【09】後日譚
自衛隊駐屯地に隣接する城址公園には、今年もたくさんの観客が集まっていた。
そして、もうすぐ日が沈みそうなそのとき、夏祭りの開始を告げる花火大会が始まった。
アナウンスのあとに、腹の底から響き渡る発砲音。
自衛隊駐屯地から打ちあげられた赤色の花火が喚声と共に夜空を舞う。
それを公園の芝生の上で見あげるのは桜井梨沙と茅野循である。
「そういえばだけど“たまや”って何なの?」
「有名な花火師の屋号の事よ」
「ふうん」
……などと、他愛ない会話を交わしながら観覧スペースのレジャーシートの上で体育座りをする二人は浴衣姿である。
因みに茅野の実弟である薫は中学の友人宅に集まってこの花火を観覧している。
茅野は一応、純粋な親切心で誘ってやったのだが断られた。
薫にしてみれば桜井と一緒にいたいのは山々ではある。しかし姉にからかわれて彼女の前で醜態を晒したくないという、複雑な思春期の男子心がそうはさせてはくれなかった。
「それにしても、今回は参ったわね。まさか本当に呪われるだなんて」
疲れた様子で溜め息を吐く茅野だった。
そして、桜井が今回の件についてどう感じているのか少し気になった。
実際かなり危険な目にあった。
流石の桜井もうんざりしたのではないか。普通の感覚ならば懲りても文句は言えないレベルの出来事である。
しかし、その疑問の答えは訊くまでもなかった。
「まあでも、貴重な体験だったよね。実際に呪われるなんてさ。ちょっと、他では味わえない事だよ」
その呑気な言葉に、茅野は花火を見あげたまま噴き出す。
「貴女も相当な大馬鹿野郎ね」
「それって、誉め言葉?」
「当然よ」
懲りない二人は屈託なく笑い合う。
「次はもっと凄いところに行こう。百人ぐらい死んでるとこ」
「ええ。そうね」
相棒の力強い言葉に対して満足げに頷く茅野。すると桜井が遠い眼差しで夜空を見あげながら不敵に笑う。
「あたしたちはようやく登り始めたばかりだからね。このはてしなく遠い心霊坂を……」
「やめなさい。まるで最終回みたいでしょ」
花火があがる。辺りが一面明るくなり、喚声があがった。
そして周囲のざわめきが落ち着く。
そこで、思い出した茅野は邪な笑みを浮かべて禁断の呪文を唱えた。
「梨沙さん」
「何?」
「そういえば夏休みの課題の事なんだけど」
すると桜井の表情が見る見る絶望に曇る。
「それ、今は言わないでよぉ……」
桜井は両手で顔を覆った。
夏休みの残りの数日、桜井は半死半生で課題を何とか終わらせ、茅野は会報の製作に取り組んだ。
令和となって最初の夏休みが終わり、二学期が始まったばかりの九月二日。
昼休みに茅野と桜井は職員室で、オカルト研究会の顧問である戸田純平と向き合っていた。
夏休み中に完成したオカルト研究会報の第一号を見せる為だ。
茅野がパソコンで編集した誌面をコンビニのコピー機で印刷し、それをホッチキスで止めただけの代物であったが、レイアウトやデザインが凝っており中々見映えは良い。
椅子に座ったまま興味深げに頁をめくっていた戸田が、どこかほっとしたような顔で言った。
「ちゃんと活動していたんだな」
「これを文化祭で配布しようと考えています」
「良いんじゃないか? ……あと、先生にも何か手伝える事があったら遠慮なく言えよ? 何かないか?」
茅野は桜井と顔を見合わせ「特に今のところは大丈夫です」と言った。
しかし、戸田は食いさがる。
「いや、ほら。先生、物理教師じゃん?」
「ええ。そうですね」
「オカルト現象を科学的な視点で解釈するとかそういうのなら得意分野だし……」
「そういうのは循の担当だから」
桜井がにべもなく言う。すると戸田はちょっと泣きそうな顔になる。
こういう、生徒に取り入ろうと必死なところがキモがられる理由の一端であるのに……と、二人は内心呆れる。
そして、戸田は大袈裟な溜め息を吐いた。
「あのな。これはお前たちだから言うのだが……」
「はあ……」
茅野が気の抜けた返事をする。
「俺がこの学校に赴任して一年目の事だ」
「もしかして、怖い話なの?」
桜井の問いに戸田は苦笑する。
「……ああ。俺にとっては人生で最高の恐怖だった」
「わくわく……」
桜井が期待の眼差しを彼に向ける。
一方の茅野はどうせくだらない話なんだろうな……と内心で思ったが、取り合えず黙って話を聞く事にした。
「兎に角、あれは一年目の文化祭だった。当時四歳の娘がな、文化祭に行きたいと言い出した」
桜井と茅野は驚愕のあまり大きく目を見開く。
「それでな。あまりにも駄々をこねて仕方がないから、嫁に連れてきてもらったんだが……」
「ちょっ、ちょっ、センセ。待ってよ。いきなり超展開過ぎて頭が追いつかない」
桜井が話の腰を折る。
「何だ? 今のところに何か解りにくい要素でもあったか? ないだろ別に」
怪訝そうな顔をする戸田に茅野は問う。
「いや、その……先生ってご結婚されていたんですか?」
「あ? ……ああ。もう今年で九年目になる。嫁は同郷の幼馴染みでな」
桜井と茅野が同時に叫び声をあげた。
「嘘でしょ、センセ」
「いや、流石にこれはちょっと信じられないわ」
全校生徒からゴキブリのように忌み嫌われる戸田純平が既婚者であった。
これは、この藤女子全土を揺るがせる大ニュースである。
「おいおい。何だよ。それこそ幽霊でも見たような顔をしやがって……」
「まさかとは思いますが、その奥さんと娘さんは貴方の想像上の存在なのでは……」
「いやあ、本当に怖い話だったね……」
「俺の嫁と娘は妄想じゃねえし、話もまだ終わってねえよ!」
全力で突っ込んでから戸田は咳払いを一つすると話を再開した。
「……兎も角、それでだな。文化祭が終わって、その日の夜に家で娘が泣きそうな顔でこう言うんだ」
桜井は、ごくりと唾を飲み込む。
「パパって、学校のみんなに嫌われてるの? ……ってな」
桜井と茅野は、あまりのいたたまれなさに凍りつく。
戸田は無念の思いを滲ませた表情で言葉を続ける。
「子供っていうのは、そういう空気を敏感に感じとるものだからな……」
「まあ、その、気を落とさないでください」
「ファイトだよ! センセ」
茅野と桜井の励ましの言葉が空を切る。
戸田は泣き笑いのような顔になり、
「……だから、俺は娘の為に生徒と仲良くならなければいけないんだ」
と、血を吐くように言った。
二人は何とも言えない表情で顔を見合わせると『悪い先生じゃないんだけどなぁ……』と思った。
こうしてオカルト研究会の夏休みが終わり、二学期が幕を開けた。
(了)
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