【03】グリーンハウス
グリーンハウスは、元々はスペイン人の画家が暮らしていた家なのだという。
その画家が諸々の事情で母国へと帰る事になり家を手放した。
そして、次のオーナーとなった人物が学生用のアパートへと改装する。それが二〇〇一年の事だったらしい。
建物は一階建てで、元スペイン人の家らしくパティオがあった。
そのパティオを囲んで四方に廊下と部屋が配置されている。
つまりグリーンハウスを真上から見ると“ロ”の字をしているという事になる。
その四辺は東西南北に沿って横たわっており、それぞれの辺の外側に三部屋ずつ並んでいた。
中央のパティオへは東西南北の廊下の中央内側にある扉から入る事ができる。
玄関は建物正面に向かって右手……ロの字の南東の角にあった。
「けっこう雰囲気があって素敵な建物ね……」
……などと、西木は持参したライカTのレンズ越しに石垣の上に鎮座するグリーンハウスを見あげる。
桜井と茅野の二人は、小松にトランクを開けてもらい荷物を取り出していた。
その荷物がやたらと大きい事に疑問を覚えた西木であったが『どうせ、この二人だしなあ……』と、このときは深く考えようとしなかった。
二人が荷物を取り出し終わると、小松がファインダーを熱心に覗く西木に声をかける。
「……それじゃ、いこっか。パティオもけっこういい感じよ」
一行は小松に案内され、手狭な駐車場から高台の上へと続く石段を登り玄関へ向かう。
玄関扉は古めかしい木製の両開きだった。左右の壁に数字錠つきの郵便受けが六個ずつ並んでいる。
そして円筒の柱によって支えられた庇の上部には『Casa・Green House』とお洒落な字体で記してあった。
桜井がその文字を見ながら茅野に問うた。
「循……」
「何かしら?」
「あの“きゃさ”って何?」
「カーサよ。イタリアやスペインでは集合住宅を指す言葉ね」
「ふうん……一応はスペインに寄せているんだねえ」
……などというやり取りをしながら、小松と西木のあとに続いて玄関の内側へと足を踏み入れる二人。
すると風徐室があり、オートロックの硝子の引き戸が目の前に立ち塞がる。
小松が右手の壁にあった入力パネルに暗証番号を打ち込み解錠した。四人は玄関ホールへと進む。
玄関ホールは天井が高く、ステンドグラスの明かり取りの窓があった。
どことなくエミール・ガレの作品を思わせる奇抜な形の照明が壁の高い位置に突き出て並んでいる。
正面と左手に向かって通路が伸びており、それぞれ建物の外側に面した壁に三枚ずつ扉が並んでいた。
その対面の壁には大きな窓が並んでいて、パティオの入り口への扉が中央にあった。
「私の部屋は真っ直ぐいった奥だよ」
小松に案内され正面の廊下を進む。
途中、窓の向こうに窺えるパティオは、広々としており開放的だった。
その空間の真ん中には、立派に枝を伸ばした山法師が植えられている。木陰には円形のガーデンテーブルと四脚の椅子があった。
壁際に沿って花壇が横たわっていたが、今は真冬の為か土ばかりの寂しい色合いである。
地面はよく手入れをされた芝生に被われており、その青々とした絨毯のいたるところに、一辺が五十センチぐらいはありそうな苔むした石のタイルがランダムに配置されていた。
「確かに、これで一万八千円は安いわね」
と、感心した様子の茅野。
因みに他の部屋の家賃は三万円と、これまた地方のアパートにしてもずいぶん安い。
小松によれば、その低価格の理由は次の通りらしい。
「何でもオーナーがウチの大学の出身でね。学生の為にって、値段はかなり安くしているみたい。住人も全員、ウチの大学の関係者で、ほとんど学生寮みたいなものね……さあ、着いた」
そう言って、小松は東の廊下の一番奥にある扉に向き直る。
『201』
西木には、その扉に刻まれた無機質な数字が、何だか恐ろしいものに感じられた。
小松が扉を解錠する。
「それじゃ、入って」
「わーい、お邪魔しまーす」
「お邪魔するわ」
小松、桜井、茅野に続いて、西木が部屋に入ろうとした瞬間だった。
悪寒を感じて足を止める。
右肩のうしろから視線を感じたような気がしたのだ。
はっ、となり、振り向くとそこには……。
パティオに面した窓と、その向こうに見える山法師があるだけだった。
「どしたの? 西木さん」
桜井が上がり框できょとんと首を傾げていた。
西木は首を横に振って微笑むと、二〇一号室に足を踏み入れて玄関の扉を閉めた。
玄関をあがって右手に水回りがあり、奥には八畳の洋室が広がっていた。
間取りはいたって普通で、特筆すべき事は何もない。
室内はよく片付いておりシンプルだった。
ただ、三和土の脇に置かれたキャリーバッグとギターケースの存在が西木には気になった。
しかし、すぐに、近々ライブでもあるのだろうと解釈する。
ともあれ、小松に勧められるまま洋室の座卓を囲んで、しばしお茶をする。
蛇沼に越してきた西木にとって最初の同性の友だちといえる存在が小松であった……という話や、彼女のバンドの話、桜井と茅野のこれまでの活動についても話題が及ぶ。
西木は、お喋り自体は楽しんでいたが、やはり落ち着かなかった。
この部屋で人が死んだのだ……と、意識し始めると、どうにも心がざわついた。
しかし、桜井と茅野はもちろん、小松の態度がまったく平然としていた為、徐々に気にならなくなっていった。
結果、大いに盛りあがって時刻は十六時半となった。
すると小松がおもむろに立ちあがり、座卓の上に部屋の鍵を置く。
「それじゃあ、私はそろそろいくからよろしくね。それ合鍵だから。あとから適当に返してくれればいいし」
「はい。では、お世話になります」
と、茅野がお辞儀をし、桜井もそれにならう。
それを見て西木は困惑する。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ……あず姉、どういう事なの? 何で合鍵を……」
そこで茅野が声をあげる。
「ああ……西木さんには説明がまだだったわね。ごめんなさい」
桜井が言葉を続ける。
「あたしたち、ここにしばらく泊まるから」
「はあ!?」
当然、目を丸くする西木。そして小松の顔を見る。
「ああ、私、これから関東にライブの遠征行くから。一週間ぐらい帰ってこないんだ。だから、ちょうどいいかなって」
「小松さんがいない間、私たちが猿夢を見たとしたら、この部屋自体に何らかの原因があるという事。もし猿夢を見なかったとしたら、小松さん自身に何らかの原因がある可能性が高いという事になるわ」
茅野は事もなげに言った。そして桜井が続く。
「学校もちゃんといくよ。朝六時にここを出れば遅刻はしないんだ。一応」
「いやいやいや……そういう問題じゃなくって」
確かに、今回の一件の謎を解く糸口を見つけるには、泊まるのが一番だろう。
しかし、だからといって、何の躊躇も遠慮もなく、それを実行できるものだろうか。
西木は改めて二人の頭のぶっ飛び具合に驚愕する。
「……で、千里はどうする? 帰るなら今から駅まで送るよ。泊まりたいなら別にそれでもよいけど」
この小松梓という人も大概だな、と苦笑する。
けっきょく西木は二人の無事を祈り、小松と共に二〇一号室を後にした。




