【08】ゲームオーバー
県庁所在地の駅南から少し離れた住宅街の一角だった。
そのアパートはサブリースで建てられたはいいが、ご多分に漏れず、殆ど入居者が入らなかった残骸のような二階建てだった。
このアパートの一室にスウェーデン堀こと堀光明の暮らす住居があった。
富田はその駐車場に軽自動車で乗り込む。サイドブレーキを引いてエンジンを停めた。すると助手席の九尾がぽつりと口を開く。
「……それほど、面白い物ではありませんよ」
「何がです?」
ルームミラーを見つめながら富田は答える。
「除霊です。……テレビとかでやっているのは、大抵は派手な演出がなされています。本当は同じ事の繰り返しで、割りと地味です」
「大丈夫ですよ」
富田はそう言ってシートベルトを外し、後部座席からカメラを取った。
「冗長な部分は編集で切りますので」
何ならもう少し派手な演出をつけ足してもいい。富田は軽く考えていた。
「取り合えず、いきましょうか……」
二人は車を降りた。
茅野は躊躇なく熊のぬいぐるみに手を伸ばして掴む。
「思いきっていくねえ。噛みついたりしないかな?」
「それぐらい解りやすければよかったのでしょうけれど……」
そう言って、人形の胴体を親指でなぞる。
「やっぱり、間違いない」
「何が? そろそろ説明してよ」
茅野は悪魔のような笑みを浮かべる。
「このぬいぐるみ、一回、胴体の綿を抜いてから別な物を詰めてある。前回、手に取った時は足や腕を持ったから気がつかなかった」
桜井もぬいぐるみの胴体を撫でる。
「なるほど……確かに何かごわごわしてるね。綿の代わりに何が入っているの?」
「米。髪の毛。もしくは肉や血。その全部」
「何それ……?」
桜井の頭の上にハテナマークが飛び交う。
茅野はぬいぐるみから目線を外さずに、その彼女の疑問に答える。
「このぬいぐるみは“ひとりかくれんぼ”で使われた物なのよ」
「ひとりかくれんぼ?」
「そう……」
ひとりかくれんぼとは、二〇〇六年頃に匿名掲示板のオカルト板で流行った交霊術である。
「ヒトガタのぬいぐるみの綿を抜いて、さっき言った物を代わりに詰めてから赤い糸で縫い合わせる。元々、ツギハギや縫い目が装飾となっているデザインだから気がつかなかったけど、このお腹のやつは手縫いよ」
「本当だ……」
「そして、以上の準備が終わったら、手順にそって儀式を進める……」
まず、ぬいぐるみに対して名前をつける。
以下、このぬいぐるみの名前をAだとし、施術者自らの名前をBとする。
次に「最初の鬼はBだから」と三回言い、浴室に行って水を張った風呂桶にぬいぐるみを入れる。
次に家中の照明を全て消してテレビだけをつける。目を瞑り十秒数える。刃物を持って風呂場に行き、「A見つけた」と言ってぬいぐるみを刺す。
「次はAが鬼だから」と言い、自分はコップに入った塩水のある隠れ場所に隠れる――
茅野が説明を終えると桜井はますます困惑の色を深めた。
「そんな事をして何が面白いの?」
さあ……と、肩をすくめる茅野。
「取り合えず、儀式を手順通りに行えば、何らかの怪異が起こると言われているわ。その怪異については様々で、特に何が起こるかは決まっていない。物音がしたり、不気味な影が現れたり、人形が動いたり」
「ふうん……」
と、桜井は絶対にピンときていないであろう顔で相づちを打った。
茅野はいつも通り気にせず話を進める。
「兎も角、この家で死んだ長男の滝沢信二は、十二年前の夜、ひとりかくれんぼを行っていたの」
「ああ。だから、押し入れに隠れていたんだ」
今度は納得した様子の桜井。茅野は満足げに頷く。
「ひとりかくれんぼは、家人がいる時に行うと、その家人に悪い影響が出ると言われているわ。だから家にひとりでいる時に行われなければならないとされているの」
「だから侑子さんのお兄さんは十二年前のあの夜、良い機会だと思って、ひとりかくれんぼをやったんだね?」
「そう。そして、それを押し入れの中で実況していた。オカルト板のスレッドでね。すると、そこで運悪く……なのか霊障なのかは解らないけど、火災が起こった。ひとりかくれんぼは儀式の最中に家の外に出る事は禁止されているわ。禁を破れば怪異がその身に降りかかる。だから……」
「侑子さんのお兄さんは、逃げる事もできずに押し入れの中で死んだんだ」
「そうね。そして、まだ、そのときのひとりかくれんぼは終わっていない。だから、この家に入った人間は、その呪いによる影響で発狂してしまうっていう訳ね」
「なるほどー。この赤い女も、そのせいなのか」
因みに今、その赤い女は脱衣場にしゃがんで手を伸ばし、浴室の桜井のポニーテイルをひょこひょこと弄んでいる。当然、茅野には見えない。
「ええ。貴女に“赤い大きな女”と言われた時点で気がつくべきだった。かつて、正式な手順でひとりかくれんぼを終わらせる事ができなかった者が、梨沙さんと同じものを目撃したというわ」
「ふうん」
と、桜井は鬱陶しそうに結った髪の束を手で払う。
「じゃあ、あたしたちを襲っている怪異は、ひとりかくれんぼを正式な手順で終わらせる事のできなかったペナルティ?」
「そうね。本来ならそれは施術者本人に降り掛かる現象だった。でも、その本人はもういない。……この家には、ひとりかくれんぼの儀式だけが残ってしまった。そして、それは今も続いている」
「迷惑な話だね。……で、その正式な手順での終わらせ方っていうのは?」
「塩水を少し口に含んでから押し入れを出て、ぬいぐるみに残りの塩水、口に含んだ塩水の順にかけるの。それから『私の勝ち』と三回宣言して終了よ。そのあとぬいぐるみを燃やす」
「何だ。案外、簡単だね」
「でも、これは本来、施術者本人がやらなければならない事。しかも開始から二時間以内に。十二年経った今、私たちがやっても効果があるかどうか……」
「それでも取り合えず、やってみようよ」
「そうね。それじゃあ、梨沙さん塩水を入れてきたペットボトルを準備して」
「りょうかーい」
二人は十二年越しの呪いを終わらせる為の準備をし始めた。
堀光明の部屋は、二階の一番奥の部屋だった。吹き晒しの階段を登り、二階の通路を渡る。
そうして九尾天全と富田憲吾は、堀の暮らす部屋の前までやってきた。
富田が呼び鈴を押す。
しかし、何度押しても返事はない。
「かなり危険な状況かもしれませんね……」
九尾が表情を曇らせる。
そこで富田は舌打ちをし、扉をガンガンと叩き始めた。
「おい、堀! 霊能者を連れてきたぞ! おい。いるんだろ!? 出てこいよ。堀!」
しばらく立って、がちゃり、と解錠の音がした。
富田は「やれやれ……」と溜め息を吐いて、半歩だけ後ろにさがる。
その瞬間だった。
扉が勢いよく開き、富田の構えていたカメラのレンズを強打した。
富田もバランスを崩しふらふらと後退りして、二階の通路の柵に背中をつけた。
開かれた扉の向こうから堀が姿を現す。
「おい! 何だよてめぇ!? 突然、開けるんじゃ……ひッ!」
富田の怒声が途中で止まる。
なぜなら、堀が右手に出刃包丁を持っている事に気がついたからだ。
目つきも淀んでおり、半開きの口の端は乾いた涎で白く汚れていた。
「……やってやる」
まるで怒り狂った雀蜂が歯を鳴らしたかのような声で、堀は言った。
「……殺られる前に殺ってやる」
「ちょっと、待て……落ち着け、な?」
富田は九尾の方に視線を向ける。
九尾は少し離れた場所で口元を両手で覆い、その細い肩を小刻みに震わせていた。
さしもの腕利き霊能者も物理的な恐怖には弱いらしい。
富田が再び九尾から堀に視線を戻した瞬間だった。
「ぶっ殺してやるッ!」
堀が飛びかかってきた。
富田は逃げようと身を翻す。しかし、その左右の肩甲骨の間に発狂した堀の凶刃が突き刺さった。
富田の手からカメラが滑り落ち、回転して落下する。
「死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 死ねぇええッ!」
堀が富田を滅多刺しにして崩れ落ちる彼の上に馬乗りになる。
背中、後頭部、首筋……。
容赦なく刃を振りおろし続ける。
湿り気をおびた刺突の音が繰り返される。
かつん、と尖端が通路の床を穿つ音がして、富田の頸動脈がえぐれた。凄まじい勢いで血潮が噴き出す。
「死ね、死ね、死ね、死ねぇええ!」
九尾は少し離れた場所で、そのまま腰を抜かして通路にへたり込んでいる。
やがて富田が完全に息絶えた頃、唐突に堀は我に返る。
富田の無惨な亡骸から、慌てて腰を浮かせた。
「あ……あ……あああ……富田……俺が、やったのか……」
唇を戦慄かせながら九尾と目線を合わせる堀。横たわる血塗れの富田を指差して尋ねる。
「なあ。これ、俺が?」
九尾が甲高い悲鳴をあげた。
すると、堀は泣き笑いの表情を浮かべ、出刃包丁を自分の首筋に躊躇なく突き刺す。
その惨劇の一部始終を富田のカメラがとらえていた。
このとき時刻は十五時三十七分になったところだった。
桜井が塩水をぬいぐるみにぶっかけ、勝利宣言をした後、二人はぬいぐるみを持って近くの砂浜にやってきていた。
因みにまだ赤い大女と、不気味な囁きは消えていなかった。
浜辺は夏も終わるというのに、相変わらず海水浴客で賑わいを見せていた。
二人は流木を集め焚き火を起こす。
「これでよし……と」
桜井梨沙が右手の甲で汗を拭う。
点火後に空気を送り込むと徐々に炎は強さを増し、流木を包んで揺らめき始める。
「それじゃあ、行くわよ!」
茅野が右足を握り、ぶらさげたぬいぐるみの頭を焚き火の上に持ってくる。
「三……二……一……」と桜井がカウントダウンを開始し、二人同時に「ゼロ」と叫ぶ。
その瞬間、茅野がぬいぐるみを焚き火の中に落とした。
ぬいぐるみは見る見るうちに赤い炎に巻かれる。黒い煙と共にビニール繊維の燃える臭いが立ちのぼる。
「あ、あの赤い女、今消えたよ!」
桜井がきょろきょろと辺りを見渡して喜ぶ。
「私も“死ね”とか“殺せ”とか聞こえないわ!」
二人は抱き合って跳びはねる。
その様子を周囲の海水浴客が、訝しげに眺めていた。
「よし。せっかく海にきたんだし、焼きそばと冷たいラムネで乾杯をしよう」
「良いわね。私はドクターペッパーを買ってくるわ」
と、言いながら、桜井の夏休みの課題がまだ終わっていない事を思い出した茅野であったが、それはひとまず胸の奥にしまっておく事にした。
このとき時刻は十五時三十七分ちょうどであった。




