【18】自爆
それは、君田がグリーンハウスの事を入鹿に相談した次の週の事。二〇一九年三月三十日だった。
彼女は、ふとした切っ掛けで矢島と喧嘩してしまう。
原因は矢島の所属しているインカレサークルについてだった。
やはり君田としては、自分の彼氏がつき合いとはいえ、見知らぬ女と酒の席を共にしている事が面白くなかった。
その話題になったとき、つい言葉尻に棘を含ませてしまい、それに矢島が過剰反応して言い争いへと発展する。
この一件で君田は、矢島がどうこうというよりは、学生の飲み会如きに嫉妬している自分が何だか子供っぽく思えて、恥ずかしくなってしまった。
更にその喧嘩の少し前に、酔った矢島本人から、実は杉橋との遺恨の原因が自身にあったらしい事を聞かされた。
何でも矢島は、あるとき飲み屋で退屈しのぎに他の客へと絡みにいったらしい。結果、双方酔っていた事もあり、いさかいへと発展する。そのときの相手が杉橋の知り合いだったのだという。
その一件について杉橋に咎められた矢島は、自分とは別人だろうと惚けて取り合わなかった。それを根に持っているのだとか。
まるで武勇伝のように、そのときの事を得意気に語る矢島。そんな彼に君田は大きく失望した。
これもまた、大きな喧嘩へと発展してしまった一因であろう。
そして、その喧嘩のすぐあとだった。矢島から事の次第を聞いたのか、入鹿から君田の事を案ずるメッセージが届いた。それによると、矢島は和解を望んでいるが自分から頭をさげるつもりはないのだという。
これで君田はますます意固地になり、しばらく矢島と距離をおく旨を返信した。
そういった諸々の流れがあり、しばらくの間、仕事終わりに君田の足がグリーンハウスへ向く事はなかった。
二〇一九年四月八日。
入鹿卓志が事故に遭った。
そのとき、病院の薄暗い廊下で聞いた矢島の呟きが今も耳に残っている。
「俺のせいだ……」
君田がいくら問い質しても、矢島は頑として、その意味を口にしようとはしなかった。
その日からだった。
矢島は塞ぎ込んで部屋に引きこもるようになった。
当然ながら彼が心配になった君田は、幾度かグリーンハウスへ様子を見に足を運んだ。しかし、怒鳴り散らされて追い返されるか、居留守を使われてほとんど顔を会わす事ができなかった。
やがて、矢島直仁が二〇一号室で、この上なく不審な死を遂げた。
君田優子は半ば確信に近い思いを抱く。
入鹿が語っていた通りグリーンハウスには何か忌まわしい秘密があるに違いないのだと……。
そして、けっきょく矢島とは喧嘩をしたままとなり、和解できなかった事を、君田は酷く後悔した。
二〇二〇年二月十三日の十六時過ぎ。
都内某所の占いショップ『Hexenladen』にて。
カウンター越しに小包を受け取り、遠ざかる宅配便のトラックのエンジン音を聞きながら箱を明ける。
中には例の壺が入っていた。因みに蓋には念入りにダクトテープが巻かれている。
九尾が慎重な手つきで壺を持ちあげるとその瞬間、彼女は目を大きく見開く。
「何これ……」
まず感じたのは術者の未熟さだった。
この壺を作った者は、しっかりと呪術師としての修行を積んだ訳ではない。
術者は何かの資料を見ながら見よう見まねで、壺を作ったに過ぎない。それゆえにこの壺は危険である。
その術の荒さが如実に伝わってきたのだ。
例えるならば、この壺はまったく調教を受けていない野生動物そのものである。これでは術者も無事では済まないだろう。
そして、未だに解呪がなされていない事から、術者は現在進行形で悪夢に取り憑かれている。
もしくは、既に……。
「術を解く方法が解らないのかしら……?」
専門的に系統だって呪術を学んだ訳ではないならば、充分にあり得る。
九尾は取り合えず桜井と茅野にメッセージを送った。
しかし、中々既読がつかない。
「何なのよ、もう……」
いつもなら真っ先に食いついてくるはずなのに返信がない。
何かアルバイトとか、学校の用事があるのだろうか……仕事をしながら二人からのリアクションを待つ。
しかし、九尾のスマホはずっと沈黙を守ったままだった。
ふと時計を見ると、十七時三分前になっていた。
もう授業は終わっているはずだ。何にせよスマホを見てメッセージを読む余裕ぐらいはあるはずだ。
九尾の脳裏に嫌な予感が過る。
もしや、猿夢の中で術者の用意した緊急脱出口を見つけられなかった。もしくは、そもそも術者が用意していなかったとしたら……。
色々とぶっ飛んでいるから忘れがちだが、彼女たちは霊能力を持っている訳ではない普通の女子高生なのだ。
九尾の胸の中に暗雲が立ち込める。
元気過ぎると胃が痛い。しかし、おとなしかったら、おとなしかったで不安になる。
何と厄介な女子高生たちであろうか……。
「勘弁してよ、もう……」
焦った九尾は茅野へと電話をかけた。
しかし、受話口から流れてきたのは、
『お掛けになった電話番号は、現在電波の届かないところにいるか……』
スマホを耳に当てたまま、九尾は青ざめる。
ざわりと背筋に悪寒が駆け巡った。