【05】初めての聞き込み
二〇二〇年四月二十五日――。
「でも、茅野っちは、公園の幽霊が単なる噂だって、解っていたんだよね?」
『そうなんだよねえ。その上で勝負を仕掛けてくるんだから、実に循らしいというか、何というか……』
桜井は肩をすくめて照り焼きチキンサンドにかぶりついた。
茅野が夜食の激辛カップ焼きそばにお湯をそそぎながら言う。
『それも兵法のうちよ』
『それで、勝負はけっきょく、循先輩の勝ちだったんすか?』
速見の質問に茅野は首を横に振った。
『いいえ。私の負けよ』
「えっ……」
西木はその答えを聞いて戸惑う。
茅野は記念公園の幽霊はいないと言った。
当時の茅野が、そう考えるに至った根拠はまだ聞いていない。しかし、彼女がそうした判断を間違うとは思えなかった。
そもそも、記念公園の幽霊が現実に存在したとしても、桜井梨沙はどうやってそれを打倒し、その証拠を茅野の元へと持ち帰ったのであろうか。
『……じゃあ、梨沙先輩は、本当に本物の幽霊をぶちのめしたんですか?』
この速見の質問に桜井は首を横に振った。
『いや、まあ、ぶちのめそうとしたんだけど……』
そこまで言葉が出かかったところで、茅野が待ったをかけた。
『梨沙さん、ストップ。そこは大オチの部分よ。今話してしまうのは勿体ないわ』
『あ、そだね。ごめん、ごめん』
「大オチって……」
西木は苦笑する。しかし、その“大オチ”がまったく想像できない。
それは、速見も同様らしく、急かすように話の続きを促す。
『それで、そのファーストコンタクトのあとは、どうなったんですか?』
すると、桜井が視線をあげて当時の記憶を脳内から甦らせようとする。
『確か……まずは、幽霊に会う方法を探さなきゃ話にならないなって思って、聴き込みをする事にしたんだ』
二〇一三年。
茅野と別れたあと、桜井は家に戻るとシャワーを浴びて汗を流し、朝食をもりもりと食べてから学校へ向かった。
奇しくもこの日の給食はカレーであり、桜井の胃袋のコンディションとしっかりマッチしていた。
そのために五杯もおかわりを平らげ、クラス中の度肝を抜く。
そして昼休み、まずは何をすべきか桜井なりに考えた結果、一つの結論に辿り着く。
それは目撃者の話を聞くという、極々まっとうなものであった。
彼女の通う藤見中央小学校でも、記念公園の幽霊の噂は蔓延していたので、片っ端から話を聞いてまわった。
しかし、その全員が口にするのは“友だちの友だちから聞いた話”ばかりで、実際に幽霊を見たという者はいなかった。
それでも、最初に幽霊を目撃したとされる、杉沢町の野球チームの監督の事を教えてもらう。
桜井は放課後、さっそく話を聞きにいく事にした。
杉沢町は駅裏の周辺の地域で、茅野宅もここに含まれる。
桜井は自転車に股がり、教えてもらった住所を目指す。
「蛯沢……蛯沢……。あった。ここだ!」
大きな家だった。桜井は門の脇に自転車を停めて、玄関まで続く飛石を渡る。
途中、臨めた庭先には金木犀や秋桜、秋明菊などの花々が咲いていた。
桜井はというと、特に遠慮や躊躇する事なく、硝子張りの玄関ポーチに入り、インターフォンを押した。
しばらくすると、バタバタと足音がして玄関の引き戸がガラリと開く。その向こうから、白い髪を頭の後ろで束ねた女性が顔を覗かせた。
「あら? どちらのお子さんかしら?」
怪訝そうに問う女性に対して、桜井は特に臆する様子もなく来訪の目的を告げる。
「こんにちは。蛯沢佑都さんはいらっしゃいますか? 記念公園の幽霊の話が聞きたくてきました」
ド直球である。
白髪の女性――蛯沢朋美は「あら、あら……」と、困り顔で頬に手を当てた。
すると、そんな彼女の後ろから、犬の激しい吠え声と共に男の声がする。
「こら! ジャック……急にどうした?」
矍鑠とした白髪の男性が、白熊のような大型犬と共に姿を現す。彼が幽霊の第一目撃者である蛯沢佑都であった。
犬のジャックはしきりに玄関の桜井に向かって吠えている。
朋美は後ろを振り返りながら首を傾げた。
「この子、普段は大人しいんだけど、たまに吠え出すのよねえ……」
「それで、朋美……」
吠え声を割って佑都が質問を発した。
「その女の子は、いったいどこの子だ?」
「何か、あなたの幽霊の話、聞きにきたらしいわよ?」
「あー……」と佑都の方も困り顔で、頭をかく。
そこで、桜井は深々とお辞儀をする。
「どうか、お願いします。お話を伺いたいんです」
すると佑都は、唇を尖らせて朋美に抗議する。
「ほら。お前が人様にベラベラと喋るから……」
「だって、あのときのあなた、面白かったんですもの」
……などと、悪びれた様子はない。
そこで桜井は二人の顔を見渡して、しょんぼりしながら眉間にしわを寄せる。
「ダメなの……?」
すると蛯沢夫妻は、何ともばつの悪そうな顔で視線を合わせる。
そして、佑都が面倒臭そうに溜め息を吐いた。
「……話すも何も、噂の通りだよ」
桜井が顔をあげて聞き返す。
「えっ、じゃあ、突然、犬が銀杏の方に向かって吠え出して、そっちを見たら、血塗れの白い和服を着た女の子がいて、にやって笑って、口から血をドバーっと……」
佑都は首を横に振る。そして、呆れ顔で肩をすくめた。
「だいぶ噂に尾ひれがついているな……。いや、和服なんか着ていなかった。白いワンピースだったよ。それから血を口から吐き出したりなんかもしていない。胸元は血塗れだったけど」
「へ……?」
桜井は、きょとんとした顔で目を見開く。
「兎に角、そういう訳だから、もう話せる事はないよ」
と、佑都は話を終わらせようとする。
「え、じゃあ、その幽霊を見たのって、何時ぐらい?」
「うーん。夜の八時頃だったと思うよ。正確な時間は解らないけど」
佑都が視線をあげながら答えた。
……このあと桜井は、丁寧に礼を述べて蛯沢邸をあとにした。
犬のジャックは桜井が帰るまで、ずっと吠え続けていた。