【04】ホワイダニット
土産物屋の軒先に出たベンチに腰をおろし、桜井はラムネの蓋を掌打で叩きつけた。
しゅぽん、というこぎみよい音と共に、しゅわしゅわと炭酸ガスが沸き出る。
桜井はラムネで喉をうるおし、ノドグロの浜焼きにかぶりつく。
程よく焼き目のついた香ばしい皮とホクホクした白身から染みでる脂の旨味が口に広がる。
「ひゃー、仕事のあとはこれだね」
……などと、ご満悦の桜井の右隣で、茅野が発狂の家で録った動画を真剣な眼差しで確認していた。
「……やっぱり駄目ね。怪しい物は何も映っていない。人形の消えた瞬間も」
「となると、心霊現象……」
「……本当に発狂の原因はシロシビン中毒なのかしら?」
茅野は思案顔で独り言ちる。一方の桜井は上機嫌な様子だ。
「……このノドグロの美味しさは心霊現象級だけどね!」
茅野は鹿爪らしい顔で考え込んだまま黙り込む。
その様子を憂いた桜井は彼女に気安い言葉をかけた。
「まず、むずかしい事はいいから、食べなよ。冷めちゃうよ?」
「確かにそうね」
茅野もデジタル一眼カメラを脇に置き、代わりに栄螺のつぼ焼きが乗せられた紙皿を膝に置き、割り箸を割った。
貝の中から腸を引っ張り出し、かぶりつく。その瞬間、彼女は大きく目を見開いた。
「あ……美味しい」
「だよね! だよね!」
このあと、茅野は近くの自動販売機で見つけたドクターペッパーで桜井と乾杯し、海の幸に舌鼓を打つ。
ひと息吐いた後、帰路に着く為に再び駅を目指した。
駅のホームは海水浴帰りと思われる人々で、それなりに混み合っていた。誰もが疲労の色を滲ませてはいたが、清々しい表情をしている。
やがてアナウンスが登り列車の到来を告げるとホームがにわかにざわつき始める。
桜井が乗車口の場所へと移動しようとする。しかし茅野は背後を見つめたまま動こうとしない。
「ん? どしたの循」
桜井が尋ねると茅野は怪訝な表情で前を向き、
「今、誰かに呼ばれた気がしたのだけれど……気のせいだったみたい」
「もー、やめてよ」
桜井がケラケラと笑う。
茅野も「ちょっと、疲れたのかもしれないわね」と言って笑った。
まもなく電車がやってきた。
二人が発狂の家の探索に出掛けてから翌日の早朝だった。
茅野薫は姉の様子がどうもおかしい事に気がついた。
茅野姉弟の両親はどちらとも仕事で家を空ける事が多く、大抵は二人きりだ。
普段ならば、姉の相手をするのが億劫なので食事の時間は意図的にずらすのだが、この日は運悪く重なってしまった。
薫が朝練へと出かける為に薄暗いリビングで、シリアルとチキンサラダを適当にお腹に入れていると、そこへ姉がやってきた。
裾の長い白のスリップ姿で、ぼんやりとリビングの入り口に佇んでいる。
寝癖も直しておらず、その眼差しはうすらぼんやりと遠くを見つめながら、無意味な瞬きを繰り返すばかりだった。
まるで映画の中の幽霊か狂女といった、そんな風貌の姉を薫は二度見する。
「何だ。姉さんか。ちょっと、そんな所に突っ立って、いったいどうしたの?」
たっぷりと数秒の間があり、姉はようやく薫の方へ視線の先を合わせた。
「……あ、薫。おはよう」
「おはよう……じゃないよ。寝ぼけてるの?」
「……あ、うん」
曖昧に頷き、薫の正面に座る。
「寝ていないの……」
その返答を聞いて薫は「ふう」と溜め息を吐いた。
どうせまたネットゲームでも夜通しやっていたのだろう。そう思った。
茅野循は一時期、廃人もかくやという勢いでMMORPGにのめり込んでいた事があった。
最近は遠ざかっていたようだが、また熱が再燃したのかもしれない。
「取り合えず、冷蔵庫にチキンサラダがあるから、それ食べていいよ。姉さんの分。僕もう朝練行くから……」
また面倒臭い事になりそうだと直感した薫は、急いで残りのシリアルを口の中にかき込み始めた。
すると……。
「うるさい」
その臓府が底冷えするような呟きに、薫は手を止めて顔をあげる。
「今、何か言った?」
恐る恐る尋ねる。
姉はうつむいたまま、マネキン人形のように何も答えなかった。
部室に向かうと、桜井梨沙の姿が既にあった。
テーブルの上に肘を突きながら頭を抱えている。きっと彼女が将来、お酒を飲んで二日酔いにでもなったならば、こんな顔をするのだろう。
そんな事を考えた途端、少しだけ気が紛れる。
茅野循は弱々しく微笑んで桜井に声をかけた。
「おはよう。梨沙さん。ご機嫌は如何かしら?」
「それ、人生で今まで耳にした中で最高の皮肉だよ」
桜井は厭世的な眼差しでぼやく。
「……と、いう事は梨沙さんもなのね?」
茅野の問いに桜井は力なく笑う。
「うん……循は……って、聞くまでもないか」
「ええ……」
そう言って、茅野はいつもの場所に腰をおろした。
「昨日、あの家に行ってから、ずっと耳元で誰かが訳の解らない事を囁き続けているの」
「あたしは、すごい背の高い赤い女がずっと追いかけてきて睨んでくるんだよ……身体も何かダルいし」
そう言って、頭を抱えたまま茅野の背後にある窓の方へ目線を向けた。
「今も、あそこからあたしの事を睨んでいる」
茅野は緩慢な動きで腰を捻り、窓の方へと視線を向けた。
すると、そこにはいつも通りの風景が映し出されているだけで、桜井の言うような存在の姿は欠片も見当たらなかった。
「これは、発狂する訳だよ……」
桜井がうんざりした調子で言った。
「確かに毎日これじゃたまらないわね」
まるでゾンビのようにだらりと背もたれに寄りかかり天井を見あげる茅野。
桜井は欠伸をする。
「何か視線を感じて全然寝れなかったよ」
茅野も釣られるように、目に涙を溜めながら、大きな欠伸をした。
「……兎も角、これはシロシビン中毒とかいうちゃちなシロモノなんかじゃないわね」
「もっと恐ろしい発狂の家の片鱗を味わってるね、あたしたち……で、これからどうするの?」
茅野はどうにか姿勢をただし、辛そうな顔で思案する。
「取り合えず、これが心霊現象だとしたら、十二年前に押し入れで死んだ長男が鍵ね」
「だろうね。きっと」
「長男の無念を晴らす事。それが呪いを解く鍵になるんじゃないかしら。例えば彼を押し入れへと追い詰めた殺人犯を探し出すとか……」
「なるほどー。しかし、一つよろしいかな? 我が友よ」
「何かしら、我が友」
「この手のホラー映画って、大抵の主人公たちは呪いを解こうと怨霊の未練を晴らす為に頑張るんだけど、実は全部主人公たちの勘違いで怨霊の意図はまったく別にあったっていうパターンばかりだよね? 本当に殺人犯を見つけるだなんていう普通の事でいいのかな?」
その指摘を受けた茅野はヘラヘラと笑う。
ちょっと、怖い……そう思ったが、そんな事を口にする元気はなかったので桜井は黙っていた。
「梨沙さんにしては鋭い指摘ね」
「それは、どうも」
「しかし、それは単なるホラー映画のお約束よ。これは現実」
「まあ、それはそうだけどさ」
どこか納得のいかなそうな桜井。
茅野は右手の人差し指を立てる。
「いいかしら、梨沙さん。現実にしろ、フィクションにしろ、呪いや祟りに対抗する時にもっとも大切なのは、ホワイダニットである事に変わりはないわ」
「ホワイダニット……」
「なぜやったのか? つまり、呪いの動機……それが解れば自ずと解決策は見えてくる……はずよ」
茅野循の双眸には、徐々に知性の光が戻りつつあった。