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【02】輩たち


「あれ、どこの制服?」

 そう言って(あご)をしゃくるのは、派手な柄物のシャツに黒のタンクトップを着たオールバックの男だった。

 名前を犬飼祐輔いぬかいゆうすけという。

 彼の目線は喫煙席からほど近い、窓際の座席に向けられていた。

 そこでは二人の女子高生が向かい合って座っている。

 一人はスタイルのいい黒髪の美少女。もう一人は小柄で可愛らしい童顔だった。

 茅野循と桜井梨沙である。

 犬飼はねっとりとした視線を向けながら、(くわ)えていたマルボロのフィルターを唇から離し、ふう……と白い煙を吐き出した。

 その彼の疑問に答えたのは、メタルバンドのTシャツを着た酒樽(さかだる)のような男だった。

「あれ、藤見女子の制服じゃねえのか?」

 名前を牛野源也うしのげんやという。犬飼とは中学の時からの悪友である。

「そうっすね。あれはフジジョのセーフクっす」

 牛野の言葉に同意を示したのは、猿川翔さるかわしょうである。犬飼と牛野の一つ歳下の後輩だ。

 短い髪を金色に染めた彼は、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、桜井と茅野の方へと視線を向ける。

「何度かあのガッコーのコと遊んだ事あるんすけど、あそこのオンナ、全員ヤリマンだから簡単にマタ開きますよ」

 犬飼が煙を「ふう」と吐き出して、短くなった煙草をもみ消した。

「……んじゃ、サルよぉ」

「何すか。犬飼サン」

「おめぇ、あのコたちナンパしてこい。いつも通り、ヤリ部屋連れ込んで酔わせてからマワすぞ」

「あ、リョーカイっす」

 猿川は席を立つ。

 それは、まるで『ちょっと、コンビニにでも行ってくる』といったような気安さであった。




 食事が終わったあとだった。

 話題は期末テストから、これから向かう五十嵐脳病院の事へと移り変わっていた。

「……五十嵐脳病院は、当時の最新鋭の医療をうたって、心の病んだ人を格安の入院費用で受け入れていたといわれているわ」

「ふうん……」

 と、相づちを打ちながら、桜井はチョコミントパフェをすくったスプーンをねぶる。

 茅野もガムシロップのたっぷり入ったアイス珈琲を一口すすって、話を続ける。

「昔はまともな精神医療を受ける事ができたのは一部のお金持ちだけ。中流階級より下は、神社や寺で祈祷(きとう)に頼るか、私宅監置したくかんちが一般的だった」

「したく……かんち?」

 桜井が首を捻る。

「私宅監置は……そうね。座敷牢の事よ。昔は気の病んだ人を自宅にある土蔵や地下室に閉じ込めていたの。そういうのが法律で認められていたのよ」

「へえ……じゃあいい病院だったの?」

「いいえ。入院させたらそのまんま」

「そのまんまって……?」

「治療どころか、ろくな食事も与えないで、病室に閉じ込めたきり」

「ふうん」

 桜井はあまり話を理解していないような調子の相づちをうつ。本当に理解していないのかもしれない。

 しかし、それはいつもの事なので、茅野は気にせずに話を続けた。

「……しかも、この病院は精神病の患者だけではなく、()ほう症の年寄りや身体に障害のある人なんかも片っ端から受け入れて……全盛期は定員の五倍の人数の患者が廊下まであふれ返っていたらしいわね」

「うわー。ぎっしり詰まっているのはメンチカツの中身だけでいいよ……」

「更に患者たちは劣悪な環境で農作業などの肉体労働を課せられたり、非道な人体実験の被験体にされていた。職員による患者への虐待なんかも日常茶飯事(にちじょうさはんじ)だったみたい……というのが、ネット上で流れている噂話」

「ふうん。じゃあ実際には?」

「多分、今の話は嘘でしょうね。なんか、宇都宮病院事件とダンバース病院のエピソードを足して二で割ったような感じがするもの。そんなホラー映画に出てきそうな猟奇的な病院がそうそうあってたまるものですか」

「なあんだ。じゃあ、酷い目にあった患者さんなんて、どこにもいなかったんだね。よかったー」

 ほっと胸をなでおろした様子の桜井に茅野はくすりと微笑む。

「でも、当時の精神医療が酷いものだったというのは事実なのだけれど。だから、そこまでではないにしろ、五十歩百歩と言える程度だったと私は思うわ」

 と、茅野がひと息吐いてアイス珈琲のグラスに手を伸ばしたところだった。

「ねえ、君たちさぁ……」

 桜井と茅野は、びくんと背筋を震わせて、その声の聞こえた方向に視線をあげる。

 いつのまにか、テーブルの脇に男が立っていた。

「フジジョっしょ?」

 赤いアロハシャツを着た短い金髪の男だった。 猿川翔である。

 目を弓なりに細め、軽薄(けいはく)そうな笑みを浮かべていた。

「何の用ですか?」

 茅野が冷たい声音で聞き返す。しかし猿川は彼女の言葉に答えようとはしなかった。

「オレもさぁ、フジジョの女の子に知り合いがいてさぁ……この前、合コンしたんだけど」

 茅野は深々と溜め息を吐いた。

 桜井の方はというと、チョコミントパフェを急いで食べ始めた。

 そして、自分の存在が上滑(うわすべ)りしている事を気にした様子もなく、猿川が話を続ける。

「……知ってる? レイコちゃんってコで。一年生でテニス部なんだけど」

「知りません」

 茅野はぴしゃりと言い放つ。猿川から目線を逸らし、アイス珈琲をストローですする。

 しばしの沈黙。しかし、猿川はやはりめげない。

「何か冷たいなぁ……もっと、お兄さんたちとお話しない? そうだ。今からカラオケ行かない? もちろん、おごるから」

「嫌です」

 一秒の間もなく茅野は返答する。そこで桜井がのんきな声をあげた。

「あー、美味しかった。食べ終わったし、そろそろ行くんで、あたしたち」

 茅野は、ふっ、と鼻を鳴らして笑う。

「そうね」

 椅子から腰を浮かせ、伝票受けに手を伸ばした。その手首を猿川がつかむ。

「ちょっと……」

 茅野がまるで蛞蝓(なめくじ)にでも触れられたような顔で冷淡な声音を発した。

「はなして」

 雑談をかわしていた他の客たちが騒動に気がつき静まり返る。茅野たちの方を注視し始めた。

 しかし、猿川は目を弓なりに細めたまま引きさがろうとしない。

「そっちが無視するからいけないんでしょ。酷くね?」

「ちょっと……」

 流石の桜井も剣呑な表情で猿川を(にら)みつける。

 一触即発(いっしょくそくはつ)の空気が漂い始める。

 すると、目ざとく事態を察知した中年男の店員が小走りでやってきた。

「あー、お客様、他のお客様のご迷惑になりますので……」

 しかし、猿川は表情を一変させる。

「ウルセエよッ! オッサンはスッ込んでろクソがッ!」

 店内の空気が完全に凍りつく。

 数秒……数十秒……いや、一分程は経ったかもしれない。

 最初に止まった時間を動かしたのは、

「おい! サル。その辺にしとけ」

 犬飼だった。座席から立ちあがりマルボロの煙を、ぶわっと吐き出した。

「でも犬飼サン……」

「いいから、こっち戻ってこい」

「でも……」

「早くしろッ!」

 犬飼が苛立(いらだ)たしげに声を張りあげ、再び腰をおろす。

 猿川は茅野の顔を一瞥(いちべつ)すると、舌打ちをして彼女の手首を離した。そして、すごすごと犬飼たちの席へと戻ってゆく。

 茅野はスクールバッグを肩にかけて桜井に向かって言う。

「出ましょうか」

「うん……」

 桜井もスクールバッグを手に取り、いそいそとレジへと向かった。

 やがて、ふたりが店内を後にすると犬飼は、マルボロの火を乱暴にもみ消して、牛野と猿川に向かって言う。

「行くぞ」

 犬飼が腰を浮かせ伝票を掴む。猿川が首を傾げる。

「え、どこっすか?」

「あのメスガキ共を追うぞ。男を舐めるとどうなるか、たっぷりと身体で教えてやる」

 牛野が、にちゃあ……と音がしそうな笑みを浮かべる。

「ロリの方、俺にくれよ」

 そこで、猿川が何かを思い出したように言葉を発する。

「そういや、あいつら、何か“病院跡”の話、してましたけど……」

 “病院跡”とは五十嵐脳病院の事である。

「もしかして、これから行くんじゃないんですかね?」

「何であんな所に」

 牛野の発した疑問に猿川は、肩を(すく)めた。

「肝試し……とか?」

 犬飼が思案顔を浮かべた後に、ニタリ、と嫌らしく微笑む。

「なら、好都合じゃねえか。あそこなら泣こうが(わめ)こうが誰もこねえ」

 その言葉を聞いた途端、再び猿川の細い目が弓なりに歪み、牛野が粘着質な微笑を浮かべた。


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[一言] これは危機の予感! どうなってしまうんだ犬、牛、サルは('ω')
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