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【15】喧嘩


 自室のローテーブルを挟んで、二人の美少女が並んで座っている。

 この夢のような状況に稲毛は舞いあがっていた。

 横目でチラチラと二人を見比べる。

 流れるような黒髪でスタイル抜群の茅野循。

 そして、無邪気であどけない笑顔が素敵なポニーテールの桜井梨沙。

 どちらも見たことのないような美少女である。 

 自分には、どちらかなんて選べない……稲毛が幸せを噛み締めていると、

「あ……このゲームやってみたい! 勝負しようよ」

 その声で、いったん現実に引き戻される。

 桜井が四つん這いになって、テレビラックの下からゲームパッケージを引き出していた。

 それは、去年発売された近未来が舞台のレースゲームで、稲毛はこのタイトルをかなりやり込んでおり、自信があった。

 彼は内心ほくそ笑む。解らせてやる(・・・・・・)には丁度よいかもしれない。

「ああ、構わないよ。じゃあ、三人で対戦しようか?」

 そう言って、稲毛は茅野の方を(うかが)う。

 すると、茅野は残念そうな顔で首を横に振る。

「私はそのゲームやった事がないから、二人が対戦してるのを見ているわ」

 じゃあ、別のゲームを……と言いかけたところで、桜井がディスクを勝手にセットしてゲームを起動させた。

 仕方がないので稲毛もコントローラーを握り、テレビ画面に向き直る。

 

 結果は三戦三勝で、稲毛の完勝であった。 




「いやあ……おじ……いや、おにーさん、凄い上手いねー」

 桜井がキラキラとした眼差しを稲毛に向ける。

 そして、コーナリングなどのゲームテクニックについて矢継ぎ早に質問をしてゆく。 

 それらに鼻高々な様子で、稲毛は答え始める。

 ……女子にこれだけ誉められるのはいつ以来の事だろうか。脳内麻薬がじゃぶじゃぶに放出されているのが自覚できた。

 兎に角、異性に何でもよいから肯定されるのって超気持ち良い……稲毛徹平は至福に浸っていた。

 そんな折、ずっと黙り込んでいた茅野が唐突に話を切り出す。

「そういえば、矢島さんって、かなり嫌われていたみたいですね。貴方もずいぶんと彼には思うところがあったとか」

「……ん? ああ、うん。誰から聞いたの?」

 茅野からの答えはない。

 そこで稲毛は、その情報の出所に思い至り、鼻を鳴らして笑う。

「近藤か……」

 精神が絶頂に達していた稲毛は、饒舌(じょうぜつ)に語り始める。

「近藤だって同じだよ。一回、中庭で電子煙草を蒸かしてる矢島に突っかかって以来、犬猿の仲だから。あの二人」

 下品に笑う稲毛。

「……かなり根に持ってると思うよ。近藤のやつ。ネクラだし」

 因みに桜井は腹を空かせたハムスターのような勢いでポテトチップスを平らげ始める。

 その微笑ましい姿を一瞥(いちべつ)して、稲毛は茅野に問うた。

「……やけに矢島の事、興味あるみたいだけど?」

「それは当然です」

 茅野はきっぱりと言った。その意図を図りかねた稲毛は首を傾げる。

「……というと?」

「だって、私たちが暮らしている部屋で亡くなった人じゃないですか。どんな人だったのかなー……って、気になります」

「ふん。そう」

 稲毛は皮肉めいた笑みを浮かべ、その理由に一応は納得する。

 正直に言ってしまえば、矢島の話はあまりしたくなかった。

 それは、単純に矢島の事が嫌いだったからだ。

 最初は年下の人懐っこい後輩だと勘違いし可愛がっていたが、付き合いが長くなるにつれて、その性格の悪さにうんざりとさせられた。

 奴には散々馬鹿にされた。侮られた。もうそのときの事を思い出したくもなかった。

 しかし、美少女の気を引くためなら、どんな話題でも構わない。稲毛は矢島の話を続ける事にした。

「……確かに矢島と揉めてる奴は多かったけど、やっぱ杉橋だよ。いちばんやりあってたのは」

 そこで稲毛は目線を上にやり、記憶を手繰る。

「矢島の話じゃ、夜中に便所の水を流したりカップラーメンのお湯を沸かした程度で壁ドンされたとか言ってたな。廊下や玄関なんかですれ違うと、露骨(ろこつ)に睨み合ってさ……でも、決定的だったのは、去年の今頃かな? 切っ掛けは、矢島が自分の部屋に彼女を連れ込むようになってさ」

「矢島さんの彼女……どんな人だったんですか?」

「一昨年の秋ぐらいだっけな。矢島が新しく同じ地元の女と付き合い始めたんだ」

「その人も大学生だったんですか?」

「いや。社会人らしいよ」

 その矢島の彼女は週末の深夜にもなれば、グリーンハウスへとやってきては、二〇一号室で朝まで過ごしていたらしい。

「……徐々にその頻度(ひんど)は増していって、去年の今頃くらいには、毎日仕事終わりに矢島の部屋へきていたな」

「半同棲みたいな?」

 その茅野の言葉に稲毛は頷く。

「そう。それでブチギレたのが杉橋だったって訳さ。そりゃ隣の部屋で毎晩毎晩、恋人同士がよろしくやってりゃあね……うへへへっ」 

 そこで稲毛は下品な笑みを漏らす。

 茅野が露骨に顔をしかめた。

 桜井は「キモ……」と小声で呟く。

 稲毛は、はっ……とした顔になり咳払いを一つした。

「失礼」

 桜井と茅野は何も答えない。気まずい空気に押し潰されそうになる稲毛。

 強引に話を続けて誤魔化そうとする。

「……とっ、兎も角、それが原因で杉橋が盛大にブチキレてね。それこそ矢島をぶっ殺しそうなぐらいに……」




 二〇一九年二月九日。

 その日、稲毛徹平は久々に学生時代の友人と飲んで二十二時頃に帰宅した。

 エントランスホールに入ると、正面へと延びた東側の廊下の先が騒がしい。

 (いぶか)しく思い近づいてみると、二〇一号室と二〇二号室の間でモデル顔の男と顔中にピアスをぶらさげた男が怒鳴りあっていた。

 モデル顔が矢島直仁で、ピアスの方が杉橋亮悟である。

 そして、二〇一の扉口からそっと二人の様子を(うかが)うスーツ姿の女が、矢島の交際相手の君田優子であった。

 矢島と杉橋の関係性を知っていた稲毛としては、この状況に驚きはしなかったが、うんざりとさせられた。

 ……かといって、見過ごす訳にもいかず、酒が入っていた事で気が大きくなっていたせいもあり、二人の間に割って入る。

「……おいおい、二人とも勘弁してくれ、落ち着けよ。な?」

 すると、杉橋が少し冷静に戻った様子で稲毛に向かって言う。

「稲毛サンさぁ、この糞野郎と、あそこから覗いてるブスアマが毎晩毎晩ウルセエんすよォ……」

「てめえがいちいち物音気にしすぎなんだよ! それとも、壁に張りついて俺らの部屋の音でも聞き耳立ててんじゃねえのか!? 変態野郎」

「んだと、この野郎……」

 稲毛は再び矢島に詰め寄ろうとした杉橋の胸に手を突いて制する。

「落ち着けよ。もう夜だろ。お前らが迷惑になってるよ。一回、冷静になれって……な? な?」

 どうにか杉橋の肩に手を置いて、必死に言い聞かせる稲毛。

 すると、杉橋が大きく舌打ちをして、ふう……と、大きく息を吐き出した。

 そして自らの住居である二〇二号室のドアノブを握る。

「ぜってぇ、ぶっ殺してやっからな……」

 地の底から響き渡るような声でそう言って、杉橋は部屋の中へ姿を消した。




 後日、矢島が言うには、杉橋亮悟はあのあとすぐにどこかへ出かけたらしい。

 二〇一号室の壁越しに物音とドアの開閉音、グリーンハウスの玄関へ向けて遠ざかる足音がしたのだそうだ。

 こっそり様子を窺うと、エントランスホールから出る寸前の杉橋の後ろ姿を見たのだという。そのときの彼は大きな旅行鞄を持っていたらしい。


 ……この日から、杉橋亮悟は春休み丸々いっぱいグリーンハウスには帰ってこなかったのだという。

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