
その桜井の質問に茅野は首を横に振る。
「ないわ。少なくとも記憶にはない」
しかし、あの戸田家の隣の家の裏庭を見たときに感じた既視感……。
茅野の脳裏に、ずっと何かが引っ掛かり続けていた。
「取り合えず、一度、現地を見てみたいわね」
『おっ。久々にスポる?』
まるで放課後にタピオカミルクティーでも飲みに行くのを誘うような言い草である。
「そうね。取り合えず、明日のオンライン授業が終わったら牛頭町まで行ってみましょう」
『らじゃー』
と、桜井がいつも通りの返事を返した。
こうして、久々に桜井と茅野は心霊スポット探訪をする事となった。
曇天ではあったが気温は高く、この時期らしからぬ蒸し暑さだった。
桜井と茅野は、その日のオンライン授業が終わると自転車で牛頭町を目指した。
十六時頃に駅前で合流してからペダルをこぐ事、四十分程度。
パチンコ屋や量販店、自動車屋や小さな工場が並んだ国道から外れ、海沿いまで広がる田園を割って延びる道を進む。
すると、ぽつぽつと沿道に古びた民家が建ち並び始め、電信柱の住所表示板が、目的の牛頭町に着いた事を知らせてくれた。
その町中を、しばらく走る二人。
「……あっさり、幽霊が出てきて、パンチ一発で終わってくれればいいんだけどねえ」
と、桜井が言うと、茅野が「まって、梨沙さん」と言いながら、前篭に入れていたリュックの中に手を突っ込み、一本のスプレーを取り出した。
「何それ?」
「欲しかった除菌スプレーよ。ずっと品薄だったのだけれど、この前、やっと手に入れたの」
「ふうん、それは、おめでとう。で?」
「貴女がパンチする前に、これを幽霊に、ぶっかけてみたいわ。消臭剤にも対霊効果があるのだから、これもいい感じで何らかの成分が効いてくれるんじゃないかしら?」
「それは、興味深い実験になりそうだね」
……などと、九尾天全が耳にしたら頭を抱えそうな会話を繰り広げながら、二人は住宅街の外れにあるスーパーの前を通り過ぎる。
やがて、桜井と茅野は公園の生垣の向かいに佇む、その家へと辿り着いた。
門の横に自転車を停め、玄関先を覗き込む二人。
青い瓦屋根と白い外壁の何の変哲もない一軒家である。
庭先には大葉子や胡瓜草などの定番の雑草が生え揃い、ポーチの奥に見える玄関戸の磨り硝子越しには、生活感のない薄ら寒い闇が漂っていた。
「どうする? 戸田センセに挨拶していく?」
隣の戸田邸を見ながらの桜井の問いに、茅野は首を横に振る。
「こんなご時世だし、挨拶ぐらいで、わざわざお邪魔する事はないわ」
「それも、そだね」
「それじゃあ、いきましょう」
「らじゃー」
桜井と茅野は堂々と門の内側へと足を踏み入れた。
「まず、裏庭を見てみたいわ」
「うん。何か思い出すかも」
二人は庭先を回り込み、裏庭へと向かった。
こちらも表と同じく足元は雑草に被われている。
敷地の裏手は小さな野菜畑になっており、陽当たりはそれほど悪くない。
そして、裏庭の真ん中らへんには青々とした葉を茂らせた柿の樹があり、既に蕾が芽吹いていた。
その枝を食欲のこもった目つきで見あげながら、桜井は茅野に問う。
「……で、循。実際に来てみた感想は?」
茅野は顎に指を当て思案顔で答える。
「そうね。ますます、既視感が強くなったわ。私は絶対にこの裏庭をどこかで見た事がある……」
「ついに、霊能力開花かな?」
「だといいけれど……そうなると九尾先生の出番がなくなるから、彼女はきっと寂しがるわ」
「そだね」
……と、九尾が耳にしたら微妙な反応を示しそうな会話をして、二人は次に家の裏手の方を向いた。
いくつかの窓や配管が並んでおり、向かって右側に裏口の扉があった。
「いかにも防御力の低い鍵を使っていそうな扉ね」
「あたしにも解るよ。この扉は見た感じチョロい。即オチ間違いなし」
二人は扉に近づく。そして茅野がピッキングツールを手に取り、ドアノブの前でしゃがみ込む。
「あら?」
そこで茅野が手を止めて声をあげる。何かに気がついたらしい。
「どったの?」
桜井が肩越しに尋ねる。すると茅野はピッキングツールの先端で鍵穴の周りの溝を、つつつ……と、なぞる。
「見て。梨沙さん」
立ちあがり、桜井の方に向き直る茅野。彼女にピッキングツールの先っぽを見せる。
そこには、真っ白い何らかの粕が付着していた。
「何これ……?」
桜井が怪訝そうに眉をひそめる。すると、茅野はその粕を指で摘まみ、ぐりぐりと練り出す。
「溶けたわ。融点が低い。たぶん、これはカリウムね」
「かり……うむ……?」
「園芸や農業で肥料として使うものよ。ホームセンターで売っているわ」
「ふうん」
と、桜井がいつもの気のない返事をすると、茅野はにやりと口元を歪める。
「何となく見えてきたわね」
「おっ。だいたい解った感じ?」
「まだね。謎解きのピースがもう少し欲しいわ」
そう言って、茅野は再び扉の解錠に取りかかる。
鍵はものの三分程度であっさりと開いた。
二人は空き家の中に足を踏み入れた。