【02】猿夢
小松の見た夢は、奇妙な電車に乗ってるところから始まったのだという。
「蛍光灯が明滅していて……地下鉄なのかな? 窓の向こうは真っ暗で何も見えないの。乗客はまるで人形みたいに黙り込んでいて……」
それから、しばらくすると奇妙な車内アナウンスが流れてくる。
それによって告げられた次の駅名は“エグリダシ”
「エグリダシ?」
桜井が首を傾げる。彼女とルームミラー越しに目があった西木は「さぁ……?」と首を傾げた。
「そのアナウンスのあとで、後部車両から猿みたいな顔をした車掌がやってきて、後ろの方にいた女の乗客を肉切り包丁で滅多打ちにし始めて……」
「うわぁ……」
西木は顔をしかめるが、桜井と茅野の瞳は輝きを増し始める。
「それで、床に倒れた女性の目玉をアイスピックでえぐり出して……」
「ああ、それでエグリダシ」
ぽん、と両手を打ち合わせる桜井。
茅野が右手の人差し指を立てて指摘する。
「それは、猿夢ですね。ディテールはだいぶ違うけれど」
「さる……ゆめ……?」
桜井が再び首を傾げ、いつものように茅野の解説が始まる。
「有名なネット怪談よ……」
猿夢とは二〇〇〇年頃、某巨大掲示板のオカルト板に投稿された奇怪な悪夢にまつわる都市伝説である。
その夢の概要は以下の通りとなる。
夢の中で奇妙な電車に乗ると、車内アナウンスの通りに乗客が殺されてゆく。
その魔の手はやがて夢を見ている本人に迫る。
殺される前にどうにか目覚めることができたが、そんな夢を見た事すら忘れた四年後にその夢の続きを見てしまう。
この夢を最後まで見続け、夢の中で殺されてしまった者は現実でも死んでしまうと言われている。
「電車の様子は違うし、乗客を殺すのも、猿顔の車掌ではなく数人の小人だけれど、車内アナウンスの駅名通りに乗客が殺されてゆくっていう部分はネットに投稿された話と同じね」
「他にはどんな駅名があるの?」
その桜井の問いに茅野は得意気な表情で答える。
「まずは“エグリダシ” これは小松さんの話にあったように眼をえぐられて殺される。次が“イケヅクリ” 魚の活け作りのように腹をさばかれて殺される。最後が“ヒキニク”よ。ここで夢を見ていた人が挽き肉にされて殺されてしまう」
「ふうん……」
と、桜井が話を聞いていない風な返事をした。
すると、車が交差点の信号に引っ掛かり減速し出す。
完全に停車したところで小松は話を再開する。
「……で、次のアナウンスが聞こえてきたの。“次はイケヅクリ”って。その辺りから犬の鳴き声が遠くから聞こえてきて」
「犬の鳴き声……?」
茅野が怪訝な顔をすると、小松はルームミラー越しに頷く。
「……遠くの方から、電車の走る音に混ざって、ワンワンワン……って。それが、だんだん五月蝿くなってきて……」
彼女は目を覚ましたのだという。
そこで茅野が小松に問うた。
「小松さん」
「何?」
「それは現実の犬の鳴き声ですか? それとも夢の中の事ですか?」
「犬の鳴き声も夢だよ。そもそもグリーンハウスはペット禁止だし、近くに犬を飼っている家もないから」
その答えを聞くと茅野は「犬の鳴き声も、オリジナルには無い要素ね」と独り言ちる。そして、小松に話の続きを促した。
「それで、どうなったんですか?」
「……それから、夢の事が気になってインターネットで調べたら、私が見た夢は猿夢かもしれないって解って……」
真っ先に小松が思い浮かべたのは、二〇一号室の前居住者についてだった。
「まさか、猿夢に殺されたんじゃないかって」
流石にぞっとしたらしい。
そして正月、もやもやとしたまま実家へ帰ったとき、一連の出来事を聞かされたのが西木だったのだという。
「……その話を聞いて、これは当然、桜井ちゃんと茅野っちの出番だろうなって。あず姉に二人の事を話したら、会ってみたいって」
「そういう訳なんだけど……」
と、小松が話を結ぶ。
すると桜井梨沙は、難しい顔で腕組をして、
「なるほど。さっぱり解らん」
と、清々しいまでにきっぱり言い切った。
車は既に走り出し交差点から続く坂道を登る。
その車窓を流れる桜並木を眺めながら、茅野は言った。
「リンシャさんのリアクション、それと前居住者の死……何にせよ、この二つが偶然でないならば、猿夢を見た原因は部屋自体にありそうね」
「でも、あず姉……」と西木は呆れた様子で笑いながら小松に問うた。
「今でもその部屋に住んでるんだよね?」
「そーだよ」
気軽な感じで答える小松。
「気持ち悪くない? 私なら無理」
西木は顔をしかめて、己の両肩を抱いた。
「あれ以来、あの夢見てないからね。それにまた引っ越すの面倒だし」
小松が豪快に笑った。
「次は、どうせ四年後だしねえ」
桜井が呑気な声をあげる。
「だから、それまでに貴女たち二人に何とかしてもらおうって訳。期待してるよ?」
その小松の言葉に真面目な顔で頷く二人。
このあと車は坂道を登り切り、すぐ右側の細い路地へと入る。
その路地の奥まった位置だった。石垣に囲まれた高台の上に建つ緑の建物が見えてくる。
どちらかといえば、学生たちの暮らすアパートというより、ヨーロッパにある個人宅といった雰囲気である。
フロントガラス越しにその建物を見据え、小松が言う。
「着いたよー」
四人を乗せた車はグリーンハウスへと到着した。




